冷やし中華

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冷やし中華冷し中華(ひやしちゅうか)とは、冷やした中華麺を使った日本の料理である[1]野菜叉焼ハム錦糸卵などの色とりどりの具材を麺にのせて、冷たいかけ汁を掛けて食べる、夏の麺料理として日本各地で食べられている。北海道や近畿地方ではそれぞれ「冷やしラーメン」「冷麺」の呼称で親しまれている。

概要

茹でてから冷水で冷やしシメた中華麺を、やや深めのに盛ってから、その上に細切りのハムか叉焼、錦糸卵、キュウリトマトなどの具をそれぞれ互いに混ざることのないように彩り良く盛り付け、醤油あるいは芝麻醤(ゴマだれ)をベースにした冷たいかけ汁をかけて食べる。肉類は様々で細く裂いた蒸し鶏を使用したり、地域によって、また作り手によって違いがある。練りからしを添えて食べるのが定番。細切り紅ショウガも利用される。夏バテなどを催させる日本の厳しい夏の間、そのさっぱりした食感と様々な具を使用する事から、家庭食・外食を問わず、特に夏に食される事が多く、夏の風物詩であり季語にもなる。多くの中華料理店では、秋から春にかけてはメニューに置かず、夏の訪れと共にメニューに追加すると「冷し中華始めました」という貼紙を店に貼り告知する。コンビニエンスストアにとっては夏の主力商品となる(3月中旬頃から発売しているコンビニもある)。

地方による特色

  • 北海道では「冷やしラーメン」と呼ばれる
  • 東海地区ではマヨネーズを添えることが多い。1957年に東海地区を中心にチェーン展開する寿がきやの当時の商品開発担当者が温かいラーメンスープにマヨネーズを溶かした上で冷やしたものを「冷やしラーメン」として売り出したのが始まりとされ、冷やし中華にマヨネーズを添えるという現在のスタイルになったのは1965年頃である。ただ、詳細に関しては当時の担当者が誰で、かつどういった理由でマヨネーズになったのかまではわかっていないため不明(ただ、寿がきやの冷やし中華のTVCMでは、独自の歌と共にマヨネーズをかけることをアピールしている)。山形県にも同様の風習はあるが、こちらは1980年代後半にテレビで紹介されたのをきっかけに真似したことから始まったものとされ、元々さっぱり風味では物足りないと感じた濃い味が好きな人達の間で定着している。なお、この風習は福島県の一部にも広まっている。また東海地方のコンビニエンスストアで売られている冷やし中華にもマヨネーズが付いてくる。こちらに関してはサークルKサンクスでは後に全国で、ファミリーマートでも関東と九州以外の地域では付けるようになった。セブンイレブンでは、東海地方進出当初は付けていなかったが、客の要望で付けるようになった[2]
  • 近畿では「冷麺」と呼ばれ、焼肉料理店等で提供されるものは韓国式冷麺と呼び区別されている。
  • 広島県では、麺に平麺を使用する事が一般的である。呉冷麺を参照。
  • 日本国外でこの調理方法による麺料理は、韓国では「中国(式)冷麺」、中国では「日式冷麺」と呼ばれ、日本料理店や日系コンビニエンスストアのファミリーマートなどの現地店舗で季節限定メニューで販売されている。

全日本冷し中華愛好会

1975年にジャズピアニストの山下洋輔が冬に冷やし中華を食べられないことを憤慨し、SF作家筒井康隆中洲産業大学教授タモリ等と共に「全日本冷し中華愛好会」(全冷中)[3]という団体を立ち上げ、「冷し中華祭り」(1977年に第1回、1978年に第2回)[4]を開催した。山下洋輔の兄が醤油会社勤務であるため、スポンサーとの黒い癒着が疑われることになるが、全冷中は清いアマチュアの会であり、癒着は受け入れられないため、第1回の「冷し中華祭り」の場で筒井康隆が2代目の会長となった。また会報「冷し中華」を発行。その内容は『空飛ぶ冷し中華』(住宅新報社 1977年4月、テンプレート:全国書誌番号)『空飛ぶ冷し中華 part2』(住宅新報社 1978年6月、テンプレート:全国書誌番号)という本にまとめられた。執筆者は、山下洋輔筒井康隆奥成達平岡正明坂田明日比野孝二河野典生上杉清文山口泰伊達政保舎人栄一岡崎英生瀬里なずな小山彰太池上比沙之堀晃黒鉄ヒロシ赤瀬川原平高信太郎長谷邦夫南伸坊末井昭長谷川法世タモリ吉峯英虎赤塚不二夫高平哲郎朝倉喬司

冷やし中華の日

1995年に冷やし中華の愛好家らによって、7月7日が「冷やし中華の日」として日本記念日協会に登録された。由来はこの日が二十四節気の「小暑」となることが多く、冷やし中華がおいしい季節となるためだという[5]

