北陸大学

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テンプレート:Infobox 北陸大学(ほくりくだいがく、テンプレート:Lang-en)は、石川県金沢市太陽が丘1-1に本部を置く日本私立大学である。1975年に設置された。大学の略称は北大(ほくだい)(北海道大学の略称と重複)。

概要

1975年に開学。学生数3,000人弱、教員約150人。金沢市郊外に位置する2学部(未来創造学部、薬学部)よりなる。

教育および研究

  • 薬学部は初代学長三浦孝次が開学式の式辞で述べているように、近代薬学の理論並びに実践教育に加えて東洋の文化遺産である中国の医薬の近代化研究の推進も目指して設立されたものである[1]
  • 未来創造学部に、クーバー・コーチング資格、JFA公認サッカーC級コーチライセンス、健康運動実践指導者受験資格などの資格が取得可能となる「スポーツエリートアカデミーサッカーI」が開設された。

学術フロンティア推進事業

2005年度(平成17年度)の文部科学省の学術フロンティア推進事業に薬学部の共同研究プログラムが選定され、学術フロンティアの活動として、特別講演、大学院セミナー、サテライトミーティングなどが開催された。

アルベス

教室での講義をコンピュータサーバーに収録蓄積し、インターネット上に配信することにより、翌日にはIDとパスワードがあれば、いつでもどこでも講義を学習できるシステムで、学習の効率化を目的に2004年度(平成16年度)より導入されている。 (RVES: Real Video Education System)

推薦入試

2006年(平成18年)から日本国内の全ての高等学校を指定校推薦対象校にして同推薦による合格者を大幅に増やして競合が急増する薬学部の学生確保を目指したが、全国の高等学校数が定員を大幅に上回る点を問題視する意見や「一方的に指定校にすると言われても、とまどうだけ」と不快感を表す関係者も出るなど議論を呼んだ[2]

学風および特色

建学の精神

  • 「自然を愛し、生命を尊び、真理を究める人間の形成」
    金沢が加賀前田藩の時代より医学・薬学の研鑽が深いことから、初代学長三浦孝次を中心に、総合大学を目指す第一歩として薬学部を設置し、薬学教育を始めた。昭和40年代の日本は戦後から蘇ったものの、深刻な公害・薬害が発生し大きな社会問題となっていた。そのため、薬学教育は従来の西洋医学中心から、今後は東洋医薬学をより積極的に取り入れるべきとの考えで、この建学の精神が生まれた。

理念

  • 「グローバルアイ」
    北陸大学が開学して10年を経たころから、日本の国際化が活発となったことから、第二の学部として、昭和62(1987)年に外国語学部を設置した。これを契機として、今後は眼を大きく見開き、海外、特に中国に向けねばならないとの考えから、この簡潔な言葉をもうひとつの理念とした。たとえ国家間の関係がどうであれ、中国を正しく理解する日本人と、日本を正しく理解する中国人を、一人でも多く育てるのが使命であるとの信念となっている。

国際交流

  • 充実した海外流制度や多くの海外姉妹校、協定校があり、海外へ留学する学生の比率は12.8%と高く全国第6位である。[3]
  • 大学の規模と比べて、外国人留学生を多く受け入れており、外国人留学生数は2010年度国内第23位である[4]
  • 特に中国からの留学生が多い[5]

沿革

昭和40年代に金沢工業大学金沢経済大学などが相次いで設立されたことに刺激されて金沢に薬科大学を創設しようと有志の会合が持たれ、1972年(昭和47年)1月に三浦孝次が代表となって金沢東洋医学研究懇話会(略称金東会)が発足したのが始まりである[1]

鵜飼貞二(元金沢大学薬学部長、元静岡薬科大学長)や日本薬剤師協会長、文部省などに相談したところ認可が下りそうであったため、学校法人金東学園金沢薬科大学として設立準備を進めることとなって教員の人選や創設資金のなどに取り組んだが実現は困難な状況となった[1]

こうした状況に対応するため、三浦は田中嘉太郎とともに金沢東洋医学研究懇話会を脱会して、今度は隣県富山県出身の政治家で1971年(昭和46年)8月に死去した松村謙三を記念する松村謙三教育財団を設立してこれをバックに松村謙三と結び付きが深かった田川誠一にも協力を仰いで日本海大学としての設立を目指したが、こちらも日の目を見なかった[1]

