増殖 (YMOのアルバム)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox 増殖 - X∞Multiplies (Alfa YMO1) は、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の4作目のアルバム。

背景

前作『パブリック・プレッシャー』の成功に気を良くしたアルファレコードは、同様のライヴ盤のリリースを要請したが、メンバーはそれを拒否し、代案として本作のリリースを提案した。

高橋幸宏は本アルバムは「ボーカルもの」をやりたいという明確なイメージを作成前に持っていた。さらに、当時好んで聴いていたラジオ番組「スネークマンショー」を細野晴臣に聴かせたところ、細野も気に入り、曲の間にコントを挟むギャグ・アルバムを作ることを細野が決めた。[1]

多くの曲を作成する時間もないことから10インチのミニアルバムとなった。[1]

収録されたスネークマンショーによるコントは1976年から1980年にかけて放送されたラジオ番組『スネークマンショー』からのものや、同番組に出演していた伊武雅刀小林克也桑原茂一らとYMOのメンバー等によるものであった。収録されたコントは同番組で放送されたものだが、すべてこのアルバム用に録りなおしている。

リリース

1980年6月5日アルファレコードからリリースされた。

当初は10万枚限定盤の予定であったが、20万枚以上の予約が入ったため通常生産盤としてリリースされ、アルバムは特殊段ボールケースにセットして販売された(通常の12インチアルバムとサイズを合わせるため)。レコード番号は「YMO-1」であるが、バンドの名称が番号に採用されるのは異例なことであった。

YMOの結成20周年企画盤として、スネークマン・ショーの桑原茂一プロデュースにより、CD版の装丁などを『増殖』そっくりに真似た『増長』がリリースされた(1998年)。収録された楽曲や曲順はほぼそのままで、コント部分を爆笑問題長井秀和が全く内容を変えて演じている。

アートワーク

ジャケットで使われたYMOメンバー3人の人形は、当時3人がテレビCMで出演していた「フジカセット」の新聞広告で使われていたものであった。

材質は前面の数体がFRP[2]で、それ以外はFRPの個体から複製した塩化ビニール製である。また、2008年に復刻されて市販されている。

ツアー

本作のリリース後にはツアーは行われなかったが、リリース前の1980年3月21日から5月7日にかけて行われた国内ツアーのテクノポリス2000-20で収録曲である「ナイス・エイジ」と「シチズンズ・オブ・サイエンス」が演奏されている。そして1980年10月11日のニューシアター(オックスフォード)を皮切りにワールドツアー「YELLOW MAGIC ORCHSTRA WORLD TOUR '80』が行われている。

収録曲

テンプレート:Tracklist テンプレート:Tracklist

曲解説

A面

  1. ジングル“Y.M.O.” - JINGLE "Y.M.O."
    ラジオ番組のジングルを模した曲で、小林がラジオDJ風のトークを聞かせた後、次の曲に切れ目なしに続く。ドラムモーグIII、ベースと「パン!」となるパーカッションプロフェット5を使用している。坂本龍一は単にジングルということで、職業作家みたいなノリで書いたものとコメントしている[1]1999年リリースの細野晴臣監修のベストアルバム『YMO GO HOME!』ではディスク1冒頭で単独で使用され、2003年にリリースされた坂本龍一監修のベストアルバム『UC YMO』ではこのつなぎをそのまま再現している。
  2. ナイス・エイジ - NICE AGE
    アルバム作成前にA&Mレコードからの依頼でアメリカ用シングルとして「シチズンズ・オブ・サイエンス」と共にレコーディングされた(ただし、アメリカのマーケティングにそぐわないという理由でリリースはされていない)[1]。曲中でニュース速報を読んでいるのは元サディスティック・ミカ・バンドボーカリスト福井ミカである。本作の録音当時、イエロー・マジック・オーケストラはポール・マッカートニーとのセッションを予定していたが[3]、来日したポールが大麻不法所持によって逮捕勾留されたため、セッションが不可能となってしまった。その時のポールの妻リンダのメッセージが曲中のニュース速報である。速報中で読み上げられる「22番」とはポールの拘置所内での番号であり、同じく「Coming Up Like A Flower」は同じ年の4月に発売されるポールのシングルカミング・アップ」で歌われるフレーズである。シングル『タイトゥン・アップ』のB面にも納められている。
  3. スネークマン・ショー - SNAKEMAN SHOW
    スネークマン・ショーでのコント名「KDD」。「ミスター大平」とは大平正芳のパロディーであり、大平が会社名の「KDD」を言いにくそうにしているのはKDD事件のパロディーである。
  4. タイトゥン・アップ - TIGHTEN UP (Japanese Gentlemen Stand Up Please!)
    詳細は「タイトゥン・アップ」を参照。
  5. スネークマン・ショー - SNAKEMAN SHOW
    スネークマン・ショーでのコント名「ミスター大平」。コント「KDD」の続きで、大平が英語があまり話せなかったことを利用し、日本人を冒涜するという内容。
  6. ヒア・ウィー・ゴー・アゲイン - HERE WE GO AGAIN ~ TIGHTEN UP

