ロッド・エヴァンス

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テンプレート:Infobox Musician ロッド・エヴァンスRod Evans , 1947年1月19日 - )は、イギリス出身のヴォーカリストディープ・パープルのオリジナル・メンバーであったことで知られる。

来歴

生い立ち

イングランドスラウで生まれる。少年時代にロックンロールに興味を持ち、中学を卒業後ロンドンに移る。1965年頃に所属していたメイズというバンドでドラマーイアン・ペイスと出会う。メイズは何枚かのレコードを発売するがいずれも成功を収めることはなかった。1968年、エヴァンスとペイスはディープ・パープルの前身であるラウンドアバウトのオーディションを受け、同グループへ加入した。

ディープ・パープル

テンプレート:Main エヴァンスの在籍期間中、ディープ・パープルは『ハッシュ』『ケンタッキー・ウーマン』などのヒット曲と3枚のアルバムをリリースしたが、やがてハードロックを指向するバンドメンバーとすれ違うようになり、わずか1年で解雇される。彼の後任にはイアン・ギランが迎えられた。

脱退後

1971年、エヴァンスはアイアン・バタフライの元メンバーらと共にキャプテン・ビヨンドを結成。アルバムを2枚発表して高い評価を得たが、アメリカでのセールスが振るわず、商業的には苦戦を強いられた。メンバーの入れ替わりも激しく、ついにはエヴァンス自身も脱退し、バンドは軌道に乗らないまま1973年に活動を休止した。

1977年、再びキャプテン・ビヨンドのメンバーが集まってアルバムを1枚出したが、エヴァンスが参加することはなかった。

「再結成」騒動

1980年、エヴァンスはロック史に残る無様な事件を起してしまう。いわゆる「偽ディープ・パープル事件」である。エヴァンスはこの当時解散状態にあったディープ・パープルの名前を使用し、無断で活動を行ったのである。

エヴァンスはメンバーによく似た見た目のマイナーミュージシャンを集め、新聞に広告を載せ、アメリカでコンサートを開いた。コンサートでは自身が在籍した時期のものでない人気曲(『スモーク・オン・ザ・ウォーター』『ハイウェイ・スター』)などを数多く採り上げたこともあり、実体としては単なる偽者に過ぎなかった。公演中にそう気付いた観客は激怒し、ビンをステージに投げつけるなどをしたという。こうしたコンサートは数回行われたが、ディープ・パープル側のスタッフが広告などで虚偽を知らせる表明をした結果、騒動は終局した。

エヴァンスはディープ・パープルのマネジメント会社に訴えられ、672,000ドルの損害賠償を命じられたうえ、自身が関わったディープ・パープル時代のアルバムの印税所得権利を放棄させられた。

ただし、この事件について「ロッド・エヴァンスは他者に利用された」という声がある。伝えられる処では、この計画を企図したプロモーター達は以前にも偽ステッペンウルフ (Steppenwolf) の件で訴訟を起こされているような者たちであり、偽ステッペンウルフのメンバー数人はそのまま偽パープルにも参加していた。彼らはディープ・パープルの名前を使おうと考え、まずニック・シンパーを引き入れようとしたが断られた。しかし次に声をかけられたエヴァンスは結果的に加担した…というのが真相であるとされている。つまりロッド・エヴァンスは、その「愚かな行為」に対する責任は免れようが無いとしても、少なくとも主犯ではない、という見解である。

しかし、皮肉にもこの事件によって元メンバー(2期)の間に結束が生まれ、それが1984年のディープ・パープル再結成へと繋がっていくことになったとも言われている。したがって、あくまでも結果論ではあるが、エヴァンスはディープ・パープル再結成に貢献したとも言える。

なお、この一件の後、エヴァンスは表舞台に姿を表していない。

外部リンク

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