伊方発電所

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テンプレート:基礎情報 発電所

ファイル:Ikata NPP 1974.jpg
1974年時点、初号機着工直後の建設予定地。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

伊方発電所(いかたはつでんしょ)は、愛媛県西宇和郡伊方町にある四国電力原子力発電所

概要

四国最西部、佐田岬半島付け根付近の北側斜面に位置し、瀬戸内海伊予灘)に面している。四国電力および四国地方唯一の原子力発電所である。国内原発で唯一内海に面する。

状況

福島第一原子力発電所事故の影響によって既に定期検査を終えた発電機も運転再開の目途が立たないため、全発電機が定期検査に入った2012年(平成24年)1月13日から送電を停止している[1]

なお、伊方原発は「四国全体の電力の約4割以上をまかなう」と原発PRでされることがあるが、この数値は発電量ベースにて4割のことがあったというだけであり、実際の四国電力の設備容量では、「伊方原発の割合は2割余り」である[2]

発電設備

番号 原子炉形式 定格電気出力 初臨界 運転開始 施工・型式 現況
1号機 加圧水型軽水炉(PWR) 56.6万kW 1977年2月17日 1977年9月30日 三菱・2ループ 定期点検中
2号機 加圧水型軽水炉(PWR) 56.6万kW 1981年8月19日 1982年3月19日 三菱・2ループ 定期点検中
3号機 加圧水型軽水炉(PWR) 89.0万kW 1994年3月29日 1994年12月15日 WH三菱・3ループ[3] 定期点検中

リスク

伊方原発の間近に巨大な活断層である中央構造線があり、将来大地震を引き起こす危険があることが、伊方原発訴訟にて原告から訴えられていた。ただし裁判当時の国内の地震学界では地震の活断層説には否定的な意見が占めており、受け入れられなかった[4]

なお、最新の地震研究[5]によると中央構造線の伊方原発近くの活動は以下のように評価されている。 テンプレート:Quotation

主な動き

トラブル

2004年3月9日、3号機で、充てんポンプC号機の封水部から1次冷却水の漏洩が発生。

実験・変更など

出力調整運転実験
1987年10月1988年2月、2号機で50%出力まで下げた後100%出力に戻す出力調整運転実験を実施した[6]
炉の変更
2003年8月13日燃料集合体最高燃焼度を現行の48,000 MWd/tから55,000 MWd/tに変更申請。

反対運動

1969年10月13日、賛成派だった元伊方町長の川口寛之を中心に伊方原発誘致反対共闘委員会が結成される。翌1970年5月7日、機材の陸揚げを阻止するための実力行動を行う[7]。同年10月、伊方町原発誘致反対共闘会議結成[8]

1982年11月18日の3号機増設の1次公開ヒアリング(町見体育館)に対して、愛媛地評などよる「公開ヒアリング阻止闘争共闘会議」が約2000人を集めて、前夜から当日にかけてヒアリングを開催させない監視活動を行った。当日の早朝には、ヒアリング会場までデモを断続的に繰り返した[9]

1985年10月4日の3号機の第二次公開ヒアリング開催に対しても愛媛地評を中心に10月8日、県民共闘が結成され2000余人の抗議集会が開かれた。上記の2回のヒアリングはいずれも開催された。

1988年1月25日、大分の反原発団体などの呼びかけで、伊方原発調整運転に反対して高松市でデモ[7]。同年10月30日、「原発とめよう伊方集会」に300人が集まり、参加者が手をつなぎ、「人間の鎖」をつくったり、3号機建設中止を求めるパレードを行ったりした[10]

2010年1月18日、3号機で実施を計画しているプルサーマルの中止を求めて、愛媛県の住民団体などが国会内で経済産業省原子力安全・保安院などに要請した。要請したのは市民団体と愛媛県の共産党・社民党などの政党が参加する「伊方原発プルサーマル計画の中止を求める愛媛県民共同の会」で、計画の中止や伊方原発周辺の海底にある活断層の詳しい調査を行って伊方原発の耐震安全性評価をやり直すことなどを求めた[11]

