伊号第六潜水艦

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伊6
艦歴
計画 1931年度(マル1計画)
起工 1932年10月14日
進水 1934年3月31日
就役 1935年5月15日竣工
その後 1944年6月30日喪失認定
除籍 1944年9月10日
性能諸元
排水量 基準:1,900トン 常備:2,243トン
水中:3,061トン
全長 98.50m
全幅 9.06m
吃水 5.31m
機関 艦本式1号甲7型ディーゼル2基2軸
水上:8,000馬力
水中:2,600馬力
速力 水上:20.0kt(計画)、21.3kt(公試成績)
水中:7.5kt
航続距離 水上:10ktで20,000海里
水中:3ktで65海里
燃料 重油:580トン
乗員 68名
兵装 12.7cm高角砲1門
13mm機銃1挺
53cm魚雷発射管 艦首4門、艦尾2門
魚雷17本
航空機 水偵1機(呉式1号3型射出機1基)
備考 安全潜航深度:80m

伊号第六潜水艦 (いごうだいろくせんすいかん)は、大日本帝国海軍潜水艦。艦級は巡潜2型で同型艦はない。太平洋戦争においては開戦当初から参加した。1942年1月12日にはサラトガに魚雷攻撃を行い、その後貨物船を撃沈したり、輸送任務を行ったが1944年6月30日サイパン島付近で行方不明となり、沈没したものと認定された。沈没原因は詳らかでない。[1]

建造

ロンドン軍縮条約下に計画されたマル1計画で建造された1艦で伊1型(巡潜1型)の改良型である。排水量は大きく変わらないが水上速力向上のため船図が変更されるなど船体に改良が加えられている。兵装は射出機設置のため高角砲が1門に減らされ、代わりに機銃は13mm1挺と強化された。魚雷は17本に減っている。

航空兵装は伊5とほぼ同様で艦後部に格納筒と射出機1基を新造時から装備した。この後甲板から後方に水上機を射出する方式は射出時に後進の必要があり、実用性に問題があったのではないか、という指摘もある[2]。開戦時搭乗員は配置されておらず、伊5と同様に射出機撤去の可能性もある。

主機は艦本式ディーゼルを潜水艦として初めて採用した。また熱帯地方での行動を考慮していたと言われている。

艦歴

  • 1935年5月15日 神戸川崎造船所にて竣工、横須賀鎮守府
  • 1940年11月15日 第6艦隊第2潜水戦隊第8潜水隊に編入
  • 1941年11月16日 横須賀出港、ハワイ作戦に参加
  • 1942年1月12日 ハワイ南西で米空母サラトガを雷撃、魚雷2本命中
    • 2月14日 横須賀出港、ジャワ、インド洋方面へ進出。ボンベク沖で貨物船2隻撃沈。
    • 6月20日 横須賀出港、アリューシャン方面へ進出
  • 1943年2月26日 横須賀出港、豪州東岸にて機雷敷設
    • 4月4日 ラバウル出港、ラエへの輸送任務を以後9回
    • 7月1日 横須賀出港、キスカ島撤退作戦支援
    • 10月30日 横須賀出港、ラバウルに進出して輸送任務に従事
  • 1944年6月15日 横須賀出港、サイパンへ向かう
    • 6月30日 この日の連絡を最後に以後消息不明、同日沈没認定。104名全員戦死
    • 9月10日 除籍

歴代艦長

艤装員長

  1. 貴島盛次 中佐:1934年8月25日-

艦長

  1. 貴島盛次 中佐:1935年5月15日-
  2. 長井武夫 少佐:1935年5月25日-
  3. 岡田有作 中佐:1936年12月1日-
  4. 大山豊次郎 中佐:1937年11月15日-
  5. 永井宏明 中佐:1939年11月1日-
  6. 楢原省吾 中佐:1940年10月30日-
  7. 稲葉通宗 少佐:1941年1月31日-
  8. 中村省三 少佐:1942年5月23日-
  9. 井筒紋四郎 少佐:1942年12月15日-
  10. 下瀬吉郎 少佐:1943年5月20日-
  11. 篠原茂夫 大尉:1944年4月30日-
  12. 普門正三 少佐:1944年5月27日-

参考文献

  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0462-8
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』(光人社、2005年) ISBN 4-7698-1246-9

脚注

  1. 『艦長たちの軍艦史』によると八丈島付近で第3606船団加入船の「豊川丸」に体当たりされ、その後機銃掃射と爆雷により沈没。
  2. 『写真日本の軍艦第12巻』の解説による。

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