埼玉新聞

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埼玉新聞(さいたましんぶん)とは日本地方紙である。1944年昭和19年)10月16日社団法人として創刊された埼玉県の県域地方新聞。1955年(昭和30年)に株式会社化される。本社は埼玉県さいたま市北区にある。1950年代以降、埼玉県内では全国紙による販売店の系列化が進んだため、自社の専売店はなく、大手新聞の販売店に委託をしている。なお、現在は朝刊紙であるが、1949年11月から短期間ではあるが夕刊も発行していたことがある[1]

日本ABC協会には未加盟。発行部数を公表していないため、スーパーマーケットなどの生活に密着した営利折込チラシは原則入らない。

概要

1957年より1990年まで、総合不動産会社であった地産2002年8月倒産)の竹井博友が社長•会長•社主•相談役として在任し、地産グループの傘下企業として経営していた。なお竹井は読売新聞社の出身で、読売退社後も大阪讀賣新聞(現・読売新聞大阪本社)や中部讀賣新聞(現・読売新聞中部支社)の創刊に参画するなど読売グループと浅からぬ関係にあった人物である。このため、埼玉新聞を読売系新聞社とみなす場合がある。

埼玉県のスポーツイベント(埼玉西武ライオンズ浦和レッズ大宮アルディージャなど)の話題を積極的に取り上げている。また、一般紙では珍しく、埼玉県内で行われる公営ギャンブルの予想を全レース載せている。

1955年昭和30年)10月から県内総合版を、翌年1月から地区版のページを特設し、埼玉県内の記事を中心とした紙面づくりが行われるようになった。2008年平成20年)5月19日、題字[2]や読みやすくするための字の拡大化など大幅な紙面構成を刷新・一新した。題字はこれまで1面上段横組み1行だったがそれを1面右端縦組み、横2行「(1行目)埼玉 (2行目)新聞」と地紋が付いた。2009年(平成21年)4月1日公式ホームページを変更したため、週刊ニュース携帯電話から有料での閲覧になる。無料でのパソコンからの閲覧は不可(ただし従来どおり当日のデイリーニュースは見ることは出来る)になった。

  •  2009年(平成21年)12月テレ玉において愛川欽也が埼玉新聞と何回も連呼するCMが流れている。
  •  2010年(平成22年)6月25日株主総会が開かれ埼玉新聞社代表取締役社長が代表権のない取締役会長に就任などの新人事が発表された。毎日新聞は同年6月26日地域面埼玉にて、新社長の顔写真入で紙面のスペースを割いて大きく報道をした。これは自社の人事を報道をする埼玉新聞でさえわずかに報道した程度で新社長の顔写真は入れていないのとは対照的である。

虚偽記事掲載問題

2005年(平成17年)10月22日の同紙地域面のページに掲載された杉戸町の運動会に関連する記事が実際には行われていなかったため、虚偽のものであることが判明した。杉戸町では当初同年10月9日に町民運動会を開催する予定だったが雨天のため取りやめとなり、またその予備日(延期日)も設定されていなかった。

しかし同紙の当時29歳だった県東部総局の記者が開催されたかどうか確認を取らないまま、杉戸町から事前に配布された資料を基にして運動会に関する記事を執筆し写真も2004年(平成16年)のものを使用して掲載。更に町民のコメントまで掲載していた。これを見た杉戸町の関係者らからの抗議で実際には開催されていなかったため、虚偽のものであることが発覚。あくる10月23日付の同紙で訂正を掲載した。

その後11月3日、同紙は編集局長の更迭、社長が兼務した編集主幹の役職を解くなどの人事を発表し改めて掲載の経緯などをまとめた訂正・謝罪コメントを同日付朝刊に載せた。また問題の記事を執筆した記者も依願退職している。

『らき☆すた』とのコラボレーション企画

2009年(平成21年)1月1日、埼玉新聞の第2部『サイタマニアでいこう! 県内ちょっと変わった観光案内』に、埼玉県を舞台とした美水かがみ幸手市出身)の4コマ漫画およびそれを原作としたアニメ『らき☆すた』が2ページにわたり特集され、ファンと町民との交流が紹介されたほか、美水かがみへのインタビュー、書き下ろしの新作が掲載された。また、当日から3日間、鷲宮神社への初詣参拝者に、第2部のみを表紙の写真を鷲宮(現久喜市)周辺の物に差し替えた「鷲宮限定特別版」を販売した。

この特別紙面に、県外からの問い合わせが殺到して、「鷲宮限定特別版」の郵送販売に踏み切り、発行部数金額(記事+送料代)分の切手と住所、氏名、発行部数を書いたメモ書きを封筒に入れることで、全国に発送された。

この企画が好評となり10月8日、埼玉新聞の創刊65周年を記念して、『らき☆すた』と角川書店のコラボレーション企画として、『創刊65th 埼玉新聞 らき☆すた COLLABORATION らき☆すた in サイタマ』を発行した(当日の紙面は本紙・埼玉新聞と埼玉県の65年を振り返った第2部とあわせて3部構成の特別版となっていた)。

内容は、埼玉県を舞台にした漫画映画の紹介、上田清司埼玉県知事と『らき☆すた』のキャラクターとの談話、『らき☆すた』のオープニングの舞台となった4つの『聖地』を巡礼する記事、同作品に登場する柊かがみ役を担当した加藤英美里・柊つかさ役を担当した福原香織の2人へのインタビュー、書き下ろしの新作、埼玉のB級グルメなどを紹介している。

