佐野信吉

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テンプレート:基礎情報 武士 佐野 信吉(さの のぶよし)は、安土桃山時代から江戸時代前期の大名下野佐野藩主。

生涯

富田一白(長家)の五男。

天正20年(文禄元年:1592年)9月22日、佐野房綱の養嗣子となって佐野政綱と名を改め、佐野氏の家督を継ぐ。小田原の役によって佐野氏忠が追放された後、豊臣秀吉宇都宮仕置によって一族の房綱が佐野氏の名代(当主代行)となったが、後日正式な当主を改めて擁立することになっており、房綱の奔走により信吉が佐野氏の養子として跡を継ぐことになった[1]。同年、豊臣姓を下賜された[2]。後年、豊臣秀吉より「吉」字の偏諱を受け信吉と改める。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に与したため、戦後に所領を安堵された。

1614年(慶長19年)3月に江戸で火災が起きた際、自領の下野佐野から江戸に急行し消火作業に活躍するが、これが逆に、無断参府として幕府に咎められた。豊臣家に縁深い大名が、江戸での変事にすぐに気付いて急行出来る場所に存在することを危険視されたと推察される。伊予宇和島藩主の兄富田信高改易に連座する形で同年7月に改易され、慶長19年(1614年)、嫡男の久綱とともに信濃松本藩に預かりの身となった。

元和8年(1622年)に赦免され、江戸に移ったが、同年のうちに没した。

脚注

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テンプレート:下野佐野氏当主

テンプレート:佐野藩主
  1. 荒川善夫『戦国期東国の権力と社会』、91頁。
  2. 村川浩平『日本近世武家政権論』、40頁。