そこで1973年(昭和48年)2月17日に今度は元金沢市長徳田与吉郎に経緯などを説明して助力を求めたところ徳田が翌日東京へ行って元国務大臣の林屋亀次郎に依頼し[1]、その際に秘書だった北元喜雄(後の当学校法人理事長[6])が資金面と経営の可能性があると答えて協力を快諾したため[1]、同年4月に林屋を委員長として学校法人松雲学園設立準備委員会を発足させ[1]1975年(昭和50年)に学校法人松雲学園により北陸大学の開学が実現した[1]

学校法人松雲学園初代理事長を林屋亀次郎が努め、三浦孝次が初代が学長であった[1]

1975年4月に薬学部だけをもつ単科大学として開学された後、ついで1979年に大学院薬学研究科、1987年に外国語学部、1992年に法学部が開設された[7]。2004年には外国語学部および法学部を改組して未来創造学部が開設され、2006年に薬学部が4年制から6年制に移行された[8]

年表

  • 1975年(昭和50年) - 北陸大学(薬学部)が開学する。
  • 1979年(昭和54年) - 大学院薬学研究科(修士課程)を開設する。
  • 1983年(昭和58年) - 大学院薬学研究科(博士課程)を開設する。
  • 1987年(昭和62年) - 外国語学部を増設する。
  • 1992年(平成 4年) - 法学部を増設する。
  • 1993年(平成 5年) - 国際交流室(現国際交流センター)を開設する。Clever House(ライブラリーセンター)、Sound Track(スポーツセンター)が完成。
  • 1994年(平成 6年) - 留学生別科を開設する。
  • 1999年(平成11年) - エクステンションセンターを開設する。The Child-Wood(コミュニティーハウス)が完成。
  • 2000年(平成12年) - 北陸大学オープン大学が開設する。情報センターが開設する。
  • 2003年(平成15年) - 東アジア総合研究所開設
  • 2004年(平成16年) - 外国語学部と法学部を未来創造学部に改組する[9]。教育能力開発センターを開設する。
  • 2006年(平成18年) - 薬学部が5年制から6年制に移行する[9]。北陸大学孔子学院が開校する。
  • 2007年(平成19年) - フットボールコートが完成する。
  • 2008年(平成20年) - フットボールパーククラブハウスが完成する。

基礎データ

所在地

  • 太陽が丘キャンパス(〒920-1180 石川県金沢市太陽が丘1-1)
  • 薬学キャンパス(〒920-1181 石川県金沢市金川町ホ3)

象徴

  • マスコットキャラクターは、ニュートンくんのほかアインシュタイン博士コロンブス孔子レオナルドダヴィンチである。
  • イメージソングのタイトルは、デイライトである。作詞作曲は、一十三十一(ヒトミトイ)。

教育および研究

教育組織

  • 薬学部 - 薬学科(6年制)
  • 未来創造学部 - 国際マネジメント学科、国際教養学科
  • 大学院薬学研究科
  • 留学生別科
  • 国際交流センター
  • 情報センター
  • 北陸大学孔子学院
  • 北陸大学オープン大学

学部

  • 薬学部
    • 薬学科
    2006年(平成18年)から全国的な薬学部の6年制移行に伴って本学も6年制移行へ移行した。北陸地方の医療界、病院や薬局の臨床面での協力のもと「臨床に係る実践的な能力をもつ薬剤師」の養成を使命とし、更に専門的な能力を身に付け医療界に貢献することが目的としている。なお、5、6年次生には特色となるコース別演習がある(東洋医薬学コース、健康医薬学コース及び高度医療薬剤師コースの3コース)。高い実践的能力や先進的知識を持つ薬剤師を養成することによって、地方の薬剤師養成拠点として貢献していくことを目指している。
  • 未来創造学部
    • 国際マネジメント学科
    • 国際教養学科
    2004年(平成16年)にスタートした未来創造学部は国際教養学科と国際マネジメント学科の2学科からなる。グローバルアイの精神のもと、両学科とも英語または中国語のコミュニケーション能力と、国際的な視野を身に付けることが基本となっている。中国を始め海外研修の機会も多くある。国際教養学科は、文字通り幅広く豊かな教養を身に付けることを目的としてる。国際マネジメント学科は、法律知識を踏まえて国際社会におけるマネジメント学を学ぶ。実践的ないくつかのコースもあり、両学科とも、各学年に演習又はゼミナールをおき、担当教員と相互にかつ日常的に対話しつつ4年間を送り、人間形成に努めるとともにまた個性に応じた進路指導を行っている。

