危険負担

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Ambox 危険負担(きけんふたん、英語:risk of loss)とは、双務契約において債務者の責めに帰すべき事由によらず債務が履行できなくなった場合に、それと対価的関係にある債務(反対債務)も消滅するか否かという存続上の牽連関係(けんれんかんけい)の問題である。以下、日本の法律に基づいて説明する。

なお、債務者の責めに帰すべき事由による場合は、債務不履行の問題となる。

  • 民法について以下では、条数のみ記載する。

危険負担が問題となる場面

まずは危険負担がどのような場合に問題になるのか、2つの事例に沿って見ていく。

  1. 歌手であるAはBが主催するイベントに100万円で出演する契約を結んだ。このときAはBに対してイベントに出演するという債務を負っており、BはAに対して100万円の代金支払債務を負っている。ところがイベント当日になって台風でステージが倒壊し、イベントを行うことができなくなってしまった。
  2. AはBに軽井沢の別荘を3000万円で売却する契約を結んだ。このときAはBに対して別荘の引渡債務を負っており、BはAに対して3000万円の代金支払債務を負っている。ところが、別荘の鍵を渡して登記を移転する(つまり別荘を引き渡す)日の前日、落雷による火事でこの別荘が全焼してしまった。

どちらの場合においてもABの間には双務契約があり、AのBに対する債務が債務者Aの与り知らない理由で履行することが不可能となってしまっている(なお、債務者に原因がある場合については債務不履行を参照)。債務の履行が不可能であるから債務は消滅することになる。しかし消滅した債務と対価関係にあった債務はどうなるのか、という問題が残る。これをどう処理するのかが危険負担の問題である。

民法上の原則

債務者主義

日本の民法は、ある債務が消滅することによって生じる結果のリスク(危険)は、その債務の債務者が負う(危険を負担する)という原則を採用している(536条1項)。これを債務者主義という[1]

上記1の例のような場合(特定物に関する物権の設定または移転以外を目的とする双務契約)に適用され、歌手Aのイベントに出演するという債務が消滅し、これと対価関係にあるBの代金支払債務も消滅する。これによって消滅した債務の債務者(歌手A)は、本来ならば受け取れたはずの出演料(代金)を受け取れない、という意味でリスクを負担したことになる。

例外としての債権者主義

民法は、次のような場合には、例外として債権者主義(債権者が履行不能の危険を負担する)をとる。

  1. 特定物についての物権の設定移転の場合(534条1項)[2]
  2. 停止条件付双務契約の目的物が債務者の責めに帰することができない事由によって損傷した場合(535条2項)
  3. 債務や物の消滅について債権者に帰責性がある場合(536条2項)

上記2の例でいえば、買主Bが引渡し前に下見をした際に失火して、Aの別荘が消滅すれば、別荘引渡債務の債権者であるBの代金支払債務は存続する。このため、引渡債務の債権者Bは債務者Aから別荘の引渡しを受けられないにもかかわらず代金の3000万円は支払わなければならないという結論になる。この場合、消滅した債務の債権者(別荘の買主B)が、目的物が消滅したことによるリスクを負担したということになる。

危険の移転時期

上記のような危険(リスク)は、契約の対象が物の場合、所有権とともに移転すると考えられてきた。そして所有権は契約を結んだときに移転すると考えるのが通説であるから、ローマ法以来"casum sentit dominus"(所有者が危険を負担する)などの法格言により認められてきた原則により債権者主義が適用される。しかしこの原則は論理必然というわけではなく、さほど合理性があるわけでもない。しかもあまり妥当とは言えない結果を招くこともあるため(上記の例2がその典型)、契約や条文の解釈によって危険が移転する時期を遅らせようと試みられてきた。すなわち、上記はあくまで民法上の原則であり任意規定であるから、当事者の意思が優先する。危険負担が任意規定であると条文中に明記されてはいないが、危険負担に関する民法の規定自体が買主に不利であるため、特約が許されると考えられるからである。よって特約(契約)で(時には契約を解釈することで黙示的な合意を見出して)危険が移転する時期を遅らせることができる。また、危険が移転するのは目的物の支配可能性が移転したとき(引渡を受けるなどして現実に『自分の物』となったとき)であるというように条文を読み替えてしまうことで債権者主義の適用を回避する法解釈も提案されている。