B面

  1. スネークマン・ショー - SNAKEMAN SHOW
    スネークマン・ショーでのコント名「ここは警察じゃないよ」。麻薬中毒者と逮捕しに来た警官のやり取りである。アメリカのコメディアンチーチ&チョンの作品に直接的なインスパイアを受けて作られている。桑原はスネークマン・ショーで麻薬撲滅キャンペーンを行っており、このコントは麻薬の醜さを表現するために幾つか作られたコント(中には前述のポール・マッカートニー逮捕を題材にした「ポールマッカートニー取調室」が存在する)のうちの1つである。ちなみに姉妹編に「エディはここにいないよ」が存在する。
  2. シチズンズ・オブ・サイエンス - CITIZENS OF SCIENCE
    「ナイス・エイジ」と共にアメリカ用シングルとしてレコーディングされた。途中にクリス・モスデルが歌っている部分(というより台詞)がある。ライヴでの同部分は坂本がヴォコーダーを用い担当した。
  3. スネークマン・ショー - SNAKEMAN SHOW
    スネークマン・ショーでのコント名「林家万平」。林家万平は林家三平のパロディであり、中国公演で通訳を介して落語を行っている設定のコントである。
  4. マルティプライズ - MULTIPLIES
    当時スペシャルズ等の台頭でムーブメントとなっていたスカを意識した生演奏主体の作品で、本盤および米国発売のベストアルバムのタイトルとなった曲。発売時のクレジットは「作曲:イエロー・マジック・オーケストラ」だったが、冒頭で「荒野の七人」のメロディーを使用したことから問題が生じ(細野は後年「バーンスタインはしっかり者ですから」とのコメントを残している)、現在は作曲者名が変更されている。
  5. スネークマン・ショー - SNAKEMAN SHOW
    スネークマン・ショーでのコント名「若い山彦」。コントに登場する番組名「若い山彦」は当時のNHK-FMの若者向け音楽番組「若いこだま」のパロディである。コントの中でYMOを褒めているのはYMOの3人である。本作は「それいけスネークマン」で1979年4月17日に放送された「続・若い山彦」の改作であり、それはYMOの代わりに井上瑤のグルービー上がりの女評論家が加わるという内容である。なお、スネークマン・ショーでは「続々・若い山彦」という続編も存在する。
  6. ジ・エンド・オブ・エイジア - THE END OF ASIA
    元々は坂本のオリジナルアルバム『千のナイフ』の収録曲だが、YMOの初期ライブでも頻繁に演奏されている。このアルバムでのバージョンは非常に日本的なアレンジが施されている。坂本は、東海道五十三次歌川広重浮世絵をイメージしていて、初期からやりたかったことだったとコメントしている(このアレンジを「街道もの」と呼んでいる)。途中のヴォイスは伊武雅刀によるもの。三味線の音色はコルグPS-3100、その他はプロフェット5で演奏されている。

スタッフ・クレジット

参加ミュージシャン

スタッフ

  • 細野晴臣 - プロデューサー
  • Y.M.O. - ディレクター、ミックス・エンジニア
  • 桑原茂一 & THE STUDIO DOO WAP - スクリプター
  • 吉沢典夫 - レコーディング・エンジニア
  • 小池光夫 - レコーディング・エンジニア
  • 斉藤篤 - レコーディング・エンジニア
  • 寺田康彦 - レコーディング・エンジニア
  • 田中ミチタカ - レコーディング・エンジニア
  • 小池光夫 - ミックス・エンジニア
  • 市田喜一 (CINQ ART) - 人形造形
  • 高橋ユキヒロ - 人形コスチュームデザイン
  • 鋤田正義 - 写真撮影
  • 上条喬久 - アート・ディレクション
  • 川添象郎 - エグゼクティブ・プロデューサー

リリース履歴

No. 日付 国名 レーベル 規格 規格品番 最高順位 備考
1 1980年6月5日 日本 アルファレコード LPCT YMO-1 (LP)・ALC-22001 (CT) 1位 LP盤は10インチの特殊形状
2 1990年2月25日 日本 アルファレコード CD ALCA-12
3 1992年 オランダ Roadrunner Records CD LS 9149 2 -
4 1992年 アメリカ合衆国 Restless Records CD 7 72708-2 -
5 1994年6月29日 日本 アルファレコード CD ALCA-9041 -
6 1998年1月15日 日本 アルファレコード CD ALCA-5218 -
7 1999年9月22日 日本 東芝EMI CD TOCT-24236 - 細野晴臣監修、リマスタリング盤、ライナーノーツ:田中知之
8 2003年1月22日 日本 ソニー・ミュージックハウス CD MHCL 207 55位 坂本龍一監修、紙ジャケット仕様
9 2003年 イギリスカナダ エピック・レコード CD 513448 2 (UK)・EK 91848 (CA) -
10 2010年9月29日 日本 ソニー・ミュージックダイレクト ブルースペックCD MHCL-20103 195位 1999年リマスタリング音源、紙ジャケット仕様、スーパーピクチャーCD

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

テンプレート:イエロー・マジック・オーケストラ

テンプレート:オリコン週間LPチャート第1位 1980年テンプレート:Album-stub
  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 『イエロー・マジック・オーケストラ』アスペクト刊、2007年
  2. 公開当時は「エクアール樹脂製」と紹介されていた。
  3. テンプレート:要出典範囲坂本も「ポールがスタジオA(YMOがレコーディングしていたスタジオ)に見学に来る」と発言している(ただし坂本は2003年発売のUC YMOに収録された同曲の解説において「もしポールが捕まってなければ、アルファスタジオに遊びに来て、YMOとセッションしてたかもしれないんですが…。」とも発言しており、それが実際のことであったのか、坂本の希望であったのか、また後年言われ続けていた事を反映したのかどうかは不明)。