井上正春

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テンプレート:基礎情報 武士 井上 正春(いのうえ まさはる)は、江戸時代後期の大名老中陸奥棚倉藩第2代藩主、上野館林藩主、遠江浜松藩初代藩主。浜松藩井上家9代。

生涯

浜松への復帰

棚倉藩初代藩主・井上正甫の長男。家督相続後、幕府においては寺社奉行大坂城代を手堅く務め、徐々に栄転してゆく。

天保7年(1836年仙石騒動で老中松平康任が石州浜田から陸奥棚倉に左遷されると、ところてん式に押し出されて上野館林に入り、更に弘化2年(1845年)、老中水野忠邦天保の改革に失敗して浜松から出羽山形に左遷されると、その後釜として父正甫の醜聞以来実に28年ぶりに井上氏が旧領浜松に復帰した。

浜松藩主として

館林から浜松への復帰は意外な副産物を浜松領民にもたらした。館林は関東における繊維流通の代表的な地域で、井上氏が浜松藩に復帰すると浜松の名産・遠州木綿に先進地館林の機織技術が加わり、笠井綿加西綿)として飛躍的な発展を遂げたのである。浜松木綿だけではなく、綿糸を利用した浜松織物の生産も順調に拡大した。また、藩校克明館も設置し、藩士の教育にも力を注いだ。

経歴

関連項目


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