八角部屋

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八角部屋(はっかくべや)は日本相撲協会所属で高砂一門の相撲部屋。

概要

1992年(平成4年)5月場所限りで引退し、以降は九重部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たっていた年寄・8代八角(元横綱・北勝海)が、1993年10月に北勝力ら内弟子4人を連れて九重部屋から分家独立する形で八角部屋を創設した。同時に、18代陣幕(元横綱・北の富士)・10代君ヶ濱(元関脇・北瀬海)・10代谷川(元幕内・白田山)・9代錦戸(元幕内・富士乃真)という当時の九重部屋に部屋付き親方として在籍していた年寄全員も八角部屋へ移籍した。部屋の建物も、8代八角の師匠である北の富士がかつて利用していた旧・井筒部屋~九重部屋のものを譲り受けた形となっている。[1]

現在までに、関脇・北勝力や小結・海鵬隠岐の海など9人の関取を輩出している。四股名には師匠の現役時代の四股名から「保志」「北勝」「海」の字が付けられた力士が多い。

所在地

師匠

  • 8代:八角信芳(はっかく のぶよし、第61代横綱・北勝海、北海道)

力士

現役の関取経験力士

幕内

関脇
小結

十両

所属年寄

  • 陣幕哲也(じんまく てつや、前1・富士乃真、千葉)
  • 谷川英樹(たにがわ ひでき、関脇・北勝力、栃木)

関連項目

旧・八角部屋

明治時代に初代八角(元幕内・鬼面山)が八角部屋を創設したのが最初で、その後は雷部屋所属の元大関・大鳴門が師匠死去後に二枚鑑札で2代八角を襲名して八角部屋を運営していた。3代八角(元関脇・大鳴門)の代に入って八角部屋は再興され、1928年(昭和3年)に雷部屋の力士たちを預かっていた8代白玉(元関脇・玉椿)が亡くなった後には雷部屋の所属力士を引き取った。しかし、幕内・雷ノ峰はすぐに立浪部屋へ移籍し、残った弟子たちの中からは番神山が十両に昇進したのみで、1933年(昭和8年)に3代八角は鏡山部屋に弟子を譲って八角部屋を閉鎖した。

脚注

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  1. 北の富士の自宅が八角部屋の最上階にあるのはそのためである。

外部リンク

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