三村申吾

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テンプレート:政治家 三村 申吾(みむら しんご、1956年4月16日 - )は、日本政治家青森県知事(公選第17・18・19代)。

衆議院議員(1期)、青森県上北郡百石町長(1期)を歴任した。

来歴

青森県上北郡百石町(現おいらせ町)生まれ。青森県立八戸高等学校東京大学文学部卒業。大学卒業後は新潮社に入社。文芸編集畑を歩み、畑山博綱淵謙錠山口瞳中沢けいらを担当した。1987年に帰郷し、1990年に生家が経営する株式会社三村興業社の代表取締役に就任。

1992年、故郷の百石町長選挙に衆議院議員(当時)・田名部匡省の支援を受けて出馬し、初当選。1996年には百石町長を辞職し、田名部の後押しを受けて第41回衆議院議員総選挙新進党公認で青森2区から出馬したが、自由民主党公認の江渡聡徳765票の僅差で敗れ、落選。その後新進党の解党に伴い、田名部が所属した無所属の会に入党。2000年第42回衆議院議員総選挙には無所属の会公認で青森2区から出馬し、当選した。2001年内閣総理大臣指名選挙では自由民主党総裁(当時)の小泉純一郎に投票し、野党議員ながら自民党寄りの姿勢を鮮明にした。なお、三村が所属した無所属の会は当時衆議院院内会派民主党・無所属クラブ」を結成していたが、無所属の会の三村・中田宏が首班指名で民主党代表(当時)の鳩山由紀夫に投票しなかったため、民主党幹事長(当時)の菅直人が激怒し、三村・中田両名は「民主党・無所属クラブ」を除名された(無所属の会には残留)。

2003年6月に衆議院議員を辞職。前知事・木村守男の辞職に伴う青森県知事選挙に出馬し、当選した。2007年に再選。2011年には、民主党・国民新党が推薦した候補者が、三村県政に対し原子力発電や防災に関する明確な対立軸を示せず、自民・公明両党の推薦を受けた三村が大差をつけて3選を果たした[1]。その一方で、県知事選挙に対する県民の関心は低下しており、投票率は2007年には過去最低の38.45%を記録し、2011年も投票率は前回より上昇したが2番目に低い41.52%に終わっている[2]

人物

親族

  • 父・三村輝文は2011年まで青森県議会議員を務めており、2003年から2011年まで、親子で県知事・県議を務めていた。
  • 妻・三村三千代は大学時代の同級生で、八戸学院短期大学客員教授を務める。専門は国文学、特に古典文学。

脚注

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外部リンク

テンプレート:都道府県知事

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  1. 【解説】三村氏、民主の“自滅”で圧勝東奥日報2011年6月6日
  2. 有権者の関心高まらず/投票率低迷 各陣営「反省が必要」東奥日報2011年6月6日
  3. 三村県政支え15年 公明、独自の存在感東奥日報2011年5月24日