学問の自由

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テンプレート:自由 学問の自由(がくもんのじゆう)は、研究・講義などの学問的活動において外部からの介入や干渉を受けない自由のことをいう。自由権のひとつ。

一般的には、研究の自由研究発表の自由教授の自由(教育の自由)を指す(具体的権利)。そして、学問の自由を保障するため大学の自治制度的保障として認められている。

日本においては、日本国憲法第23条において規定されている。

歴史

学問の自由について、憲法上明文で特に保障する例は少ない。これはイギリスやアメリカなどでは思想・良心の自由表現の自由の保障の中に学問的活動の自由が含まれていると考えられていたためである。しかしながら、特にアメリカでは「赤狩り」において大学・研究機関が多大な被害を被った歴史的反省から、これに類する観念が発生し、その具体的保障手段として「テニュア制度」(en)(一般には「終身在職権」と理解される)が一般的となってきた。

これに対して、ドイツでは早くから学問の自由(Akademische Freiheit)の概念が発達してきた。近代ドイツは国力増強のために学問育成に力を入れ、大学教授は政治的中立を保つ代わりに特権として学問の自由を認められた。1810年にベルリン大学が創設される際には大学の自治の観念も確立され、以後憲法で学問の自由(とその連結的補充的制度的保障としての「大学の自治」)が保障されるようになった。

日本では、大日本帝国憲法においては規定が存在しなかった。しかし滝川事件天皇機関説事件などで学問の自由が国家権力によって直接に侵害された歴史を受け、新憲法制定の際に明文規定が必要とされた。マッカーサー草案の“academic freedom”に「学問ノ自由」の訳を選び、それが現在の憲法23条となっている。

「学問の自由」はドイツ法学の流れを受けて「大学の自由」と同義と考えられてきた。ただし今日の日本では、広く一般国民を含めて学問的活動の自由を保障していると解される。

またオランダでは教育の自由が特に実践されており、オランダの文部省は学校設立の自由、教える自由、教育を組織する自由という三つの自由で説明している[1]。オランダの場合は、社会階級の差異よりもカトリックとプロテスタント、自由主義と社会主義などの思想信条の対立などが政治的争点になってきたという歴史的経緯がある[2]

学問の自由の内容

日本国憲法第23条は学問の自由を保障する旨を明示にて規定する。この内容について、通説では研究の自由、研究発表の自由、教授の自由を指すとされる。これが為、大学に対しては学習指導要領の適用はなく、また大学対象の規程も存在しない(そもそも大学は「学習」をする機関ではない)が、現実には公教育制度の一部を構成しているのも事実であり、大学=高等教育機関という位置づけが世界的にも共通認識であることからして、日本国憲法第13条・第26条から導かれるとされる「学習権」との関係についてはあいまいな部分を残したままである。

研究の自由

真理の追究・発見を目的とする思考活動は学問の根幹である。このような内心における精神活動は思想の自由の一部でもあり、公権力や所属機関など外部からの干渉は許されない。

調査や実験など、研究を遂行するために外面的行為として現れる諸活動の自由も原則として保障される。ただし生体実験など明らかに人倫にもとるような行為まで許されるわけではない(一般には「内在的制約」と理解される)。また近年の科学技術の発達に伴い、医学や兵器研究などで人間の生存や尊厳をおびやかす可能性がある研究への対応も問題となってくる(たとえば、遺伝子操作、特に「ヒト・クローン」の作成)。

その一方、素粒子物理学や核融合、宇宙研究のように、実験装置がいかなる超大国でも一国ではまかないきれないほどの財政出動を必要とする現状をどうするかという問題もある。これらは、研究者が人間としての良心と理性に基づいて自律的にルール策定を行うことが望ましいが、それでも制御できない、あるいはルール作り自体が望めない場合、さらには究極には納税者の負担においてなされる巨大科学研究に必要な財政出動へのコントロールは研究の自由といかなる関係に立つのか、いまだ不明確なままである。これらに対して、通常の議会制民主主義によるコントロールや法的規制(特に刑事罰を含む規制)[3]を課してよいのかどうかは今日重要な問題となっている。

研究発表の自由

研究の成果は発表されることによって初めて価値を持つものが大多数であり、したがって研究発表の自由も当然に認められる。それがたとえ疑似科学であったとしても例外ではない(そもそも、疑似科学やプロトサイエンスをどう定義するかも問題なら、ある時代の疑似科学が現在では科学的真理とされている例に事欠かないし、逆もまたしかりである)。