トリビア

1929年(昭和4年)に発刊された「料理相談」(安東鼎編、鈴木商店出版部)という本には冷蕎麦(ひやしそば)の一項があり、シナそばを茹で、酢、砂糖、氷をまぶし、その上に叉焼、キュウリ、ラッキョウ、タケノコを乗せ、冷スープ、醤油、酢、コショウをかけるとの記述がある。

1936年(昭和11年)に発行された雑誌『栄養と料理』には三絲涼麺(サンスーリャンメン)として鶏肉、焼豚、キュウリ等を細切りにして、水にさらした麺の上にのせ、酢、砂糖、醤油等のタレをかける料理が紹介されている[6]。他方、細切りの具を彩りよく盛った現代風の冷やし中華の原型は五色涼拌麺(五目冷やしそば)として東京の神田神保町揚子江菜館第二次世界大戦後または1933年(昭和8年)に創作されたとされている[7]。2代目オーナーの周子儀が、上海で食べられていたもやしと細切りの肉を冷した麺に乗せて食べる涼拌麺とざるそばから着想を得たとされる。様々な細切りの具を皿の中心から放射状に盛る独特の形式は富士山とそこに積もる雪をイメージして作られた。また、京都の「中華のサカイ」は、創業時(1939年)より、ゴマだれを使った「冷麺」(関西および西日本での「冷し中華」の呼称)をメニューに載せており、関西では、関東以北の「冷し中華」とは異なり、独自に発展したとする説もある。異説として、戦後、寿がきや心太(ところてん)のつゆ(三杯酢)を冷やしたラーメンに掛けたのが今のスープによる冷やし中華・冷麺の発祥とする説もある。

別料理

仙台市錦町龍亭では、冷し中華・冷麺[8]が発売されたのは、1937年(昭和12年)のこととされる[9]。「仙台支那ソバ同業組合」(現・宮城県中華料理環境衛生同業組合)の会合で、中華料理店共通の問題である夏の売り上げ低下の解決法、及び、多数の観光客が集まる仙台七夕の際に売れる目玉商品の開発について話し合われた。そして当時の組合長だった龍亭店主を中心に、龍亭が閉店した後に集まってざるそばを元に新メニューの開発を行った。それは現代の冷やし中華とは異なり、湯がいたキャベツ・塩もみきゅうり・スライスしたニンジン・叉焼・トマトを上に乗せた物だった。戦中・戦後の食料難の間メニューからは消えたが、昭和20年代後半になって復活し、1965年(昭和40年)まで当初のスタイルを踏襲していた。その後徐々にスタイルを変化させているはいるが、現在でも龍亭は錦町で営業を続けており、改良された冷し中華を看板メニューにしている。また、仙台市では他地域と異なり、冷やし中華は年間を通して提供されている。

中国香港台湾などの中華圏においては、拌麺en:Lo mein)とは茹でた麺を様々な具材や調味料で和えた料理の総称であり、その中に冷麺/涼麺(リャンメェン)や冷拌麺/涼拌麺(リャンパンメェン)と呼ばれる麺料理が存在する。麺は日本の冷やし中華・冷麺ほど冷たくなく(冷水や氷を使って食品を直接冷やす慣習が無く、団扇や扇風機を使って茹でた麺を冷ますため)、花生醤(ピーナッツ・ペースト)や芝麻醤(すり胡麻)を用いた濃厚なタレがかかっており、例えば鶏絲涼麺(チースーリャンメン、茹で鶏と胡瓜の千切りのせ)はゴマだれの冷やし中華の源流となっている可能性もある。北中国の冷麺は日本における酢を使用した冷やし中華・冷麺とは異なる趣の料理であり、当地の中華系民族は酸味のある冷たい料理を食習慣から腐敗による酸味と捉えるため、日本の冷やし中華・冷麺や酢飯などを嫌う傾向があるが、南中国の冷麺、特に上海冷麺は酢を使用した。

脚注

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外部リンク

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  • 『冷やし中華はやっぱり「日本料理」だった』澁川 祐子JapanBusinessPress2011.08.12配信
  • [http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/ntok0071/list/CK2008102802100032.html 【なごや特走隊】冷やし中華にマヨネーズ、名古屋から全国へ 起源はスガキヤ、最初は冷やしラーメン] - 中日新聞(2007年9月3日)
  • 全日本冷し中華愛好会(個人のサイト)
  • 全冷中「冷し中華祭り」秘話(個人のブログ。ヒゲタ醤油株式会社のサイトから転載)
  • テンプレート:Cite news
  • 「しゆうまいと支那そばの作り方」(昭和11年 第2巻第12号 p22山田政平)|http://eiyotoryori.jp/
  • 岡田哲編『世界たべもの起源事典』ISBN 4-490-10663-7
  • 同店では涼拌麺(りゃんばんめん)と呼んでいる
  • 逸見英夫『仙台はじめて物語』24-34頁 ISBN 978-4915587122