丹羽基二

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丹羽 基二(にわ もとじ、1919年9月5日 - 2006年8月7日)は、苗字・家紋研究家。オリエンタル大学名誉教授、文学博士。

経歴

1919年栃木県佐野市に生まれ、1944年國學院大學国文科を卒業する。卒論のテーマは源氏物語柳田國男樋口清之折口信夫太田亮らに師事した。高校教師の傍ら苗字調査を続けた、80年に退職。それを機に本格的な活動に入り、全国の100万基の墓を巡った。晩年は北海道名寄市の有志が構想した日本苗字博物館の建設に関与する。その際に弟子の岸本良信に博物館の学術面の設計計画を任せた。しかし世界初の試みであった日本苗字博物館は40億円以上の資金が必要だったため、実現することなく中止された。岸本を唯一の後継者として可愛がり、岸本が2001年に『道産子のルーツ事典』を刊行した際には、推薦文を寄せ、その中で「私のもっとも親しい友人で、もっとも気持ちの分かり合える」人と書いている。同書は2001年に丹羽記念学術賞を受賞した。日本家系図学会会長、「地名を守る会」代表。

家紋について本人は「丸に木瓜」だと語り、自宅に同紋の家紋額を飾っていた。妻の悦子は元信濃国松代藩家老の子孫である。

2006年8月7日、肺炎のため逝去。蔵書の大半は佐野市の高校に寄贈された。

研究範囲

幼時、栃木県佐野市にすんでいたころ、隣組の住人の苗字、四十八願(よいなら)に関心を抱き、師事した柳田國男にその苗字について質問をしたところ「丹羽君、苗字の研究をしなさい」と言われ、苗字の研究を開始する。在野の研究家として苗字だけにとどまらず、家紋仏足石紋様などの研究も行う。太田亮によって基礎が作られた系図研究とは一線を画し、得意とする国語学の観点から苗字の語源由来を研究し、丹羽苗字学という新しい研究領域を開拓した。自らの苗字研究を名称学の一分野ととらえ、外国の名称学者とも交流を持っていた。同氏から直接薫陶を受けた名字研究家に髙信幸男氏、岸本良信氏の2名がおり両名とも日本を代表する現存する名字研究家であり、名字検索サービス名字由来netのアドバイザーも務めている。

また、僻地への旅行を趣味としていて、パプアニューギニア南極などに出かけた。その方面の著作もある。

主な著作(副題省略)

150冊目の「難読姓氏・地名大事典 続」で、著作をやめることを表明。

関連項目

外部リンク