堀田善衛
テンプレート:出典の明記 テンプレート:Infobox 作家 堀田 善衛(ほった よしえ、1918年(大正7年)7月7日 - 1998年(平成10年)9月5日)は、日本の小説家・評論家。
来歴・人物
富山県高岡市出身。父は富山県会議長の堀田勝文、母は大正年間に富山県で初めて保育所を創設した堀田くに。経済学者で前・慶應義塾大学商学部教授の堀田一善は甥にあたる。生家は伏木港の廻船問屋であり、当時の北前船の日本海航路の重要な地点であったため、国際的な感覚を幼少時から養うことができた[1]。
旧制金沢二中から1936年に慶應義塾大学政治科予科に進学し、1940年に文学部仏文科に移り卒業。大学時代は詩を書き、雑誌『批評』で活躍、その方面で知られるようになる。戦争末期に国際文化振興会の上海事務所に赴任し、そこで敗戦を迎え、国民党に徴用される。
1947年に引揚げ、世界日報社に勤めるが会社は48年末に解散する。この頃は詩作や翻訳業を多く手がけていた。アガサ・クリスティの『白昼の悪魔』の最初の邦訳は堀田によるものである。
1950年10月23日に品川駅でかっぱらいをして逮捕された記事が「夕刊読売」1950年10月24日火曜付にあるが、『高見順日記』によると、酔った上でのいたずらだったらしい。
1956年、アジア作家会議に出席のためにインドを訪問、この経験を岩波新書の『インドで考えたこと』にまとめる。これ以後、諸外国をしばしば訪問し、日本文学の国際的な知名度を高めるために活躍した。また、その中での体験に基づいた作品も多く発表し、欧米中心とはちがう、国際的な視野を持つ文学者として知られるようになった。この間、1959年にはアジア・アフリカ作家会議日本評議会の事務局長に就任。モスクワでパキスタンの詩人ファイズ・アハマド・ファイズと知り合ったのは1960年代である。サルトルとも親交があった。日本評議会が中ソ対立の影響で瓦解したあと、1974年に結成された日本アジア・アフリカ作家会議でも、初代の事務局長をつとめた。また、「ベ平連」の発足の呼びかけ人でもあり、脱走米兵を自宅に匿ったこともあった。マルクス主義には賛同せず日本共産党などの党派左翼ではなかったが、政治的には戦後日本を代表する進歩派知識人であった。
1977年、『ゴヤ』完結後、スペインに居を構え、それからスペインと日本とを往復する生活をはじめる。スペインやヨーロッパに関する著作がこの時期には多い。また、1980年代後半からは、社会に関するエッセイである〈同時代評〉のシリーズを始め、これは作者の死まで続けられ、没後『天上大風』として1冊にまとめられた。
エピソード
宮崎駿が最も尊敬する作家であり、宮崎は堀田の文学世界や価値観から非常な影響を受けていることを常々公言、堀田と幾度も対談している。たとえば宮崎の作品によく出てくるゴート人のイメージは、堀田のスペイン論に由来している(『宮崎アニメの暗号』青井汎 新潮新書)宮崎は堀田の『方丈記私記』のアニメ化を長年に渡って構想していた。また、2008年、宮崎吾朗他のスタジオ・ジブリスタッフにより、『方丈記私記』等の堀田作品をアニメ化するという仮定のもとのイメージ・ボードが制作され、神奈川近代文学館に展示された。
受賞歴
- 1952年 - 『広場の孤独』で第26回芥川龍之介賞
- 1971年 - 『方丈記私記』で毎日出版文化賞
- 1977年 - 『ゴヤ』で大佛次郎賞・ロータス賞
- 1994年 - 『ミシェル城館の人』(全3巻)で和辻哲郎文化賞
- 1995年 - 1994年度朝日賞
- 1998年 - 日本芸術院賞(第二部(文芸)/評論・翻訳)
著書
- 広場の孤独(1951年、中央公論社) のち新潮文庫、集英社文庫
- 祖国喪失 文藝春秋新社 1952 のち角川文庫
- 捜索 未來社 1952
- 歴史 新潮社 1953 のち文庫
- 時間 新潮社 1955 のち文庫
- 夜の森 大日本雄弁会講談社 1955
- 砕かれた顔 筑摩書房 1955
- 記念碑 中央公論社 1955 のち集英社文庫
- 奇妙な青春(「記念碑」第2部/1956年、中央公論社)のち集英社文庫
- 鬼無鬼島 新潮社 1957
- インドで考えたこと (岩波新書)1957
- 乱世の文学者 未來社 1958
- 現代怪談集 東京創元社 1958
