世尊寺家

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テンプレート:日本の氏族 世尊寺家(せそんじけ)は、藤原北家から出た公家九条流の嫡流であった摂政藤原伊尹の孫行成を祖とする。

三跡」「四納言」として知られた初代・行成以降、代々入木道書道)の家系として知られ、その流派は世尊寺流として受け継がれた。


由来

藤原行成が晩年母の里方の代明親王の邸宅だった桃園第[1]に隠棲し、邸宅内に世尊寺を建立、その子孫が代々そこを住居としたため「世尊寺」の家名が成立した。

歴史

初代藤原行成から17代を数えるが、世尊寺の家名で知られるのは世尊寺行能以後とされる。

行成の孫である藤原伊房までは、代々公卿の地位に昇っていたが、伊房が大宰権帥時代に起こしたとの密貿易事件によって失脚して以後は、四位もしくは五位止まりの中下級公家としての地位に止まり、入木道(書道)を家業・家学とすることで辛うじて公家社会に踏みとどまった。だが、それも摂関家から登場した法性寺流が流行して後白河法皇の保護を受けるとその地位も揺らぐことになる。

危機感を抱いた藤原伊行は現存する最古の書論書『夜鶴庭訓抄』を著して書道の家としての地位を主張するとともに、伊行及びその子孫は書道故実の集成と「世尊寺流」としての書道理論・書風の確立に努めた。こうした努力の甲斐があって、孫の行能の時代(鎌倉時代前期)には大嘗会などの重要な公事や摂関の進退に関わる上表文の作成に際しては「重代」の家である世尊寺家の当主が清書を行う故実が確立され、また摂関家とのつながりを強めた行能が再び従三位に叙せされたことによって、堂上家としての地位を回復した。

以後 室町時代にかけて堂上家として続き、室町時代には正二位参議極官としたが、室町時代末の17代目世尊寺行季薨去により断絶、絶家となった。

太平記』に新田義貞の妻として登場する勾当内侍は、世尊寺経尹の娘という[2]


歴代当主

  1. 藤原行成(972-1027)
  2. 藤原行経(1012-1050)
  3. 藤原伊房(1030-1096)
  4. 藤原定実(?-?)
  5. 藤原定信(1088-1156)
  6. 藤原伊行(1139?-1175?)
  7. 藤原伊経(?-1227)
  8. 世尊寺行能(1179-1255?)
  9. 世尊寺経朝(1215-1276)
  10. 世尊寺経尹(1247-?)
  11. 世尊寺行房(?-1337)
  12. 世尊寺行尹(1286-1350)
  13. 世尊寺行忠(1312-1381)
  14. 世尊寺行俊(?-1407)
  15. 世尊寺行豊(?-1453)
  16. 世尊寺行高(1412-1478)
  17. 世尊寺行季(1476-1532) - 正二位参議


系譜

実線は実子、点線(縦)は養子、点線(横)は婚姻関係。

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脚注

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参考文献

  • 宮崎肇「中世書流の成立 -世尊寺家と世尊寺流-」(所収:鎌倉遺文研究会 編『鎌倉遺文研究3 鎌倉期社会と史料論』(東京堂出版2002年) ISBN 978-4-490-20469-8)
  • 小松茂美 「世尊寺家年譜」(『日本書流全史(上・下)』講談社、新版1970年)

関連項目

  • 元は清和天皇皇子清和源氏の祖である貞純親王の邸宅であった。場所は平安京一条大路北の末、大宮大路の西、大内裏の北郊で現京都市上京区大宮通五辻上ル大宮西入ル辺りにあったとされる。
  • 尊卑分脈