大学院

  • 薬学研究科
    薬学研究科は4専攻分野20学科目からなっている。
    1. 薬剤薬効学(薬剤学、薬理学、薬物治療学、臨床薬学、臨床薬剤学、臨床薬理学)
    2. 医薬品化学(創薬科学、生薬学、薬品物理化学、生物薬品化学)
    3. 生体機能薬学(生化学、臨床化学、生体防御薬学、生命情報科学、病態生理化学)
    4. 健康薬学(衛生化学、環境健康学、薬品分析学、代替医療薬学、放射性薬品学)

別科

  • 留学生別科

附属機関

  • 研究所・センター
    • 東アジア総合研究所
    • 教育能力開発センター
    • 国際交流センター
    • 情報センター
  • 薬局
    • ほがらか薬局
  • 図書館
    • ライブラリセンター
  • オープン大学
  • 北陸大学孔子学院

学生生活

クラブ活動・サークル活動

27の体育会系クラブ・サークルと16の文化系クラブ・サークルが活動している。 代表的な体育会系クラブ

  • アイスホッケー部(インカレ常連、国体出場選手多数)
  • 柔道部(インカレ常連)
  • 男子サッカー部(総理大臣杯出場・ドイツ1部フォルトナ・デュッセルドルフと提携)
  • 女子サッカー部(インカレ常連)
  • 男子卓球部(インカレ常連)
  • 硬式野球部
  • アーチェリー部(国体出場選手輩出)
  • 自転車競技部(インカレ、国体)

学園祭

北陸大学の大学祭は「北大祭」と呼ばれ、学園祭実行委員会が企画・準備・運営等を行っている。

スポーツ

  • アイスホッケー部とサッカー部(男女)が団体競技としては強く、地元はもとより各都道府県の国体選手を多く輩出している。
    • アイスホッケーは10年以上連続して北陸、信越地区で優勝をし、インカレの代表として関東の強豪大学と対戦している。元日本リーグの雪印乳業で活躍した大野直人監督による指導強化が確実に実を結んでいる。
    • サッカー部は男女とも地域の優勝候補で、女子サッカー部がいち早くインカレ出場を果たし全国に名を連ねることになったが、男子サッカー部は元日本代表の越田剛史監督による指導と、ドイツブンデスリーグ1部のフォルトナ・デュッセルドルフとの提携により強化育成が図られている。
    • 現在サッカー部は男子トップチーム(北信越大学サッカーリーグ)のほか、サテライト相当のものとしてFC北陸と北陸大学フューチャーズを結成し、いずれもインディペンデント・リーグに参加しているほか、社会人クラブチームの扱いとして北信越フットボールリーグ(FC北陸=1部、フューチャーズ=2部)にも出場している。女子チームもある。
  • その他にもインカレ常連クラブとして、卓球部(男子)、柔道部(男子)がある。
  • 個人競技では自転車競技やアーチェリー、トランポリンにおいて国体レベルの選出が生まれている。トランポリンの湊和代選手(2012年3月未来創造学部卒)は惜しくもロンドンオリンピック代表にもれたが世界レベルの選手である。

大学関係者と組織

大学関係者組織

  • 北陸大学同窓会
  • 薬友会(薬学部の同窓会)
  • 北法会(法学部の同窓会)
  • 北陽会(外国語学部の同窓会)
  • 北創会(未来創造学部の同窓会)

