回向院

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回向院(えこういん)は、東京都墨田区両国二丁目にある浄土宗の寺、および、過去にその別院であった東京都荒川区南千住五丁目にある寺のこと。

墨田区の回向院周辺は処刑場だったが江戸時代、別館の荒川区に移っている。

両国回向院

テンプレート:日本の寺院 東京都墨田区両国二丁目にある寺。山号は諸宗山。正称は諸宗山(一時期、国豊山と称す)無縁寺回向院。寺院の山門には諸宗山回向院とある。本所(ほんじょ)回向院とも。

振袖火事(ふりそでかじ)と呼ばれる明暦の大火1657年明暦3年))の焼死者10万8千人を幕命(当時の将軍は徳川家綱)によって葬った万人塚が始まり。のちに安政大地震をはじめ、水死者や焼死者・刑死者など横死者の無縁仏も埋葬する。あらゆる宗派だけでなく人、動物すべての生あるものを供養するという理念から、軍用犬軍馬慰霊碑や犬猫供養等塔、ペットの墓も多数ある。 江戸三十三箇所観音参りの第4番札所であり[1]、この馬頭観世音菩薩も徳川家綱の愛馬を供養した事に由来している。

著名人のとして、山東京伝竹本義太夫鼠小僧次郎吉など。 参拝客のために両国橋が架けられた。

1781年(天明元年)以降には、境内で勧進相撲が興行された。これが今日の大相撲の起源となり、1909年明治42年)旧両国国技館が建てられるに至った。国技館建設までの時代の相撲を指して「回向院相撲」と呼ぶこともある。1936年昭和11年)1月には大日本相撲協会が物故力士や年寄の霊を祀る「力塚」を建立した。

南千住回向院

テンプレート:日本の寺院 東京都荒川区南千住五丁目にある寺で、過去は両国回向院の別院。現在は独立して正称は豊国山(ほうこくさん)回向院。小塚原回向院とも。

1651年慶安4年)に新設された小塚原(こづかっぱら、こづかはら)刑場での刑死者を供養するため、1667年寛文7年)に本所回向院の住職弟誉義観(ていよ・ぎかん)が常行堂を創建したことに始まる。

この寺には、安政の大獄により刑死した橋本左内吉田松陰頼三樹三郎ら、また「毒婦」と云われた高橋お伝などの歴史上の有名人物が葬られている。

1771年明和8年)に蘭学杉田玄白中川淳庵前野良沢らが刑死者の解剖(腑分け/ふわけ)に立ち合ったことを記念した観臓記念碑(建立は1922年)がある。

戦後の代表的な誘拐事件の通称「吉展ちゃん事件」の犠牲者村越吉展ちゃん(当時4歳)の供養のために建立された「吉展地蔵尊(よしのぶじぞうそん)」がこの寺の入り口にある。

この寺は常磐線沿線にあり、鉄道敷設の際に南北に分断される。その後分断された南側部分が独立して延命寺となる。

延命寺敷地内には3.6m余の延命地蔵尊(俗称は首切り地蔵)がある。(2011年3月11日に起きた震災で左上腕部分接合部の破損が確認されたため、現在は解体され補修工事待ち)

2006年に全改装工事済(会館・永代供養塔の新設及び墓地内改装)

脚注

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  1. 「江戸砂子拾遺」によると、享保年中の「江戸三十三観音」では二十六番札所と記されている

関連項目

外部リンク