井伊直よし

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テンプレート:Ambox-mini テンプレート:基礎情報 武士 井伊 直禔(いい なおよし)は、近江彦根藩の第10代藩主

第8代藩主・井伊直惟の次男。母は内藤氏。直幸の兄。正室は酒井忠恭の娘。

生涯

享保12年(1727年)9月8日、江戸藩邸にて生まれた。附役は青木平左衛門犬塚十左衛門が勤め、赤坂御門之内の彦根中屋敷に居住した。

叔父で先代藩主の井伊直定は病気療養のため隠居を希望していた。直定には実子・直賢がいたが幼少であったため、直禔が直定の養嗣子として迎えられた。宝暦4年(1754年)6月19日、直定の隠居により、家督を相続した。家中の混乱を憂慮して、当時としては異例ながら家臣の意見を丁寧に聞くことを重視し「法令を守り、倹約を旨として、武芸家芸に邁進すること」「皆の意見を聞くことを厭わないので、何かあれば余か側役に相談するように」「政が間違っていれば意見してほしい。そこから議論していきたい」などと家中に示した書面に残されている。

しかし、こうした矢先に急病に倒れて、直禔は養子として上野館林藩藩主で越智松平家3代目の松平武元を迎えたいと幕府に申し出たが、井伊家の血筋を重視した幕府に却下され、隠居した先代の直定が再勤するよう命じられた。同年8月29日、病気のために急逝した。享年28。

直定が再び藩主となったが、翌宝歴5年(1755年)、直禔の弟の直幸に家督を譲って隠居した。

経歴

※日付=旧暦

  • 1727年(享保12年)9月8日、生まれる。
  • 1754年(宝暦4年)
    • 6月19日、家督相続し、藩主となる。
    • 8月29日、卒去(享年28)。

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