二日市温泉 (筑紫野市)

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テンプレート:日本の温泉地 二日市温泉ふつかいちおんせん)は、福岡県筑紫野市湯町にある温泉

泉質

  • 放射能泉

歴史

開湯は1300年前の奈良時代である。歴史上の記録では、万葉集に収められた大宰帥大伴旅人の詠んだ歌に初めて記されている。[1]立地は大宰府政庁における四神相応の南の朱雀に比定されるとも言われる。 古くは「次田(すいた)の湯」、「薬師温泉」、近世は「武蔵温泉」と呼ばれていた。江戸時代には、筑前藩主黒田氏専用の「御前湯」が置かれ、[2] 「二日市温泉」と命名されたのは、1950年(昭和25年)である。

地理

JR二日市駅の南西、直線距離約500mの福岡県道7号筑紫野インター線沿線に温泉街があるが、同駅には当温泉の反対側にあたる東側にしか改札口がない。「博多の奥座敷」ともいわれ、昭和天皇江沢民美空ひばりらに縁がある旅館「大丸別荘」を含む7軒の旅館のほか、「博多湯」、「御前湯」2軒の共同浴場が存在する。

歌にみる二日市温泉

大伴旅人大宰府赴任時に妻を亡くし、この温泉にて万葉集にも収録された以下の句を読んだ。

湯の原に 鳴く芦田鶴は わがごとく 妹に恋ふれや 時わかず鳴く

幕末には三条実美がこの地を訪れ、以下の句を残した。

ゆのはらに あそふあしたつ こととはむ なれこそしらめ ちよのいにしへ

1896年(明治29年)には夏目漱石が新婚旅行に訪れている。 戦後は歓楽街としても栄え、芸奴組合なども存在した。

アクセス

参考文献

  • 森弘子『太宰府発見』海鳥社、2003年、ISBN 4-87415-422-0
  • 浦辺登『太宰府天満宮の定遠館』弦書房、2009年、ISBN 978-4-86329-026-6
  • 火野葦平『花と龍』(若松港の石炭沖仲士が武蔵温泉で遊興にひたる場面がある)

脚注

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外部リンク

テンプレート:温泉


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  1. 開湯伝説によれば、藤原登羅麻呂武蔵寺薬師如来に娘の病気治癒を祈願した際、夢の中でお告げを受け温泉を発見したとする説がある。
  2. 現在の同名共同浴場はその名残であるが、名前を受け継いだのみで当時の浴場は現存しない。