土屋ジョー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox

土屋 ジョー(つちや ジョー、男性、1972年12月17日 - )は、日本のプロキックボクサープロボクサー静岡県沼津市出身。8冠王5階級制覇(全日本バンタム、WKA世界バンタム、WMAF世界スーパーバンタム、UKF世界スーパーバンタム級、UKF世界スーパーフェザー級、UKF世界フェザー級、UKF USライト級、2009パタヤシティー58Kg級)を達成。

日本のキックボクサーとしては数少ないプロボクサー挑戦者である(一時的にキックを中断し大橋スポーツジムに所属していた)。黒のサングラスに赤い薔薇をくわえて入場していた。

来歴

アマチュア時代

沼津東高等学校卒業。高校在学時に極真空手を経験し幾つかの大会で入賞。東海大学卒業、大学在学時は体育会キックボクシング部所属。主将も務める。在学時にプロ転向。

プロ転向後

  • 1998年1月30日 - アントニー・エルカイム(フランス / 同級1位)との王座決定戦で1R0:45 KO勝ちしWKA世界ムエタイバンタム級王座を獲得。タイトルを奪取後、オレンジ色のベンツの側面にキックボクサーと文字を入れ、笑いを誘う。
  • 1998年9月19日 - 全日本キックMA日本キックの合同大会でMA日本バンタム級王者のラビット関と対戦。殺気を漂わせた攻撃スタイルで関を圧倒し、5R判定勝ちする。
  • 1998年11月14日 - シュートボクシング「GROUND ZERO」でランバー・ソムデートM16と対戦。1R目にスタンディングダウンを奪われると、右フックをもらい再びダウンしKO負けを喫した。
  • 2000年3月20日 - 「COMBAT-2000」で行われたWMAF世界スーパーバンタム級王座決定戦でダニエル・ヤマキ(フランス / 同級2位)と対戦。5R判定2-0で下し王座獲得。
  • 2000年5月26日 - 「第3回梶原一騎杯キックガッツ2000 COMBAT-2000」に参戦。55kg級トーナメント準決勝でラビット関(MA日本スーパーバンタム級王者)と再戦。延長判定1-2で敗れ敗退した。この試合後、ボクシングに転向を表明。大橋スポーツジムでトレーニングし、8月1日のプロテストを受け、合格した[1]
  • 2002年10月27日 - 対戦相手が2度もキャンセルし、試合中止になる。最初に予定されていたビリー・ザ・キッド(IKKCアメリカバンタム級王者)が18日に背中を痛め来日不可能となり、さらに変更された相手相手のHAWK(アメリカ)もスタッフと共に失踪するという前代未聞の事件をおこしたため、グライガンワーン(タイ)との2分2Rのエキシビションマッチを披露するに留まった。
  • 2003年4月1日 - 東京の板橋区立産文ホールで「JOE TSUCHIYA PRESENTS -REINCARNATION-」を開催。ハンマーシャーク・カイル・タカオ(アメリカ)と対戦。1R2:21KO勝ちを収めた。膝蹴りで最初のダウンを奪うと、パンチで2度目、ローキックで3度目のダウンを奪った。
  • 2003年6月13日 - アメリカオクラホマ州タルサ市のグリーンウッドセンターで行われたデル・クック主催の興行で、アレックス・アーネルとUKF世界スーパーバンタム級王座決定戦を行い、1RKO勝ちで王座を奪取した。
  • 2004年9月19日 - UKF世界フェザー級王者決定戦でジョセフ・アーナル(アメリカ / 同級1位)と対戦。1R0分52秒KO(3ダウン)勝ちし新王者になる。

戦績

  • アマチュアキックボクシング:不明
  • プロキックボクシング:38戦 27勝 21KO 9敗 1分 1無効試合

テンプレート:Fightstatstop テンプレート:Fightstatscont テンプレート:Fightstatscont テンプレート:Fightstatscont テンプレート:Fightstatscont テンプレート:Fightstatsbottom

  • プロボクシング:4戦 2勝 2敗

テンプレート:Fightstatstop テンプレート:Fightstatscont テンプレート:Fightstatscont テンプレート:Fightstatscont テンプレート:Fightstatscont テンプレート:Fightstatsbottom

獲得タイトル

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:Championshiptitle

テンプレート:Boxing-bio-stub
  1. 土屋ジョー、ボクシングプロテスト合格 BoutReview 2000年8月1日