なお発表されるものに関して学問と非学問の区別をどこで行うか、あるいは区別が必要かどうかはア・プリオリに定まるものではなく、研究者の自律的な作用に基づくべきものとするのが多数説と見られる(が、学問の自由に関する研究そのものが法律学者の間では著しく乏しく、裁判例も存在しないため、ここにもあいまいな部分が残されている)。

むしろ、最近問題となった新型インフルエンザ研究がテロ誘発のおそれあり、ということで研究発表を自粛すべきといった議論のように、学問研究と社会との関わり合いの部分で少なからぬ問題が伏在していると思われるが、これもまた法律学研究者の間には認識自体十分ではない。

教授の自由

講義の内容・方法に関する自由。研究発表の自由の一形態と理解できないこともないが、研究発表の自由がいわば「研究仲間(colleague)」の間の自由であるのに対し、「教授の自由」は(世代を異にする場合も多い)「先達」から「後進」への研究内容の伝達の自由と理解されて、両者を区別するのが一般的である。なお、誤解を避けるため「教授する自由」と称することもある。

「学問の自由」が「大学の自由」と同義に解されてきた歴史から、旧来「大学における」講義の自由であると考えられていた。初等および中等教育機関における教育の自由がこれに含まれるかどうかについてはこれまで激しく議論されてきた。

この点について、最高裁は「例えば教師が公権力によって特定の意見のみを教授することを強制されないという意味において、また、子どもの教育が教師と子どもとの間の直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行われなければならないという本質的要請に照らし、教授の具体的内容及び方法につきある程度自由な裁量が認められなければならないという意味においては、一定の範囲における教授の自由が保障されるべきことを肯定できないではない」としつつ、児童・生徒には十分な批判能力が備わっていないこと、教育の機会均等を図る上で全国的に一定の水準が求められることから「普通教育における教師に完全な教授の自由を認めることは、とうてい許されない」と判示している(旭川学力テスト事件、1976年判決[4])が、学説は、あたかもア・プリオリに初等中等段階の教育と高等教育とが区別されるかのごとき発想を前提とするこの判決に対して、懐疑的な見解が多い。

一方、前述の通り、大学=高等教育機関という位置づけは国際的な了解事項[5]と考えられるが、現代日本では、医学部・歯学部・教員養成学部(学科)では教育カリキュラムと内容が教員採用試験や医師国家試験等に強く縛られている現状があり、法科大学院もまたその性格を免れない。これが「教授の自由」といかなる関係に立つのか、また、前述の「学習権」との間に生ずる三つ巴の関係をいかに整理するか[6]については、問題意識自体稀薄なままである。

大学の自治

日本国憲法において、大学自治に関する明文規定はない。しかし大学における研究・教育の自主独立を守るためには大学の自治は必要不可欠なものとされ、学問の自由の一部にあげられる。すなわち権利としての学問の自由を保障するための制度的保障として大学の自治は一般に位置づけられる。

大学の自治の観念は、パリ大学など中世以来のヨーロッパの伝統に由来している。しかし、この段階における大学の自治の観念は、前述のドイツにおけるそれと異なり、学生が教師を呼んで自主的に学んだ伝統に発している。現に、古い伝統を有するヨーロッパの大学では、たとえば現在も「学長」の職名をRektor(ドイツ)と称することがあるが、これはもともと「学生のリーダー」すなわち「学頭」を意味する言葉であった[7]テンプレート:独自研究範囲

大学の自治の内容

具体的内容としては、学長・教授その他の研究者の人事、大学の施設の管理、学生の管理があげられる。近年では、研究教育の内容と方法における自主決定権、および予算管理の自治(財政自主権)もこれに含まれるとされる。

ただし、財政自主権については、現代の大学の場合、いかに古い歴史を有し、膨大な基本財産を擁する欧米の大学といえども、経常的運営費でさえ大半は国家財政からの支出に頼っており、いわんやそのような歴史的蓄積を持たない日本の大学の場合、財政自主権の意味は限定される。むしろ、教育研究の水準・内容のいかんにかかわらず、運営に必要な経費の一定部分を公費によって支援されるべきこと[8]テンプレート:独自研究範囲

しかし、前述の通りテンプレート:要出典範囲

大学の自治の主体

大学の自治の主たる担い手は教授その他の研究者であるが、学生も自治の主体となるかどうかは議論がある。伝統的な考え方では学生はもっぱら営造物利用者として認識されていた。しかし東大紛争などをきっかけにして、学生も自治に参加すべきだとする意見が広がり、学説が見直されてきた。テンプレート:独自研究範囲