四電原子力本部の愛媛県への移転

2010年の時点で、四国電力の原子力本部は香川県高松市の本店内に所在し、この伊方発電所の管理・運転計画の中枢となっていた。

四国唯一の原発を擁する愛媛県では、当時の加戸守行知事が2005年と2006年にそれぞれ四国電力に対して原子力部門の県内移転を要請している[12]。しかし、原子力部門に限るといえども、ある程度の権限を持った本部を移転するということは、本社との二重構造を引き起こす可能性があるなど、四国電力にとって経営の根幹に関わる問題であることから、要請には消極的であった[13]

ところが、福島第一原子力発電所事故がきっかけとなり、愛媛県知事の中村時広が改めて四国電力へ要請をしたところ[14]、四国電力側は本店にある原子力本部を2011年6月を目処に愛媛県松山市に移転することを決定した[15]。 移転後はすでに松山市にある愛媛原子力対策室と統合され、取締役副社長である原子力本部長以下総勢25人程度のスタッフにより業務を行う予定とされた[16]

そして2011年6月29日をもって、原子力本部が高松市の本店から松山市へ移転した。スタッフは、原子力本部長(取締役副社長)以下30名の体制である。

四国電力原子力本部組織図

テンプレート:Familytree/start テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree/end ■赤色は松山市に移転の部署、■緑色は以降も本社に残る部署、■青色は既に松山市に所在する部署。

ただし、松山(原子力本部・愛媛原子力総合対策室)から伊方原発までは直線距離でも65km離れており、自動車で実際にかかる到達時間も高速道路を利用したとしても松山市内からは1時間30分かかる[17]

年表

  • 1972年昭和47年)11月 - 初号機、原子炉設置許可。
  • 1973年(昭和48年)6月 - 初号機、建設工事開始。
  • 1977年(昭和52年)1月 - 初号機、初臨界。
  • 1977年(昭和52年)3月 - 2号機、原子炉設置許可。
  • 1977年(昭和52年)9月30日 - 1号機(初号機)、運転開始。
  • 1978年(昭和53年)2月 - 2号機、建設工事開始。
  • 1981年(昭和56年)7月 - 2号機、初臨界。
  • 1982年(昭和57年)3月19日 - 2号機、運転開始。
  • 1986年(昭和61年)5月 - 3号機、原子炉設置許可。
  • 1986年(昭和61年)11月 - 3号機、建設工事開始。
  • 1994年平成6年)2月 - 3号機、初臨界。
  • 1994年(平成6年)12月15日 - 3号機、運転開始。
  • 2012年(平成24年)1月13日 - 2号機、定期検査のため送電停止。
    • 福島第一原子力発電所事故の影響によって既に定期検査に入っている1号機及び3号機の運転再開の目途が立たないため、この日から伊方発電所の送電は全停止となる[1]

脚注

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関連項目

外部リンク

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  1. 1.0 1.1 テンプレート:Cite press release
  2. テンプレート:Cite
  3. Nuclear Power Plants - Japan
  4. テンプレート:Cite
  5. テンプレート:Cite
  6. 四国電力伊方発電所2号機の出力調整運転試験について - 財団法人高度情報科学技術研究機構、2011年3月6日閲覧。
  7. 7.0 7.1 退職後に考える45年間の出来事 荻野晃也 (京都大学工学部)
  8. 斉間満著『原発の来た町 原発はこうして建てられた 伊方原発の30年』(南海日日新聞社、2002年発行)
  9. 法政大学大原社研 1982〜1983年原発反対闘争 日本労働年鑑 第54集 320
  10. 法政大学大原社会問題研究所_反原発運動の活発化 日本労働年鑑第59集297
  11. 伊方原発:「プルサーマル中止を」 市民団体が四電に申し入れ /愛媛 毎日新聞 2010年1月15日テンプレート:リンク切れ
  12. 中村知事が四電社長に原子力本部移転要請
  13. RNBオンラインNEWS
  14. 中村知事が四電社長に原子力本部移転要請
  15. 愛媛新聞・原子力本部を松山に移転へ 四電
  16. 四国電力プレスリリース 原子力本部の組織整備ついて
  17. 四国電力・伊方原発所在地