- 河(1959年、中央公論社)
- 上海にて 筑摩書房、1959 のち学芸文庫、集英社文庫
- 後進国の未来像 新潮社 1959
- 建設の時代(1960年、新潮社)
- 零から数えて 文藝春秋新社 1960
- 香港にて 新潮社 1960
- 海鳴りの底から(1961年、朝日新聞社)のち新潮文庫、朝日文庫
- 審判(1963年、岩波書店)のち集英社文庫
- 文学的断面 河出書房新社 1964
- スフィンクス 毎日新聞社 1965 のち集英社文庫
- キューバ紀行 1966 (岩波新書) のち集英社文庫
- 歴史と運命(1966年、講談社)
- 若き日の詩人たちの肖像(1968年、新潮社)のち集英社文庫
- 小国の運命・大国の運命 筑摩書房 1969
- 美しきもの見し人は(1969年、新潮社)のち文庫、朝日選書
- あるヴェトナム人 新潮社 1970
- 橋上幻像(1970年、新潮社)のち集英社文庫
- 方丈記私記(1971年、筑摩書房)のち新潮文庫、ちくま文庫
- 19階日本横丁(1972年、朝日新聞社)のち集英社文庫、朝日文芸文庫
- けいざい問答 経済対談集 文藝春秋 1973
- 堀田善衛自選評論集 新潮社 1973
- 堀田善衛全集 全16巻 筑摩書房 1974-75
- ゴヤ 全4巻(1974-77、新潮社)のち朝日文芸文庫、集英社文庫
- 本屋のみつくろい 私の読書(1977年、筑摩書房)
- 航西日誌(1978年、筑摩書房)
- スペイン断章 歴史の感興(1979年、岩波新書)のち集英社文庫
- スペインの沈黙(1979年、筑摩書房)のち文庫
- オリーブの樹の蔭に スペイン430日(1980年、集英社)のち文庫、「スペイン430日」ちくま文庫
- 彼岸繚乱 忘れ得ぬ人々(1980年、筑摩書房)
- 情熱の行方 スペインに在りて(1982年、岩波新書)
- 日々の過ぎ方 ヨーロッパさまざま(1984年、新潮社)のちちくま文庫
- カタルーニア讃歌 新潮社 1984.8
- 路上の人(1985年、新潮社)のち文庫、集英社文庫
- 聖者の行進(1986年、筑摩書房)
- 定家明月記私抄(1986-88年、新潮社)のちちくま学芸文庫
- 歴史の長い影(1986年、筑摩書房)
- バルセローナにて(1989年、集英社)のち文庫
- 誰も不思議に思わない(1989年、筑摩書房)のち文庫
- ミシェル 城館の人(1991-94、集英社)のち文庫
- 時空の端ッコ(1992年、筑摩書房)のち文庫
- 堀田善衛全集 全16巻 筑摩書房 1993-94
- めぐりあいし人びと(1993年、集英社)のち文庫
- 未来からの挨拶(1995年、筑摩書房)
- 空の空なればこそ(1998年、筑摩書房)
- 天上大風 全同時代評一九八六年-一九九八年(1998年、筑摩書房)のち抄録して学芸文庫
- ラ・ロシュフーコー公爵傳説(1998年、集英社)のち文庫
- 故園風來抄(1999年、集英社)
- 堀田善衞詩集 1942~1966 集英社 1999.6
- 別離と邂逅の詩 集英社 2001.5
- 歯車・至福千年 2003.1 (講談社文芸文庫)
- 堀田善衞上海日記 滬上天下一九四五 紅野謙介編 集英社 2008.11
共編著
- 深い淵から ハンゼン氏病患者生活記録 永丘智郎共編 新評論社 1956
- 日本原爆詩集 大原三八雄,木下順二共編 太平出版社 1970
- 私はもう中国を語らない 武田泰淳対話 朝日新聞社 1973
- ヨーロッパ・二つの窓 トレドとヴェネツィア 加藤周一共著 リブロポート 1986.12 のち朝日文芸文庫
- 時代の風音 司馬遼太郎、宮崎駿との鼎談 1992 UPU のち朝日文庫
- 発光妖精とモスラ 中村真一郎、福永武彦との合作小説 筑摩書房 1994(初出は1960年)
翻訳
- 追憶の哲理 キエルケゴール 吉田健一共訳 大地書房 1948
- モーパッサン詩集 酣灯社 1950
- 白昼の悪魔 アガサ・クリスティー 早川書房 1951
- A.B.C.殺人事件 アガサ・クリスチイ 東京創元社 1957 のち文庫
- チャーリー退場 アレックス・アトキンスン 東京創元社 1959
脚註
テンプレート:芥川賞- 元の位置に戻る ↑ 北前船の廻船問屋としての栄光と没落は小説『鶴のいた庭』に描かれている。