むしろ、テンプレート:独自研究範囲

国公立大学の場合、法制度上は教授会自治を原則としていると考えられる(特に、国立大学法人化以前は、国立大学も教育公務員特例法で、大学管理機関として評議会・教授会をあてていた)が、実際の運営においては大学職員の介在の余地が大きい。一方、私立大学の場合、大学ごとにまちまちであるが、両者を通じて言えることは、現代の大学がその規模や社会的責任からして、単純な全員参加の民主主義的審議機関だけでは十分にその機能を果たし得ず、一種の官僚機構をも有する執行機関を必要としていることからして、大学職員もまた、テンプレート:独自研究範囲

しかし、世界各国、特に先進国においては、大学の巨大化に伴う官僚主義の跋扈に悩まされていることもまた事実であり、一方における近代的な大学運営の必要性と、他方における官僚主義の弊害を免れる必要性とをいかに均衡させるかは重要な問題である[9]

大学の自治の限界

施設などの管理自治においては、警察権との関係が特に問題とされる。

現代日本においては大学は治外法権を有するわけではなく、また正規の令状に基づく学内の捜査を大学が拒否することもできない。

また、大学当局の力では収拾がつかないほどの不法行為が発生した場合、あるいはそれらが発生する差し迫った危険が存在する場合は警察力の出動がありうる。しかしこの場合でも緊急止むを得ない場合と大学の要請のある場合に限定される。

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「大学の自治」をめぐって、近年発生した問題には、2004年京都大学において、京都帝大出身者である李登輝が母校訪問を試みた際のトラブルがある。京都大学は、警護のためにセキュリティポリスが学内で李に付き添うことは「大学の自治」の侵害であるとして、警察官の入構を拒否したのである。当の李本人の入構は許可されたものの、警察官の付き添いがなければ身の安全が懸念されることから、李の母校訪問は中止となった。

その一方、江沢民・前中華人民共和国国家主席の訪日の折、早稲田大学での講演会にあたって、大学当局が自ら出席者の名簿を警察に提供していた事実が毎日新聞のスクープで発覚するという事件も起きている。これに対しては、大学の行為を違法とする学生によって訴訟が提起されたが、最終的に学生側勝訴で終わっている[10]

関連項目

脚注

  1. リヒテルズ直子オランダの学校教育1 大原則としての『教育の自由』
  2. 前掲リンク
  3. しかしながら、2000年には「ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律(平成十二年十二月六日法律第百四十六号)」が制定され、同法第16条から第20条は罰則を設けている。特に、第16条で10年以下の懲役若しくは1000万円以下の罰金に処し、又はこれを併科される禁止事項、すなわち同法第3条は「何人も、人クローン胚、ヒト動物交雑胚、ヒト性融合胚又はヒト性集合胚を人又は動物の胎内に移植してはならない」と規定しており、大学も適用除外されてはいない。
  4. 旭川学力テスト事件最高裁判決
  5. 21世紀に向けた高等教育に関する世界宣言―展望と行動―(1998年10月9日採択)
  6. なお、これと関連して、医学部においては、いまだ「医学教育」か、それとも「医師教育(広義の職業人養成と捉えることも可能である)」かの論争が絶えない。また教育学部では、旧帝国大学の教育学部は「(広義の)教育学の教育研究組織」として成立しており、その他の大学においては「教員養成学部」という、戦前の遺制としか言いようのない不可思議な「棲み分け」がいまだに存在する。
  7. 阿倍謹也『大学論』(日本エディタースクール出版部・1999)ISBN-10: 4888882924, ISBN-13: 978-4888882927
  8. なお、国際人権規約A規約第13条第2項(c)は「高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること」と規定しているが、日本政府は1979年の批准以降30年以上の長きにわたって、当条項に留保宣言を付して適用除外としていた。世界の動きは、2008年にルワンダが撤回して以降、同条項の留保宣言国はマダガスカルと日本だけという状態になっていたうえ、2001年になされた国連人権委員会の撤回勧告にもかかわらず、6年の回答猶予期間を徒過してもなお沈黙を守り通す、という異常な状態が続いていた。2012年3月、外務省はようやく撤回の方針を固めた、と伝えられた後、2012年9月12日に国連事務総長に留保の撤回を通知した。
  9. 平凡社『世界大百科事典』寺崎昌男「大学の自治」
  10. (個人情報漏えい)早稲田大学江沢民講演会名簿提出事件