三室戸駅

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テンプレート:UKrail-header2テンプレート:BS-tableテンプレート:BS-colspan宇治駅テンプレート:BS2textテンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS2テンプレート:BS-colspan黄檗駅

|} 三室戸駅(みむろどえき)は、京都府宇治市菟道(とどう)出口にある、京阪電気鉄道宇治線

駅構造

島式1面2線のホームを持つ地上駅である。改札口は1か所のみで、ホーム宇治寄りにある。ホームの中程に待合室があり、中書島寄りにトイレがある。早朝深夜を除き駅員が駐在している。

宇治駅までの所要時分は1分。当駅を出ると、すぐに宇治駅の駅舎とホームが見える。

のりば

1 テンプレート:Color宇治線(上り) 中書島淀屋橋中之島線出町柳方面
2 テンプレート:Color宇治線(下り) 宇治ゆき

案内サインは上記の通りであるが、上り列車は中書島駅までの運転のため、淀屋橋・中之島線方面と出町柳方面は中書島駅で乗り換えとなる。なお、両ホームとも有効長は5両。

利用状況

  • 2009年11月10日の乗降人員は4,514人であった[1]
  • なお、近年の1日平均の乗車人員は以下の通りである[2]
    • 2003年度 - 2,378人
    • 2004年度 - 2,481人
    • 2005年度 - 2,460人
    • 2006年度 - 2,400人
    • 2007年度 - 2,375人
    • 2008年度 - 2,361人
    • 2009年度 - 2,282人
    • 2010年度 - 2,386人
    • 2011年度 - 2,279人

駅周辺

歴史

現在は島式ホーム1面だが1917年(大正6年)の開業当時は相対ホームの駅だった[4]。翌1918年(大正7年)に営業休止、1922年(大正11年)までに営業再開するが1943年(昭和18年)に一旦廃止、戦後の1947年(昭和22年)に再開業している。現在の駅舎は1969年(昭和44年)に建設され竣工に合せて相対ホームだった駅は島式ホーム1面の現在の形となった[5]

1965年(昭和40年)に宇治高等学校が開校、宇治高校が立命館宇治高等学校となり、2002年(平成14年)に同校が移転するまで通学する学生に利用された。閉校式に併せて10000系電車によるラッピングトレインも運行された。

年表

  • 1917年大正6年)2月1日 - 宇治線の黄檗 - 宇治間に新設開業。
  • 1918年(大正7年)6月5日 - 営業休止(1921年までに営業再開)。
  • 1943年昭和18年)
    • 10月1日 - 会社合併により京阪神急行電鉄(阪急電鉄)の駅となる。
    • 11月1日 - 一旦廃止。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 再び開業。
  • 1949年(昭和24年)12月1日 - 会社分離により京阪電気鉄道の駅となる。
  • 1969年(昭和44年)- 現駅舎が完成、島ホーム1面の駅となる。
  • 1981年(昭和56年) - プラットホームに視覚障害者用誘導ブロックを新設[6]
  • 1994年平成6年)10月 - 自動改札機を設置[7]
  • 2000年(平成12年)6月26日 - 待合室冷房化。
  • 2009年(平成21年)1月 - オストメイト対応の多目的トイレ設置[8]

その他

隣の駅

京阪電気鉄道
テンプレート:Color宇治線
黄檗駅 - 三室戸駅 - 宇治駅

関連項目

脚注・出典

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

外部リンク

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  1. 『京阪百年のあゆみ[資料編]』
  2. 宇治市統計書、年間乗車人員を日数で除している。
  3. テンプレート:Cite web
  4. 開業100周年記念ミュージアムトレインの車内展示写真より
  5. 出典・京都新聞2013年7月30日朝刊23面連載記事「降りたまちは」三室戸駅を特集。
  6. 出典・駅置き広報誌「くらしの中の京阪」1981年8月号
  7. 出典・駅置き広報誌「くらしの中の京阪」1994年11月号
  8. 出典・駅置きの沿線情報誌『K PRESS』2009年2月号の16面「くらしのなかの京阪」