仙台東照宮

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ファイル:Sendai map circa 1930.PNG
1927年昭和2年)頃の仙臺市(第一次合併前)および近郊地図。旧奥州街道沿いの堤町と当社の周辺のみ、藤川(梅田川)の北側ながら市域に含まれた。なお、仙臺軌道は当社を迂回して路線を敷いた。

仙台東照宮(せんだいとうしょうぐう)は、宮城県仙台市青葉区東照宮にある神社承応3年(1654年)に伊達忠宗が創建し、東照大権現(徳川家康)を祀る。旧社格は県社。

地理

仙台市都心部から見て北に横たわる七北田丘陵の南部は、広瀬川侵食により河岸段丘を形成している[1]が、同丘陵から仙台平野に突き出した樹枝状丘陵の1つがその地理的に凸な形状から玉田崎と呼ばれている[2]。この標高五十数メートルの玉田崎に仙台東照宮はあり、台原段丘面に社殿が造営され、段丘崖を参道としている[1]。参道前の鳥居周辺は、台原段丘面から約10メートル低い仙台上町および中町の両段丘面であり、ここには別当寺仙岳院などがある[1]

門前から南に宮町通り東六番丁清水小路が直線的に通じ、広瀬川を超えて愛宕山(仙臺総鎮守「愛宕神社」)と相対する。

歴史

伊達忠宗の願い出により、慶安2年(1649年)8月から工事をはじめ、承応3年(1654年)3月に完成した。以来、伊達家守護神として祀られ、仙台藩の手厚い保護を受けた。

明治になって一時荒廃したが、氏子の力添えで再興した。明治12年(1879年)に郷社になった。大正5年(1916年)に県社になった。

主な祭礼

  • 例祭(4月17日)。徳川家康の命日に行なわれる。
  • 神楽奉納(4月第3土曜日、日曜日)仙台市の登録無形民俗文化財。
  • 神輿渡御 元は明暦元年(1655年)に始まり、江戸時代末期まで続いた仙台祭である。明治時代に中断したが、大正10年 (1921年) 4月に再興した。(編者には不明な時期を経て)昭和29年(1954年)に斎行。昭和59年(1984年)から5年に一度実施されている。
  • 歳旦祭(1月1日)、どんと祭(1月14日)、節分祭(2月3日)、祈年祭(2月17日)、宵祭(4月16日)、夏越の大祓式(6月30日)、七五三祝祭(11月15日)、新嘗祭(11月23日)、年越の大祓会(12月31日)
  • 月に一度、境内の参道を借りて骨董市が開かれている。

建造物

重要文化財建造物
  • 本殿 
  • 唐門 
  • 透塀 
  • 石鳥居 
  • 随身門 

以上の建造物は承応3年(1654年)創建時のもの。本殿以下の4棟は昭和28年(1953年)3月に国の重要文化財に指定され、随身門は昭和55年(1980年)1月に追加指定されている。昭和52年 - 53年(1977年 - 1978年)に唐門と透塀の、昭和54年(1979年)に本殿の修理が行われている。

その他の主要な建造物
  • 幣拝殿 昭和10年(1935年)8月に火災で失われ、昭和39年(1964年)に復元再建された。
  • 神餞所 昭和10年(1935年)8月に火災で失われた。昭和39年(1964年)に復元再建された。
  • 手水舎 宮城県の有形文化財。
  • 石段 仙台市の登録有形文化財。

関連寺社

天神社

テンプレート:Main 東照宮の造営以前にあった神社である。天正19年(1591年) 、葛西大崎一揆の鎮圧の帰途、徳川家康が天神社の境内で休息したことが、この地に東照宮を建てる縁になったという。東照宮建立のため、榴ヶ岡に移転した。

仙岳院

テンプレート:Main 天台宗の寺院である。仙台東照宮の別当寺として創建され、江戸時代を通じて一体の関係にあった。仙台藩の筆頭寺であり、仙台藩の保護を受けていた平泉中尊寺の総別当を兼ねていた。明治時代の神仏分離令で東照宮から分けられた。

創建時から今に伝わる本尊は、釈迦三尊(釈迦如来文殊菩薩普賢菩薩)で、日光菩薩月光菩薩十二神将とともに京仏師左京幸和の作である。

延寿院

仙岳院の傍院として万治3年(1660年) に阿弥陀如来を本尊として建立された。文政元年(1818年) に火災で焼失した。文久元年(1861年)に再建され、このとき浄円房大権現をあわせ祀った。

古峰神社

仙台東照宮の境内、山の麓に祀られた小さな神社である。

アクセス

関連する作品

近隣施設

脚注

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関連項目

外部リンク


テンプレート:神道 横
  1. 1.0 1.1 1.2 広瀬川沿いの地形・地質と人々との関わり(仙台市「広瀬川ホームページ」)
  2. 昔の仙台を見てみよう(仙台市)… 「玉田崎」は仙台七崎の1つ。「玉田ヶ崎」「玉手崎」とも呼ばれる。