人民元

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テンプレート:Infobox Currency 人民元(じんみんげん)は、中華人民共和国通貨で日本における呼称。中国では人民元とは呼んだり表記せず、人民幣(じんみんへい、人民币、Rénmínbì、レンミンビィ、RMB)とあらわされる。ISO 4217でのコードはCNY、¥記号を用いる。

概要

単位は普通「元」であるが[1]、実は「」である(=圓=円),教科書や紙幣上には「」と表記されている。中国語で「元・圓」がともに「yuán」で同音であるために、「圓」の略字として「元」が使われるようになったものである。

また、これを拡張して、米ドルを「美元」、日本円を「日元」、ユーロを「欧元」と表記するように「元」には通貨一般を表す意味も持たされている[2]

補助単位はで、1元=10角=100分になる。なお普通話では(kuài: )、 (máo) と置き換える事が多く、特に口語において顕著である。「塊」は銀元の呼び名として現れ、「毛」は記帳上少ない数量を示す「毫」が毛と略された[3]広東語では今も毫と呼び、香港ドルマカオ・パタカでは公式の単位となっている。

1994年までは、人民元とは別に、外貨に交換できる兌換元が発行されていた。

また一国二制度に基づく香港特別行政区澳門特別行政区においては、それぞれ独自の通貨香港ドルおよびマカオ・パタカが発行されている。

人民元は中国の中央銀行である中国人民銀行が発行している。2005年7月21日から通貨バスケットによる管理フロートを導入し、このとき事実上の人民元切り上げが発生した。

為替制度

多通貨バスケット(構成通貨は、ドルユーロウォン等11通貨)を参照する管理フロート

流通硬貨

6種類

  • 1元(2000年10月16日より第5版発行)
  • 5角(2002年11月18日より第5版発行)
  • 1角(2000年10月16日より第5版発行)
  • 5分
  • 2分
  • 1分

流通紙幣

1999年10月1日より建国50周年を記念し第5版(セット)の発行が始まり、その後2005年8月31日より第5版改訂版の発行が始まっている。ユーリオン模様を導入するなど、第4版に比べ、偽造対策と耐久性の向上が図られている。デザインは、表面にすべて毛沢東の肖像画、漢数字表記の背景に中国でよく使われる花の図案化を使用。毛沢東の肖像が単独で用いられたのは第5版からである。第5版としては1元以上の6種類。但し現在、以前の版の小額紙幣も流通している。

現在有効なのは第5版と第4版および、第2版のうち分単位の紙幣である。第3版と、第2版のうち元と角単位の紙幣は廃止されている。第1版は1953年に行われた10000分の1のデノミネーションにより廃止されている。なお、第2版の「分」単位の紙幣は2007年4月1日に市場での流通が停止となった。現在は1角以上まとまった場合に限り、指定金融機関で角以上の紙幣との交換が可能となっている。

第5版人民幣

額面 サイズ 主要な色 肖像画 裏面のモチーフ 漢数字背景 発行年月日
100元
156 x 77 mm
毛沢東
人民大会堂
梅花
1999年10月1日
50元
151 x 70 mm
青緑
毛沢東
チベットラサポタラ宮
2001年9月1日
20元
146 x 70 mm
茶色
毛沢東
桂林漓江
2000年10月16日
10元
140 x 70 mm
毛沢東
長江三峡
薔薇
2001年9月1日
5元
135 x 63 mm
毛沢東
山東省泰山
水仙
2002年11月18日
1元
130 x 63 mm
毛沢東
杭州西湖
百合
2004年7月30日