この紙面と連動して埼玉新聞と『らき☆すた』がコラボレーションをしたグッズ(ねんどろいどフィギュア、限定Tシャツ)を10月10日に、全国47都道府県の新聞社が加盟する『よんななクラブ(47CLUB)』で販売、予約受付を行った。

なお、この特別紙面も、『サイタマニア〜』と同様の方法で、全国に発送された(ただし、関東地方以外の多くの地域では体育の日関連での3連休が重なり、大幅に発送が遅れる場合もあった)ほか、『らき☆すた』の掲載誌であるコンプティーク角川書店)2009年11月号にサイズを縮小し広告を差し替えた上で付録としてつけられた。

その後も2009年平成21年)12月31日に、『鷲宮特別版 らき☆すた 交流祭』を発行し、泉こなた役を担当した平野綾へのインタビュー記事を1面に掲載し、当日から2010年1月3日までの4日間、鷲宮神社への初詣参拝者に、広告を差し替えた上で「鷲宮限定特別版」を無料で配布した。

さらに2010年(平成22年)4月1日に、月1回『らき☆すた』の連載を開始することを社告で発表。これにあわせて予告版としての新作を掲載した。 連載は、同月25日から毎月最終日曜にサブカルチャーに特化した特集紙面『月刊サイタマニア』で開始し、2011年2月27日まで[3]連載された。2011年4月以降は、企画に連動した形で不定期に掲載(2011年は8月と12月に掲載)している。

2012年7月7日には『月刊サイタマニア』臨時号外を発行し、鷲宮神社周辺で「柊姉妹誕生日」のために訪れたファンに無料で配布した。

この他、毎年9月に行われる鷲宮神社の土師祭には2010年より、鷲宮[4]・幸手両商工会で共同で行われているスタンプラリー・『らっきー☆すたんぷらりー』に同年12月31日からの開始分より主催社として参加している。

ほぼ月刊サイタマニア

2010年4月より毎月最終日曜日(12月は31日)に発行されている、埼玉のサブカルチャーに特化した特集紙面。4月、5月はプレ版として2ページ建てで開始し、6月より4ページ建てで掲載されるようになる。2012年4月から一時休刊していたが、8月から再開したものの、不定期発行していくために11月から「ほぼ」の2文字が加えられている。

開始の経緯から、『らき☆すた』にまつわる内容が中心となっているが、埼玉県に関する作品やサブカルチャー、ゆるキャラなどを取り上げており、声優などのインタビュー記事も掲載されている。特に埼玉県を舞台としたアニメ作品は、大々的に紙面を割いて紹介している。

最初に紹介したのは、上尾市を舞台のモデルとした桜井のりお(上尾市出身)のギャグ漫画およびそれを原作としたアニメ『みつどもえ』だった。この作品については、5月に桜井への、9月には丸井みつば役を担当した高垣彩陽・丸井ふたば役を担当した明坂聡美・丸井ひとは役を担当した戸松遥の3人へのインタビュー記事が掲載されたほか、12月では『鷲宮特別版』として『らき☆すた』との出版社[5]の枠を超えたコラボレーションが実現した特別版となり、書き下ろしのイラストや4コマ漫画も掲載され、掲載当日の31日から2011年1月3日までの4日間、鷲宮神社への初詣参拝者にも『鷲宮特別版』を無料で配布した。

また2011年4月からは秩父市を舞台のモデルとしたアニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』に関する特集を断続的に掲載、2011年12月は『県内2大アニメ聖地特集』と題して鷲宮・秩父のアニメ聖地を徹底検証し、掲載当日の31日から2012年1月3日までの4日間、鷲宮神社と定林寺(1月1日まで)への初詣参拝者に無料配布を行った。

また、2010年7月16日には紙面と連動した携帯電話サイト・「モバイルサイタマニア」を開設し、『らき☆すた』のキャラクターによる埼玉の観光情報、埼玉のゆるキャラを使った待ち受け画面やデコメ素材、紙面で掲載されたインタビュー記事の再録や携帯サイト独自記事などを配信していたが、2011年7月1日から「モバイルサイタマニア」をAndroid用アプリに発展させた「サイタマニア電子版」として配信を始めたために、7月31日で「モバイルサイタマニア」のサービスを終了している。

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関連した人物

浦和レッズのマッチデープログラムMDP)編集長である清尾淳は、2004年(平成16年)まで同社に勤務していた。2005年(平成17年)からは浦和レッズが直接編集を行う形になり、埼玉新聞の手を離れている。清尾は同年に埼玉新聞を退職しフリーランスとなったが、以前と変わらぬ立ち位置でMDPを作成している。

テレビ・ラジオ欄

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所在地

脚注

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関連項目

外部リンク

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  1. 『新編埼玉県史 通史編7』p996-999。
  2. 題字は、書家手島右卿揮毫1972年(昭和47年)5月から使用。埼玉新聞社題字
  3. 当初は3月27日までだったが、当日の月刊サイタマニアが東日本大震災に伴う特別紙面体制により休載したために、繰上げ終了となった。
  4. 久喜市商工会との合併により、2013年12月1日より久喜市商工会鷲宮支所に改称。
  5. 『らき☆すた』は角川書店、『みつどもえ』は秋田書店が版権を所有している。
  6. ラジオ日本は法令上は神奈川県の県域放送だが、埼玉県を含む関東平野一円で聴取可能である。