多慶屋

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ファイル:Takeya discount store taito tokyo.JPG
多慶屋(本館A棟)。建物が紫色なのが特徴的。

多慶屋(たけや)は、東京都台東区台東四丁目にある総合ディスカウント・デパート家電製品パソコン衣料品時計宝飾食品日用雑貨、スポーツ用品、医薬品家具化粧品文房具等あらゆる商品を取り扱っている。

概要

春日通り昭和通りが交差する仲御徒町交差点の一角にのみ、8つの店舗を構える。取り扱う商品別にそれぞれ、本館(A棟、B棟)、家具館、家具館別館、4号館 商品引換所、5号館 立体駐車場、レディース館、8号館、インテリア・雑貨館と店舗が分かれている。本館A棟7階にはリフォームコーナーがある。

多慶屋の現在の特徴として、店舗の色が紫色に統一されていることが挙げられる。コーポレートカラーが紫色の理由は諸説あり、創業時にコーポレートカラーが紫色の企業が他になく珍しいので選んだ、僧侶袈裟の色をイメージした、などといわれている。このことが功を奏し、紫色のビル群は遠くからでも一目で確認できる。[1]ちなみに、多慶屋という商号は、創業者の竹谷(たけたに)氏の名字を「たけや」と読み、多くの人に慶びを与えたいという願いから付けられたといわれる。

開業は戦後に質屋として開業。その後古物商として、質流れ品やおつとめ品など取り扱っていた。1960年代になると貴金属や置物を中心に釣り道具、電化製品、ペット用品など新品の物が割り引いて売られるようになる。1990年代になり、隣の廃業した同業ライバル店「ゼア」の金ピカビルを購入、一階の食料品を中心に店舗を広げ衣類等を増やしたことでスーパーマーケット的な店構えとなった。その後も次々に近隣の建物を買収し医薬品、酒、文具のコーナー等を増設、あらゆる物を扱う総合ディスカウントストアーとなる。但し、かって力を入れていた釣り道具、楽器は扱うことを止めている。現在集客力があるのは医薬品、生活用品、ドッグフードなどへと変化している。

生鮮野菜を扱うようになってからは食品を買いに来る中高年層が激増している。その反面、かっては家電製品や精密機器、雑貨、家具を遠方より買い求めに訪れる客が多かったがディスカウント大型店が増えるに伴い若者の需要が減ってきている。また以前は外国人客応対のために店内アナウンスを英語、中国語、韓国語で行っていたが、代わりに現地語を話せる店員を配置している売り場もある。

広告展開

宣伝広告は創業者の意向で口コミのみ行っている。但し求人広告はしている。また一度だけ大江戸線が開通した際、新聞にカラー全面広告を配した事がある。

昔はお客への配慮として松坂屋と同じバラの模様の包み紙でThank Youという文字だけ印刷した物を使っていた。昭和時代にはディスカウントで買う事に対して抵抗的な風潮もあったためだったが、現在は多慶屋の紫色のマークを中央に据えたレジ袋のみを使用している。また、2010年7月に取扱い商品のイメージイラストやTAKEYAのアルファベット文字を組み替えて、複数建物を表現した多慶屋オリジナル紙袋を導入。お買物したお客様による波及効果を計っている。さらに8月からSNSの1つであるtwitterを活用し、リアルタイムに店舗情報案内をしたり、顧客との対話を行っている。

サービス

特徴としてデパートと同じ接客応対をしている。ただし食料品売り場では店員が袋詰めしてくれるレジと客自身が袋に入れるセルフサービスレジの2種類がある。

サービスカウンターでは代金支払い済みの品物を台東区と文京区の全域、加えて千代田区と中央区の台東区寄りの地域を対象に480円で配達を承っている、それ以外のエリアにおいてはヤマト運輸の宅急便にて容量に合わせ実費で届けてくれる、但し生鮮食料品は配達対象外である。

沿革

  • 1947年 現在地に開店(現 本館B棟)
  • 1951年 株式会社 多慶屋商店 設立
  • 1972年 2号館(現 家具館別館) 開設
  • 1975年 株式会社 多慶屋に改称
  • 1982年 本館B棟増設
  • 1984年 4号館 開設
  • 1985年 5号館駐車場 開設
  • 1987年 6号館 開設
3号館(現 家具館) 開設
本館A棟 開設
リサイクル&アウトレットショップ 開始

交通アクセス

脚注

  1. ただし、この紫色はかつて隣にあったゼアという競合店(現在多慶屋本館A棟)がゴールドに塗装しており(写真でも一部塗装が剥げている部分がゴールドになっている)、他店と識別させる目的が強く、当時の包装紙や袋にはカラーの意識は全く存在していなかった。

外部リンク

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