一宮競輪場

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テンプレート:基礎情報 競輪場 一宮競輪場(いちのみやけいりんじょう)は愛知県一宮市にある競輪場2014年3月16日に本場開催廃止となった。施設所有および主催は一宮市。実施は日本自転車競技会中日本地区本部。

概要

一宮競輪場は1950年に開設された。記念競輪(GIII)は当地の名産より「毛織王冠争奪戦」として11月に開催されていた(2011年は時期移動で6月、2012年2013年は10月に開催)。昔から特別競輪が数多く開催され日本選手権競輪は4回、オールスター競輪は5回開催されており、最後の特別競輪開催は2008年のオールスター競輪だった。

イメージキャラクターはを意匠化した「きらりん」で、それにちなみ「きらりんカップ争奪戦」が開催されていた。

2004年4月からはCS放送のスポーツ専門チャンネルEXスポーツにおいて『ケイリンライブ!』(2012年9月までの番組名は「ケイリンライブ!282(ツーパーツー)」)の放送を行ない、他にも地元ケーブルテレビアイ・シー・シーのICCチャンネル2(地上デジタル放送 122ch)でレース開催日に限り再送信していた。

トータリゼータシステム日本トーター2011年9月10日よりオムロンから変更)。2008年7月2日からは重勝式車券にあたるKドリームスの発売が行われていた。

廃止の経緯

一宮市長は一宮競輪場を2014年3月末で廃止する方針であることを発表した。これは本場の売上高の減少傾向に歯止めがかからない上、経費の増加も予想されていたため、発表の時点で競輪事業から撤退できれば廃止に関わる費用を問題なく捻出できるとの考え方に拠る[1]

これにより廃止の手続きが市議会に諮られることになり、その後本場開催からは撤退するが場外車券売場として存続する方針が取られ[2]、同年12月19日の一宮市議会において今年度限りで事業を廃止するための条例案が可決され、廃止が正式に決定する[3]

そして2014年3月16日に一宮競輪場での最終開催が終了し、中部地区内の競輪場においては初の開催廃止となった[4]

なお一宮を対象とした重勝式のKドリームについても販売終了となり、最終開催日のみ一つのレースが外れになっても他のレースが全て的中していれば、的中者とみなす特例措置が実施されたが、的中者の出なかったBigDreamの17250円およびK5の24750円のキャリーオーバーが一宮市の収益となった。

開催廃止に伴う措置

本場開催終了後も一宮市は競輪の施行権を保有しており、平成26年度は施行権に基づく場外発売のみを行なう形となる。また平成27年度以降に施行権が失効しても、他の競輪場を主催する自治体が管理施行を行なう「サテライト」とする方針で、これにより廃止後も同施設は場外車券売場として当面使用される[5]。また競走路などの施設も当分の間残され、自転車競技場として活用される。

バンク

400mバンクだが500mバンク並みに直線が長く、400mの中では武雄競輪場と並んで日本一の直線距離である。この為か1着決まり手の6割弱は差し、2着では差しとマークで7割と先行選手には不利な結果が数値として現れていた。

交通アクセス

歴代記念競輪優勝者

優勝者 登録地
2002年 前田拓也 大阪
2004年 合志正臣 熊本
2005年 武田豊樹 茨城
2006年 小野俊之 大分
2007年 山口幸二 岐阜
2009年 岩津裕介 岡山
2010年 金子貴志 愛知
2011年 深谷知広 愛知
2012年 佐藤友和 岩手
2013年 長塚智広 茨城
※1節4日間制開催となった、2002年4月以降の歴代記念競輪優勝者を列記。

エピソード

  • 日本選手権競輪廃止の危機を2度も救った競輪場として知られる(詳細は日本選手権競輪を参照のこと)。また1963年3月に当競輪場で開催された全国争覇競輪(日本選手権競輪)決勝戦(優勝は西地清一)が、テレビ地上波における最初の特別競輪(GI)中継であった。
  • 1971年、日本の公営競技としては初となる場内テレビモニターをカラー化した。
  • 現在はいくつかの競輪場、サテライトに存在するアドバイザー制度(一般的にはガイダンスコーナーと言われるファンとの対話に務める場所が設けられているが、アドバイザーは概ね元競輪選手が務めている)を導入した最初の競輪場である。アドバイザーは寺澤節男
  • 2008年9月11日、当地で開催されたオールスター競輪初日第7レースに出走した内田慶栃木)が最終周回3コーナー(ゴールまで3/8周)付近で接触事故を起こし落車、頭部を強打して死亡している。2014年の本場開催最終日には内田の遺族も来場し、閉場セレモニーにおいて来場客と共に改めて黙祷を捧げた。
  • 珍名選手として知られる、左京源皇[6](さきょう みなもとのすめら)は当競輪場をホームバンクとし、200勝達成も当場でしている(2013年1月7日に引退)。

脚注

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関連項目

外部リンク

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  1. 嘆く客「もうやめる」一宮競輪場「廃止」表明 - 中日新聞2013年6月4日
  2. 2013年12月4日の一宮市議会一般質問で、山口善司副市長は「本場(のレース)開催からは撤退するが、場外車券売り場として残すことを前向きに検討したい。」と述べた(2013年12月5日 中日新聞尾張版)
  3. 一宮けいりん 撤退が正式決定 - NHK 東海NEWS WEB 2013年12月19日付
  4. 一宮競輪廃止へ 業績低迷、来年3月末で(2013年6月3日スポーツニッポン)
  5. 一宮競輪場64年の歴史に終止符 - nikkansports.com、2014年3月16日
  6. 選手プロフィール