乙訓郡

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テンプレート:Pathnav テンプレート:Pathnav 乙訓郡(おとくにぐん、おとくにのこおり)は、京都府・山城国のである。

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現在は以下の1町のみで構成されている。

歴史

古代

7世紀に弟国として設置され、大宝元年(701年)の大宝令施行によりになった。大宝令施行と同時に葛野郡から分割されたという説が1955年に出されて有力であったが[1]、1980年に藤原宮跡から「弟国評鞆岡三」と書かれた木簡が出土して、評の時代からあったことが判明している[2]。なお、「兄国」は葛野郡(現在の京都市西部)だと言われている。

現在の長岡京市向日市の全域、京都市西京区および南区伏見区の一部もかつては乙訓郡に属していた。

長岡京や山城国国府などが置かれ、また戦国時代末期には勝竜寺城江戸時代淀城が当郡内に建設されるなど山城国中部を治める要地とされた。そのためか山崎の戦いといった歴史に名高い戦いが乙訓郡で行われた。

和名類聚抄』に記される郡内の。括弧内は訓読み

  • 山埼郷 (夜末佐岐)
  • 鞆岡郷 (度毛乎賀)
  • 長井郷
  • 大江郷 (於保江)
  • 物集郷 (毛豆女)
  • 訓世郷 (郡勢)
  • 榎本郷
  • 羽束郷 (波豆賀之)
  • 石作郷 (以之都久利)
  • 長岡郷
  • 石川郷

式内社

延喜式神名帳に記される郡内の式内社テンプレート:式内社一覧/header テンプレート:山城国乙訓郡の式内社一覧 テンプレート:式内社一覧/footer

近現代

明治22年4月1日 明治22年 - 大正15年 昭和1年 - 昭和19年 昭和20年 - 昭和29年 昭和30年 - 昭和64年 平成1年 - 現在 現在
向日町 向日町 向日町 向日町 昭和47年10月1日
向日市
向日市 向日市
乙訓村 乙訓村 乙訓村 昭和24年10月1日
長岡町
昭和47年10月1日
長岡京市
長岡京市 長岡京市
新神足村 新神足村 新神足村
海印寺村 海印寺村 海印寺村
大山崎村 大山崎村 大山崎村 大山崎村 昭和42年11月3日
大山崎町
大山崎町 大山崎町
久世村 久世村 久世村 久世村 昭和34年11月1日
京都市南区に編入
京都市
南区
京都市
大原野村 大原野村 大原野村 大原野村 昭和34年11月1日
京都市右京区に編入
昭和51年
京都市西京区に分区
京都市
西京区
大枝村 大枝村 大枝村 昭和25年12月1日
京都市右京区に編入
昭和51年
京都市西京区に分区
久我村 久我村 久我村 昭和25年12月1日
京都市伏見区に編入
京都市
伏見区
京都市
伏見区
羽束師村 羽束師村 羽束師村
淀村 淀村 昭和11年2月11日
久世郡淀町に編入
久世郡
淀町
昭和32年
京都市伏見区に編入

脚注

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参考文献

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テンプレート:畿内五国の郡
  1. 黛弘道「山背国葛野軍の分割 国郡成立史上の一問題」、論集日本歴史刊行会・鈴木靖民編『律令国家』(論集日本の歴史2)、有精堂、1973年、180-181頁。初出は『続日本紀研究』第2巻第8号、1955年3月。
  2. 加藤優「奈良・藤原宮跡」(1980年出土の木簡)、『木簡研究』3号、1981年、20頁。独立行政法人文化財研究所・奈良文化財研究所『評制下荷札木簡集成』、東京大学出版会、2006年、29頁。