過去の版だが現在も有効な人民幣

  • 100元(1980年第4版・1990年第4版改訂版)
  • 50元(1980年第4版・1990年第4版改訂版)
  • 10元(1980年第4版)
  • 5元(1980年第4版)
  • 2元(1980年第4版・1990年第4版改訂版)
  • 1元(1980年第4版・1990年第4版改訂一回目・1996年第4版改訂二回目)
  • 5角(1980年第4版)
  • 2角(1980年第4版)
  • 1角(1980年第4版)
    • 今でも1角紙幣10枚を折りたたんで三角形にまとめた物が1元として使われていたりする。テンプレート:要出典
  • 5分(1953年第2版・2007年4月1日に市場での流通停止)
  • 2分(1953年第2版・2007年4月1日に市場での流通停止)
  • 1分(1953年第2版・2007年4月1日に市場での流通停止)

人民元通貨の問題点

中華人民共和国では、2014年現在でも100元、50元、20元、10元、5元の紙幣と1元のコインで偽札・偽硬貨が、相当数流通している。そのため、100元、50元紙幣を渡したときは、受け取り側は念入りに透かしなどを確認したり、手で擦ってインクが滲まないかを確認することが多い。贋札発見器を備えた店舗もある。ATMでも、支払い紙幣に偽札が出てくる場合もあり、偽札の場合は、その場を動かずATM脇の監視カメラに向かって「偽札申告」をしなければ、真札と交換して貰えない。50元紙幣は、旅行者がお釣りとして受け取る可能性が高いため、注意が必要である。

なお、気がつかずに偽札を受け取った場合、罪に問われることはないが偽札は没収される。補償は一切ない。

歴史

前史

中国共産党がその支配地域(解放区)において独自通貨を発行していたのが知られている。その萌芽は第1次国共合作時代に共産党傘下の農民協会が経営する信用合作社が出した流通券や1928年4月に井崗山一帯で出された通貨であると考えられているが、1931年11月に成立した中華ソビエト共和国の制度が中華人民共和国成立以前の基本的な通貨制度であったと考えられている。

中華ソビエト共和国以来、共産党解放区は広範なまとまりを有さず、中国国民党の支配が及ばない地域に小さな解放区が点在し広範なまとまりを見せていなかった。そのため、地域ごとに造幣施設と通貨を出す発券銀行(ソビエト銀行/ソビエト政府農工銀行)が存在してそれぞれが独自の通貨を発行していた。中華ソビエト共和国では1元・2角銀貨、5分・1分・500文・200文銅貨、1元・5角・2角・1角・5分紙幣及び銅元票(10銅元)、制銭票(1串・3串)などが通用していた。これは、1935年長征後の延安陝甘寧辺区)においても大きな変化はなかった。その後、日中戦争における抗日闘争を通じて辺区と呼ばれた共産党の解放区が拡大するにつれて、従来の制度の延長上に貨幣制度が編成されることになる。すなわち、新たに辺区単位で発券銀行である辺区銀行が設置され、辺区銀行及び共産党主導で設置された商社・商店のうち特に許可を与えたものが辺幣(辺鈔・抗幣)と呼ばれる紙幣を発行して当該辺区内にて通用させたのである。1938年3月20日五台山を中心とする晋察冀辺区で最初に辺幣が発行されて以後、各地の辺区で発行され最盛期には20種類以上の辺幣が発行された。これは、蒋介石政権及び汪兆銘政権に対する経済面からの攻勢と位置づけられ、事実共産党辺区の拡大とともに流通量が増加していった。ところが、国共内戦の過程で各地にあった辺区同士が接する事例が増加し、国民政府(蒋介石政権)の金円券のみならず複数の辺幣が混在するようになった。この事態に対して共産党は辺区銀行の統合による発券銀行の統一及び辺幣に替わる新通貨の発行を図った。これが人民元である[4]

人民元の成立からデノミまで

1948年12月1日、当時共産党の支配下にあった石家荘中国人民銀行が開業され、同時に10元・20元・50元の人民元紙幣(人民幣)が発行された。当時の責任者(後に初代行長)南漢宸は、「人民幣の発行制度は貴金属及び外貨を基礎とするものではなく、解放区人民の求める穀物・綿布・その他生産手段及び生産によって裏付けられている」と述べ、社会主義経済の円滑な運用によって生み出される信用を基盤とする新たな管理通貨制度の創出を宣言した。

