原田さとみ

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原田 さとみ(はらだ さとみ、本名:原田 有紀枝(はらだ ゆきえ)[1]1967年1月7日[1] - )は、中京圏を拠点に活動するローカルタレントエシカルコーディネーター実業家、元ファッションモデル愛知県大府市出身[1]愛知県立横須賀高等学校卒業、椙山女学園大学短期大学部文学科卒業[2]。血液型A型[1]

来歴

短大在学中の1987年にモデルデビュー。以来、2010年に会社を興すまでセントラルジャパン(旧・名古屋セントラルファッション)に所属していた。短大卒業後は1年間OLをしていたが、退職してモデル活動に専念するようになる。

その後、名古屋ローカルのテレビ番組『ラジオDEごめん』に嘉門達夫のアシスタントとして出演したことで中京圏で広く知られるようになり、以後はタレントとしてのオファーも舞い込むようになった。番組からの繋がりで嘉門とデュエット曲CDを出したことがあり、また、全国ネットで放送された嘉門のCD宣伝特番で司会を務めたこともある。本業のモデル活動においても月刊誌『H・P』の表紙モデルほか各種媒体で活躍し、一時期はテレビCMにも出演していた。『ラジごめII金曜日の王様』出演期あたりからは、久屋大通公園ロサンゼルス広場などで「パリの古着屋さん」という古着販売個人イベントを主催するようにもなった[1]

1995年3月に結婚[1]。語学留学のために一時期フランスに滞在した後、1999年8月に名古屋市中区長屋通りで自身のセレクトショップ「ペネロープ・パリ・ペティヨン」を創業した。以来、実妹とともに店を経営しつつ、エシカルファッションの提案とフェアトレードの推進、および名古屋の活性化をテーマに様々な活動を展開中。具体的な活動内容としては、ストリートファッションショーやオープンカフェイベントの企画、在名のNPO法人独立行政法人などが主催する講演への参加、育児雑誌での連載などがある。また、第1子出産のために2000年から休業していたタレント活動も2005年4月に再開した。

10年間経営し続けていたペネロープ・パリ・ペティヨンは2009年7月をもって円満閉店し、以後は自身が提案するテーマの推進活動の場「エシカル・ペネロープ」にその機能を集約させている。また、長年所属していたセントラルジャパンから独立し、2010年7月にエシカル・ペネロープを株式会社化[3]。以後は同社を通してタレント活動を行っている。2011年4月には、エシカルファッションの提案をコンセプトとする新セレクトショップ「エシカル・ペネロープ」を名古屋テレビ塔の1階にオープン[4]。さらに同年11月には、2号店の「エシカル・ペネロープ・ナディア」をナディアパークデザインセンタービルの4階にオープンした[5]。いずれも当初は期間限定営業の予定だったが、後に期間が延長された(ナディア店は2012年11月まで営業、本店はその後も営業中)。

出演

テレビ番組

ラジオ番組

CM・広告

ビデオ

ディスコグラフィ

執筆

  • 映画評論[1]
  • 原田さとみのくらし a ma mode (2004年 - 2005年、双双編集『はっぴーママ東海版』連載)
  • さとみ日和(2006年 - 2007年、中部電力生活情報サイト『link chuden ヒネモス』連載)
  • 原田さとみの in my life (2010年 - 2011年、中日新聞毎月第2金曜発行分連載)
  • 原田さとみのエシカルでいきましょ(2011年 - 2013年、中日新聞毎月第1土曜発行分折込冊子『Risa』連載)
  • エシカル・ライフでここちよい暮らしを! (2011年 - 2012年、プロトコーポレーション注文住宅検索サイト『グーホーム』連載)

その他の主な活動

脚注

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外部リンク

  • 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 テンプレート:Cite interview
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  • 同特番のオープニングトーク中に嘉門が発言した内容より。ただし、この特番はキー局の日本テレビでは放送されていない。
  • 『ラジごめII金曜日の王様』1992年7月3日放送分のオープニングトーク中に嘉門と原田が交わした会話より。
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