鏡山部屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

鏡山部屋(かがみやまべや)は、日本相撲協会所属で時津風一門相撲部屋

歴史

伊勢ノ海部屋所属の横綱柏戸は、1969年(昭和44年)7月場所限りで現役を引退して年寄・7代鏡山を襲名し、それと同時に伊勢ノ海部屋から分家独立して鏡山部屋を創設した。以降、小沼蔵玉錦などといった関取を輩出した。1982年12月に伊勢ノ海部屋の師匠である10代伊勢ノ海(元幕内・柏戸)が亡くなった際には、7代鏡山は11代伊勢ノ海を襲名して伊勢ノ海部屋を継承することを打診されたものの、7代鏡山はそれを固辞して引き続き鏡山部屋を運営していくことを選択している。その後、蔵前国技館最後の場所となった1984年9月場所において、所属力士の多賀竜が幕内最高優勝を果たした。

1996年(平成8年)12月に7代鏡山が逝去し、それに伴い、鏡山部屋の部屋付き親方である9代勝ノ浦(元関脇・多賀竜)が8代鏡山を襲名して鏡山部屋を継承した。2013年1月場所においてモンゴル出身の鏡桜が新十両へ昇進し、8代鏡山が部屋を継承してからは初となる関取が誕生した。現在は所属力士が2人というごく小規模な部屋となっている。

所在地

師匠

  • 7代:鏡山 剛(かがみやま つよし、第47代横綱・柏戸・山形
  • 8代:鏡山 昇司(かがみやま しょうじ、関脇・多賀竜・茨城

力士

現役の関取経験力士

幕内

関脇
  • 多賀竜昇司(茨城)
前頭

十両

所属

年寄
  • 勝ノ浦利郎(かつのうら としろう、前2・起利錦)
若者頭
  • 伯龍弘基(はくりゅう ひろき、十1・魄龍)

旧・鏡山部屋

江戸時代からの伝統を有し、明治・大正時代にも大きな勢力を持っていた雷部屋は、1927年(昭和2年)に親方が亡くなった後は一気に衰退した。その後、雷部屋の弟子を引き取った白玉親方(元関脇・玉椿)も間もなく亡くなってしまい、力士たちは四散してしまった。その中で同じ雷系列の八角部屋中川部屋を引き継いだ武蔵川部屋の力士たちをまとめる形で、1933年(昭和8年)から5代鏡山(元幕下金木山)が力士たちを引き取って鏡山部屋を設立した。5代鏡山は雷部屋最後の弟子の中から番神山を、中川部屋からの三熊山を幕内力士に育て、番神山の引退後は雷を襲名させた。しかし、新十両入りを決めた信濃川兵役にとられたまま帰還しないうちに1945年(昭和20年)に5代鏡山が亡くなったために部屋は閉鎖された。その後、所属力士は伊勢ヶ濱部屋へ移籍した。信濃川も戦後に帰還してからは伊勢ヶ濱部屋に所属し、引退後は年寄・間垣を襲名した。

テンプレート:鏡山部屋 テンプレート:相撲部屋