その後人民元の開始は思わぬ形で困難を来たした。当初、共産党や中国人民銀行は国共内戦の長期化を予想して現在共産党が把握している華北・華東・西北の辺幣を整理して統一した通貨体系にすることを目標とし、中国人民銀行が発足する以前の同年1月より辺幣の廃止や各辺幣の相互通用措置が行われ、徐々に1元・5元・10元・20元・50元・100元の6種による人民元に切り替える予定であった。ところが、この頃より、共産党軍の攻勢が本格化して予想以上に共産党勢力の拡大が進み、国民政府の金円券の回収問題が浮上してきたのである。そのため、1元・5元などの小額通貨は当面発行を延期(1949年1月に発行開始)して従来の辺幣の維持を迫られることになった。

各地の辺幣は1949年1月から回収と人民幣の交換が行われ、1951年11月の新疆省を以ってほぼ完了した。また、金円券の回収も1949年5月の上海占領以後本格化した。また、外貨や金銀は流通が停止され、前者は公定比価で人民元と交換するか、人民銀行の外貨預金にすることが義務付けられ、後者は民間所有こそ許されたものの取引に用いることや輸出は禁じられ、輸入や国内移動も許可制とされた。人民元の開始からほぼ2年で本土における人民元の一本化に成功したのである。

だが、内戦とその後の中華人民共和国建設への急展開によって人民元は安定せず、1949年の1年間で物価は75倍となった。だが、1950年3月に中国本土における国民政府軍の抵抗が終了し、また同月に国家財政収支・重要物資需給・国家機関現金収支の3つの平衡を目指す「三平政策」が開始されて価格などの価値基準である折実単位や国民が許可なく一定額以上の現金を保有することを禁じる(余剰分は人民銀行に預金として預けることが許される)現金管理制度などが導入された。これによってインフレーションは収束傾向に向かったが、インフレ以前の価格に戻るには至らず、1950年には1万元、1953年には5万元が発行された。

そのため、1955年3月1日デノミネーションによる平価切下げを断行し、1万元を新しい1元として1万元・5万元を5月1日以後無効とし、それ以外の紙幣も順次新しい紙幣と交換することにしたのである。これはもっぱら物価指数よりも日中戦争以前の価格表示が行われるようにすることを意図して行われたものであるが、これによって人民元は一応の安定を得ることには成功したのである[4]

人民元のその後

テンプレート:節スタブ

貿易決済

人民元建ての貿易決済は認められていなかったが、2009年7月、中国人民銀行など政府関連6機関が公布した『跨境貿易人民幣結算試点管理弁法』に基づいて、香港マカオASEAN諸国などの一部の国の企業と許可を受けた中国企業間における人民元建て貿易決済が試験的に開始された[5][6]

為替レート

テンプレート:Double image aside 参考:ニューヨーク連邦準備銀行Foreign Exchange Rates Historical Search

テンプレート:為替レート

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:アジアの題材

テンプレート:中国の貨幣
  1. 中華人民共和国貨幣概況(発券銀行である中国人民銀行の文書)
  2. 小口幸伸 『人民元は世界を変える』 集英社、2005年
  3. 本位货币“元”的来历
  4. 4.0 4.1 『体系金融大辞典』(東洋経済新報社、1971年) ISBN 978-4-492-01005-1 第Ⅻ 貨幣金融制度(各国) 7.中国 a通貨制度 (執筆者:宮下忠雄)
  5. "中国大陸と香港、人民元建て貿易決済開始"、中国国際放送局、チャイナネット、2009年7月6日発信(2009年7月29日閲覧)。
  6. 中国人民銀行他『跨境貿易人民幣結算試点管理弁法』2009年7月1日公布(日本語では「人民元建て貿易決済の試行に関する管理規則」や「クロスボーダー貿易人民幣決済試行管理弁法」などと翻訳されている)。