大学関係者一覧

施設

キャンパス

太陽が丘キャンパス

  • 交通アクセス:JR西日本北陸本線金沢駅下車、北陸鉄道グループバス北陸大学行にて北陸大学下車。
  • 太陽が丘1号棟
    軽食堂「MOGU MOGU」などがある。
  • 太陽が丘2号棟
    カフェテリア、売店「COME ON」などがある。
  • コミュニティハウス
    教室、オープンカフェ「コミュニティーカフェ」、屋外ステージ、音楽スタジオ、シャワーハウス、囲炉裏の間などがある。
  • コミュニティハウス別館和室棟
  • サウンドトラック
    北陸大学のスポーツセンター。スイミングプール、トレーニングジム、スタジオ、ランニングロードなどがある。またスポーツ教室も行っている。
  • フットボールパーク
    ツエーゲン金沢の練習拠点ともなっている。
  • 北陸大学附属太陽ほがらか薬局(近隣の太陽が丘地内にある)

薬学キャンパス

  • 交通アクセス:JR西日本北陸本線金沢駅下車、北陸鉄道グループバス北陸大学行にて北陸大学薬学部下車。
  • 第1薬学棟
  • 第2薬学棟
  • 薬学本部棟
  • 実験科学棟
  • ライブラリセンター CLEVER house
  • マイカフェ
    薬学キャンパスのカフェテリア
  • アネックスファーム
    講義室、レストラン、シアター、うぐいすラウンジ(囲炉裏のあるラウンジ)などがある。
  • 体育館
    バスケットボール、バレーボール、ハンドボールで2面、バドミントンで6面とることができる。男女更衣室、シャワー室を完備している。2階は柔道部、空手部などが使用する武道場がある。
  • PTR(Pharmacy Training Room)
  • MTR(Medical Training Room)
  • 薬用植物園

  • 松雲会館(男子専用)
  • ドームひまわりの家(女子専用)

セミナーハウス

  • 山中町セミナーハウス

その他

  • 教養別館 林鐘庵
    林屋亀次郎の旧邸宅。歴代の首相のみ見学が許可された。庭の「林鐘庭」という名称は、横山大観が来庭したときに命名された。教養別館には立派な庭園があり、加賀藩時代から「五人扶持の松」と呼ばれている銘木があり、林屋亀次郎に由来する北陸大学のシンボルとなっている。

対外関係

他大学との協定

海外協定校

その他

運営上の問題と行政指導や裁判など

1996年(平成8年)5月に体育館の増築計画に2階部分が含まれていなかった虚偽の報告が指摘されて修正申告をしたが、翌年1997年(平成9年)3月18日には同工事の建設費を関連会社に負担させていたにもかかわらず大学側で負担したとの虚偽の申告を行い、2度続けて虚偽報告をしたとして監督官庁の文部省から行政指導を受けた[10]

文部省はこの行政指導の際には前述の工事に関する問題のみではなく、(1)理事会などの運営体制の見直しと法人の管理・運営の適正化、(2)理事会と教授会の協力関係の確立、(3)内部監査の強化、(4)諸規定の整備、(5)事務処理体制の改善・充実・強化の5項目の改善を要求し、大学の公共性を鑑みるよう指導していた[10]

しかし、行政指導に対応した改善が見られないとして同年9月初めに、(1)理事会などの運営体制の見直しと法人の管理・運営の適正化、(2)理事会と教授会の協力関係の確立、(3)経理内容の公開などの改善を要求する2度目の行政指導が行われる[11]など改善は遅々として進まず、これと並行して教職員の休日出勤などに対する割増賃金の未払いを支払うように金沢労働基準監督署からも是正勧告を受けて約2000万円を支払う[9]など行政指導が相次いだ。

そのため、1998年(平成10年)2月19日には北元喜朗理事長の退任を求める本学の学生681人の署名が文部大臣宛で提出されたり[12]2000年(平成12年)9月14日に当時法学部長だった[13]初谷良彦が[14]日本刀をのど元数センチまで近づけられて学部長と教授を辞めるように脅されたとして同年12月27日に金沢地方裁判所に訴えを起こし[13]、また同事件に関連して「辞職願は自分の意志に基づくものではなかった」として教授職の地位保全を求める仮処分を求めた訴えについて同地方裁判所が2001年(平成13年)1月16日に地位保全を命じたものの大学側が「地裁の決定は雇用契約上の地位を有することを仮に定めたにすぎず、授業担当や研究室の使用については必要を認めていない。授業担当については新しい態勢を継続したい。」として同氏の授業復帰を認めず[14]、同氏が元々担当していた授業を受けることを希望した学生が背後から羽交い締めにされて教室の外に出された際にけがをする傷害事件まで発生するなど混乱が続いた[15]