代替物と危険負担

上記した二つの例では、売買契約の対象となっていた目的物は消滅してしまえば代わりの物を用意することができない不代替物(この場合、特定物と言い換えてもよい)だった。この場合、「その物を引き渡す」ことが引渡債務の内容である以上、目的物が消滅してしまったのだから「その物を引き渡す」ことは不可能となり、引渡債務は当然に消滅してしまう。ところが以下の例では債務の目的物が消滅しても、債務は消滅しない。

  1. 酒屋を営むAはBからビール1ダースの注文を受けた。このときAはBに対してビール1ダースを引き渡さなければならないという債務(引渡債務)を負い、BはAに対してビールの代金を支払わなければならないという債務(代金支払債務)を負ったことになる。用意を済ませたAはバイクに乗ってBの家までビールを届けにいった。しかしその途中、(Aの責によらない)事故で転倒してしまい、ビールはすべて粉々に粉砕されてしまった。

この場合、引渡債務の目的物であるビールが事故で粉々になってしまったが、引渡債務それ自体は消滅しないと考えられている。なぜならば、ビールのように代替性のある物は、ほかからまたビール1ダースを調達してくることができるのだから、その引渡債務が履行できなくなる(履行不能になる)ことは理論上あり得ない。よって危険負担の問題にはならない、というのである。もっとも、いつまでも代替物を調達してくる義務があるとされてしまっては債務者にとってあまりにも酷である。そのため、代替物であっても特定が生じていれば引渡債務が履行不能となり、危険負担の問題が起こりうる(534条2項)。

代償請求権

民法は危険負担の制度を設けているが、債権者主義が適用される場面(上記2の、別荘を売買したが焼失した例)において、現実には保険によって処理されることも多い。つまり、売主の引渡債務の目的物である不動産が焼失しても火災保険損害保険)に入っていれば保険金がおりる。このとき、本来なら危険を負担することになる債権者には、焼失した不動産の代わりにこの保険金を自己に引き渡すことを請求することができるという代償請求権が判決例によって認められている。これは、最終的には保険会社が危険を負担しているともいえる。

また、上記2の例において、契約当事者ではない第三者が放火したことによって別荘が焼失していた場合でも、売主(A)はその放火した者(加害者)に対して不法行為に基づく損害賠償請求権を取得するから、買主(B)はその債権を引き渡すこと(債権譲渡)や、それによって得た賠償金を引き渡すことを請求できる。この場合、最終的な危険は放火した第三者が負うことになる。

履行危険

上述してきた危険負担の内容は、双務契約で片方の債務が消滅した場合にもう片方の債務(反対債務)も消滅するのか、それとも存続するのかという「双務契約の牽連性(存続上の牽連性)の問題」であった。これに対して、何をすれば・どの時点で債務者は引渡債務を完了したことになるのか(いつ引渡債務は消滅するのか)という意味で「危険負担」という言葉が用いられることもある。上記した代替物であるビールの引渡債務がいつ消滅するのかという問題(代替物と危険負担の節を参照)がそれである。これは本来の意味での危険負担を論じる前段階である。よって両者を区別するため、この問題を履行危険と呼ぶ場合がある。国際取引契約におけるFOB(free on board、本船渡し)やCIF (cost, insurance and freight) において「舷側欄干通過時に危険が移転する」といわれることがある。これは貿易などにおいて品物が船積されるときに、その品物が船の欄干を通過した時点で売主は引渡債務を完了したことになる(よって船が沈没しても売主は再び品物を調達する必要はない)という意味であるが、ここでいう「危険」とは履行危険のことなのである。本来の意味での危険負担は、船が沈没して引渡債務が履行不能となった場合、反対債務である代金債権も消滅するのかどうかの問題であって、引渡債務が完了したかどうかという問題とは(密接に関わるものの)別の話である。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

双務契約における、成立上の牽連関係の問題。片方の債務が初めから実現不可能(原始的不能)な契約は成立しない(よってもう片方の債務も無効である)。
双務契約における、履行上の牽連関係の問題。片方の債務が履行されるまでは、もう片方の債務の履行をせずともよい。
  1. 「債権者主義」、「債務者主義」という場合の「債権者」、「債務者」とは、消滅した債務の債権者・債務者を基準としている。
  2. ただし、特定物の他人物売買の場合は、債務者主義を採る。確かに一見すると特定物売買であるため、債権者主義が適用されそうである。しかし、他人物売買で特定物が契約後に滅失した場合には、債権者は未だ所有者となっていないため、債権者に対して「所有者が危険を負担すべき」とはいえず、債権者主義の考えに合致しない。この事から特定物の他人物売買の場合は債務者主義を適用することになる。