千保川

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テンプレート:Infobox 河川 千保川(せんぼがわ)は、富山県高岡市を流れる一級河川小矢部川水系に属する。高岡市戸出町では「新川(しんかわ)」と呼ばれ、砺波市域では「舟戸口用水(ふなとぐちようすい)」と呼ばれている。

流路

庄川の扇状地扇頂部から取水し高岡市市街地の西側を流れ、高岡市四屋と高岡市木町の境界で小矢部川合流する。

歴史

江戸時代までは、庄川本流として豊富な水の量を誇る河川であった。流域では、高岡市1609年(慶長14年))、戸出町1617年(元和3年))などのが作られ発達した。1654年(承応3年)、加賀藩主・前田利常瑞龍寺の地を千保川によって削られた事を受け、千保川の水を現在の庄川の本流である中田川へ移すことを命じた。しかし、庄川の左岸の地域の住民の反対により、すぐには移されなかった。

1670年(寛文10年)、加賀藩主・前田綱紀は庄川の扇状地扇頂部の弁才天(現・雄神神社)前で千保川などの各分流を中田川へ一本化するという大工事を始めることとした。これは、大変な工事であり、1714年(正徳4年)に、44年の年月をかけて、ようやく完成した。これにより、現在の千保川の流域が確定した。

「新川」の語源

第二次世界大戦後まで、戸出ではこの川及びあたり一体を「しんかい」と呼んでいた。川原跡を新たに拓いた新開地という意味である。

この「しんかい」が訛り、新川(しんかわ)と呼ばれるようになったと考えられている。

戸出開町(1617年)の頃の千保川は、西は戸出公園から東は大清水神社(高岡市戸出大清水)までの川幅約800mの大河であった。古くは川原跡地であった戸出町1丁目住宅街は第二次世界大戦後に造られたものである。テンプレート:River-stub