久場島 (沖縄県石垣市)

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尖閣諸島
1.魚釣島 2.大正島 3.久場島 4.北小島 5.南小島 6.沖の北岩 7.沖の南岩 8.飛瀬

久場島(くばじま)は、沖縄県石垣市尖閣諸島にある無人島である。先島諸島の島民によってクバシマと呼ばれ、琉球王国の文書には黄尾嶼として記載され[1]、現在も中国語ではそのように呼ばれる。「クバ」は沖縄方言蒲葵を指し、八重山列島では「チールージマ(黄色い島)」とも呼ばれた。

概要

石垣島北方約160kmの北緯25°56′、東経123°41′に位置する無人島。主島の魚釣島から北東方約28kmの尖閣諸島の北端に位置する。面積0.91km²[2]。最高峰は標高117mの千歳山[3]、ほかに信天山(105m)などがある。火山島であり、数個の火口がある。島の形成時期は第四紀とされる[4]

日本領有実効支配しているが、中華人民共和国及び中華民国も領有権を主張している。日本の行政区分では沖縄県石垣市登野城2393番地にあたる[5]。島の所有者は民間人であり、2012年9月11日まで同じく尖閣諸島の魚釣島北小島南小島も民間人が保有していたが、尖閣諸島国有化によりこれら3島の所有権が国に移ったあとも、久場島のみ引き続き民間人が保有している[6]

島の南西部にはかつて鰹節工場や、海鳥の羽の加工場があったが、事業中止に伴って無人島となった。また、かつては尖閣諸島で最大のアホウドリの営巣地があり、現在もアホウドリの繁殖の可能性が指摘されている[7]

同じく尖閣諸島に属する大正島とともに在日米軍の射爆撃場に設定されているが、1978年6月以降使用されていない状況にある[8]

島の周辺

久場島の北西から北東にかけては、日本の排他的経済水域(EEZ)の基点となる3つの小島があるが、これらの島は2012年3月2日北西小島北小島北東小島と命名されている[9]

歴史

  • 1895年1月14日 - 日本領に編入される。
  • 1896年 - 古賀辰四郎が政府から魚釣島、久場島、北小島南小島の30年間無償貸与を受ける(なお、無償貸与期間終了後も、有償で貸与が続けられた)。
  • 1932年5月20日 - 魚釣島、久場島が古賀善次(辰四郎の子)に有償で払い下げられる(同年、北小島、南小島も有償で払い下げられている)。
  • 1946年2月2日 - 北緯30度以南がアメリカ軍の軍政下に置かれる。
  • 1952年4月28日 - サンフランシスコ講和条約の発効により、琉球政府の施政下に入る。
  • 1970年7月 - 琉球政府が尖閣諸島の魚釣島、久場島、大正島、北小島、南小島に不法入域防止のための警告板を設置[10]
  • 1972年5月15日 - 本土復帰
  • 1972年5月15日 - 日米合同委員会において、日米両政府が、久場島及び大正島を射爆撃場として米軍に提供することに合意[8]

脚注

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参考文献

  • 角川地名大百科辞典編纂委員会『角川地名大辞典47沖縄県』、角川書店、1986年
  • 日外アソシエーツ『島嶼大事典』、日外アソシエーツ、1991年
  • 『日本歴史地名体系(第48巻)沖縄県の地名』、平凡社、2002年

外部リンク

テンプレート:尖閣諸島
  1. 尖閣列島に関する琉球立法院決議および琉球政府声明
  2. 沖縄県島しょ別面積一覧 沖縄県企画部土地対策課
  3. 海上自衛隊 第5航空群 ガス田群尖閣諸島
  4. 尖閣諸島の地質 | 島嶼資料センター 元資料: 野原朝秀「尖閣列島の地質(予報)」、『琉球大学尖閣列島学術調査報告』(1971年)
  5. 角川地名大百科辞典編纂委員会『角川地名大辞典47沖縄県』、角川書店、1986年、332頁
  6. テンプレート:Cite web
  7. アホウドリの繁殖確認/尖閣・南小島 琉球新報 2001年4月4日
  8. 8.0 8.1 尖閣射爆撃場、米軍30年余不使用 政府「必要」と認識 琉球新報 2010年10月23日
  9. 名称不明離島の名称決定・地図等への記載について 総合海洋政策本部、2012年3月2日
  10. 尖閣諸島「警告板の設置作業者を」 与那国の関係者探す - 八重山毎日新聞 2009年8月15日