また、2009年(平成21年)秋から理事長報酬を月280万円台から380万円台に昇給していたものを2010年(平成22年)5月には教職員ら学内の反発や文部科学省の調査と「高額すぎる報酬は好ましくない」との見解を受けて元に戻す[5]一方で、2007年(平成19年)2月から2009年(平成21年)1月の教職員の休日出勤などに対する割増賃金の未払いを支払うように金沢労働基準監督署の是正勧告を受けて1000万円以上を支払う[9]など近年も運営を巡る教職員と理事長らとの混乱は収まっていない。

2007年(平成19年)3月31日には未来創造学部田村光彰教授とライヒェルト・ルート教授に対し、「平成19年度以降、科目がないことが確定している」という理由で解雇を発令。それに対し両教授は解雇無効と地位保全の仮処分を申し立て、同年8月10日以下のように決定された。

  1. 債権者(田村教授、ライヒェルト教授)らが、債務者(北陸大学)に対しいずれも雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。
  2. 債務者は、債権者らに対し、それぞれ平成19年8月から本案の第1審判決言渡まで毎月25日に限り35万円を仮に支払え。
  3. 債権者らのその余の申立をいずれも却下する。
  4. 申立費用は、債務者の負担とする。

この決定は、両教授の解雇に理由がなく、解雇権の濫用であるから、解雇は無効という判断を示すものであった。北陸大学教授としての地位保全も認められている。そして同年10月19日には、不当解雇の撤回を金沢地方裁判所に提訴した。2008年(平成20年)1月29日、「田村光彰教授とライヒェルト・ルート教授の解雇撤回訴訟を支援する会」と北陸大学教職員組合の代表者は北陸大学太陽が丘キャンパスを訪れ、北陸大学理事長及び各理事宛に両教授の解雇撤回要求書と賛同署名を提出した。賛同署名978筆の大部分は、全国の私大教連加盟教職員組合、 金沢大学教職員組合、 市民運動関係者、友人(大学関係)、北陸大学教員OB、教え子等の協力を通じて寄せられた。裁判は一審で解雇の無効が認められたにもかかわらず大学側が控訴し、4年半の法廷闘争の結果2011年(平成23年)9月21日、両教授と理事会との解雇問題は、和解で法的な処理がなされた。その内容は次の通り。(「支援する会」の報告から引用)

  1. 「原告が雇用契約上の権利を有する地位にあることを認める」(これは、解雇無効という意味)
  2. 「被告は、本件解雇を理由とする一切の不利益な取扱をしないことを確約する」(これは、あらゆる待遇について一般教員と同じ取扱をすることの確約)
  3. 「被告は、原告の授業担当につき、教学側の意思を尊重する」

2013年(平成25年)2月26日に北元理事長が退任の意向を示し、辞表を提出した[16]。同大では幹部らが経営正常化を求め、理事長の退任を要求していた。翌27日には小倉勤学長が理事長を兼任することが発表された。

脚注

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外部リンク

テンプレート:大学コンソーシアム石川 テンプレート:大学IRコンソーシアム

テンプレート:ウィキ座標2段度分秒
  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 1.8 テンプレート:Cite book
  2. テンプレート:Cite news
  3. 『週刊東洋経済』(2012.10.17)より
  4. http://www.jasso.go.jp/statistics/intl_student/ref10_02.html
  5. 5.0 5.1 テンプレート:Cite news
  6. テンプレート:Cite news
  7. 北陸大学サイト/沿革2009年5月29日閲覧
  8. 北陸大学自己評価報告書平成19年7月、70ページ、2009年5月29日閲覧
  9. 9.0 9.1 9.2 9.3 テンプレート:Cite news
  10. 10.0 10.1 テンプレート:Cite news
  11. テンプレート:Cite news
  12. テンプレート:Cite news
  13. 13.0 13.1 テンプレート:Cite news
  14. 14.0 14.1 テンプレート:Cite news
  15. テンプレート:Cite news
  16. テンプレート:Cite news