南東北大学野球連盟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

南東北大学野球連盟(みなみとうほくだいがくやきゅうれんめい、英語表記はMINAMI TOHOKU UNIVERSITIES BASE BALL LEAGUE)とは、東北地方の南部3県(南東北)に所在している大学の硬式野球部(但し仙台六大学野球連盟所属校は除く)で構成された大学野球リーグである。全日本大学野球連盟の傘下団体。

略史

全国新制大学野球連盟の北海道と東北の全地域を対象にした北部地区に端を発しているが、後の全日本大学野球連盟の結成に伴い傘下の北部地区大学野球連盟として発足したのが始まり。その後、変遷を経て北部地区内に東北大学野球連盟を結成。北奥羽と南奥羽に分かれたリーグ戦を実施した。(東北大学野球連盟の創設に関しては詳細が不明だが、恐らく同地区内の仙台六大学野球連盟の誕生を機に仙台六大学以外のチームで東北大学連盟を編成したのではないかと思われる。)同じ北部地区内の仙台六大学野球連盟とは並立関係にあり、長らく両連盟間で1つの出場枠を代表決定戦で争った。

その後の全日本大学野球選手権大会の出場枠拡大で北部地区から出場枠が1増になる際、同様の例で通常見られるような地区内の東北と仙台六大学の両連盟が単純独立するのではなく、北部地区内を再編成することになり、東北大学野球連盟・南奥羽リーグは南奥羽大学野球連盟となり、仙台六大学とともに地区の統括組織としての南東北大学野球連盟(南東北地区)を編成した。数年後には南東北地区内の両連盟にもそれぞれ単独の出場枠が与えられ、この地区連盟も解消した。

南東北地区からの独立数年後には、北東北大学野球連盟側との命名イメージ上でバランスをとるために、かつて所属した地区連盟名と同じ南東北大学野球連盟に改名した。

因みに、南奥羽大学野球連盟が発足した当時宮城県内の所属校は皆無で、連盟側も宮城県内の大学は対象外という姿勢を持っており、そのため宮城県内からの初加盟となった石巻専修大学の加盟の際は相当な苦労を伴った。

一時は完全に拒否され、仙台六大学野球連盟にも加盟打診を行なったが許可されず、数年の間は社会人野球連盟加盟のチームとして活動しなくてはならなかった。その後の南奥羽連盟への度重なる加盟打診の結果、数年を経てようやく許可された。加盟当時も「宮城県内には会場設定しない旨了承のこと」等を条件提示されるなど強硬な反応を示された。現在は宮城県内の加盟校も1校増え試合会場も隔たり無く設定され、文字通り東北南部全域を対象としたリーグとして定着している。

※東北地域の他のリーグの詳細については、それぞれの当該連盟記事を参照の事。

沿革

※関連団体についても一部記述

運営方法

構成

加盟校数の関係から前シーズンの成績を基にした各部6校構成を基準に1部と2部に分けたブロック運営を行なっている。 最上位リーグを1部リーグ、下位リーグ2部と称する。

対戦方法

春季と秋季にそれぞれリーグ戦を実施。また各シーズン終了後に各部の間で入れ替え戦を実施する。

1部

春秋共に2回戦総当たりによる勝率制。(引き分けは再試合なので勝率には計上しない。)

※かつては2戦先勝式の勝ち点制を採っていたが、球場確保や運営上の困難さの理由から勝率制に変更された。 (勝ち点制:同一カードで先に2勝したほうが勝ち点1を獲得し、勝ち点が高いチームが上位とする。)

2部

1部と同方式(但し同一カード2戦連続ではなく1回戦総当りを2巡する方法)

順位決定方法

勝率制

当該チームの全勝数を引き分け数を除いた全試合数で割った数値(勝率)が高いチームを上位とする。 勝率が同じ場合は、優劣の決定が必要な場合に限り決定戦(プレイオフ)を行なう。 決定戦の成績はリーグ戦の成績に加算しない。

入れ替え戦

各部のリーグ戦の終了後に上位リーグの最下位校と下位リーグの優勝校との間で対戦を組み、勝者チームを次シーズンの上位リーグの所属とする。(敗者チームは次シーズンは下位リーグ所属となる。) 対戦方法は2戦先勝方式

2戦先勝方式

同一の対戦校に対して先に2勝したチームがその相手校との対戦に勝利したとして対戦を終了する。(1勝1敗の場合は第3戦を行い決着を付ける。)

試合会場

広いエリアに加盟大学が分散しているため、加盟大学の地元を開催場所として、各地の公共野球場を転戦して試合が実施されている。以下に1部リーグ戦で近年主に使用している球場を記す。

平野球場大熊球場向山球場石巻市民球場郡山総合運動場開成山野球場

加盟大学

1部リーグ

2部リーグ

外部リンク