レブロン・ジェームズ

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テンプレート:バスケットボール選手 レブロン・ジェームズLeBron James(テンプレート:IPA-en;, 1984年12月30日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州アクロン出身のプロバスケットボール選手である。NBAクリーブランド・キャバリアーズに所属。愛称は「キング」。 背番号は憧れだったマイケル・ジョーダンと同じ「23」。以前マイアミ・ヒートに在籍していたときは、「6」を着用していた。身長203cm、体重113kg。ポジションスモールフォワードだが、ポイントガードシューティングガードパワーフォワードもこなせるオールラウンダー。2009~2013年の5年間でMVPを4回受賞するなど輝かしいキャリアを積み上げている。現在のNBAを代表する選手の1人であり、圧巻のパフォーマンスと近年の実績から、ジョーダンとそのプレイを比較されるNBA随一のスーパースター。

生い立ちと高校時代

レブロンはアクロンの低所得者地区で生まれた。父親は側におらず、住居を転々としながら16歳の母親と継父によって育てられた。バスケットとアメリカン・フットボールに熱中した少年時代に、レブロンはバスケットのコーチの家に居候するようになった。新しい環境でさらにバスケットの腕を磨いたレブロンは、アマチュア・アスレチック・ユニオンの大会で頭角を現すようになった。

高校はセント・ビンセント=セント・メアリー高校でプレイ。レブロンは1年目からエースとなり、20得点6.2リバウンドの成績でチームを牽引、27戦全勝で州の第3部チャンピオンに上り詰めた。

2年目には25.2得点7.2リバウンド5.8アシストとさらに成績を伸ばす。レブロンの評判はすぐに広まり、高校はこのシーズンの開幕戦をアクロン大学のアリーナで開催し、観客5000人を集め、さらに連覇が掛かった州タイトルの決勝戦では17,000人が集まり、レブロンとチームは大観衆の前で見事に優勝を果たした。またレブロンは州史上2人目となる2年生でのオハイオ州ミスター・バスケットボールに選ばれ、またUSAトゥデイ紙選出のオールUSAファーストチームにも名を連ねた。すでに全国区となっていたレブロンはNBAのスカウト陣の注目も集め、NBAのワークアウトにも招かれた。アメリカン・フットボールワイドレシーバーとしても優秀だったレブロンは、このシーズンに州のオールファーストチームにも選ばれていたが、怪我をしてしまいバスケット一本に絞る様になった。

3年目のシーズン、チームは州の第2部に昇格したが、州タイトル3連覇は果たせなかった。レブロンは29.7得点8.3リバウンド5.7アシストの成績で、ゲータレード選出の年間最優秀選手に選ばれた。また高校生としてはケビン・ガーネット以来となるスラムマガジンの表紙を飾った。他にもスポーツ・イラストレイテッドESPNマガジンなど有名誌でも表紙を飾り、全米から大きな注目を集めた。

4年目のシーズン、レブロンは31.6得点9.6リバウンド4.6アシストの成績で3年連続のミスター・バスケットボール、オールUSAファーストチーム、2年連続のゲータレード年間最優秀選手に選ばれ、高校オールスターゲームであるマクドナルド・オールアメリカン・ゲームではMVPを受賞した。全米にテレビ中継された試合は高視聴率を収め、また州タイトル決勝戦では18,454人の観客を集めた。チームは40-36で勝利を収め、1年ぶりに州チャンピオンに返り咲いた。このシーズン中、レブロンの誕生日のために母親が高級車(ハマーH2)を贈ったことを、オハイオ高校体育協会が問題視し、レブロンは2試合の出場停止処分を受けている。

大学には進学せず、NBAドラフトにアーリーエントリーした。在学中にナイキと7年間で総額9,000万ドル(他にもアッパーデックUpper Deck Company)と5年間で総額500万ドル)という契約を結ぶなど、商業的にも注目を集めていた。

NBA

キャリア初期

セント・ビンセント=セント・メアリー高校を卒業後、レブロンは2003年のNBAドラフト全体1位でクリーブランド・キャバリアーズに指名され、18歳の若さでNBA入りした。この年のドラフトはレブロンの他にもドウェイン・ウェイドカーメロ・アンソニーなど将来を嘱望される選手が多く、彼らを総称してレブロン世代と呼ぶこともある。

ルーキーイヤーとなった2003-04シーズン、レブロンは開幕戦で25得点6リバウンド9アシスト4スティールと前評判どおりのオールラウンドな働きをしてみせた。11月から翌年の4月までのイーストのルーキー・オブ・ザ・マンスを独占し、シーズン成績は20.9得点5.9アシスト5.5リバウンドだった。ルーキーイヤーに20得点5アシスト5リバウンド以上を達成したのは、オスカー・ロバートソン、マイケル・ジョーダンに続いて史上3人目であった。また、オールスターには出場できなかったものの、ルーキーチャレンジでは1年目選手のチーム最多の33得点を挙げた。キャバリアーズは前年より勝ち星を18勝増やし、35勝47敗の成績を残すがプレーオフ進出は叶わなかった。ルーキー・オブ・ザ・イヤー(新人王)の投票では得点、リバウンドで新人1位の成績を残しプレイオフに出場したデンバー・ナゲッツのカーメロ・アンソニーとの争いになったが、レブロンは508ポイントを獲得(カーメロ・アンソニーは430ポイント)し、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。

翌04-05シーズンにはこれまで苦手とされていたアウトサイドシュートが向上し、さらに得点力をアップ。2005年1月19日には最年少(20歳と20日)でのトリプルダブル達成、同年3月20日には最年少(20歳と80日)での1試合50得点以上を達成し、オールスターにも初出場を果たした。シーズン成績は27.2得点7.2アシスト7.4リバウンドで、オスカー・ロバートソン、ジョン・ハブリチェックラリー・バード、マイケル・ジョーダン以来5人目の27得点、7アシスト、7リバウンド以上達成となった。しかし、チームは42勝40敗と前年から更に勝ち星を増やすもののカンファレンス8位のニュージャージー・ネッツと同率の9位になり、プレーオフ出場はならなかった。

スーパースターへ

05-06シーズンは、レブロンにとってもチームにとっても勝負の年となった。レブロンはプロ入り3年目としてチームでの結果を求められ、チームはこのシーズン後にFAとなるレブロンと契約延長するためにも、より勝てるチーム作りをしなければならなかった。チームは補強に乗り出すが、目玉であったラリー・ヒューズは怪我でシーズンの大半を欠場し、その他の補強組も期待したほどの活躍を見せず、レブロンを取り巻くチーム状況にさして変化はなかった。しかしレブロンは自身初の決勝ブザービーターを決めるなど、これまで足りないと言われてきた勝負強さも兼ね備えるようになり、チームを勝利に導ける選手にまで成長。チームは大きく躍進を果たし、50勝32敗の成績で8年ぶりにプレーオフ進出。自身も2度目のオールスターゲーム出場で29得点6リバウンドをあげて最年少のオールスターMVPに輝き、レギュラーシーズンでは初の30得点オーバーとなる31.4得点7.0リバウンド6.4アシストという好成績を残した。またトッププレイヤーの証明であるオールNBAファーストチームに初めて名を連ね、MVP投票ではスティーブ・ナッシュに次いで2位だった。初のプレーオフでは1回戦のワシントン・ウィザーズとの第1戦で、いきなり31得点11リバウンド11アシストのトリプルダブルをたたき出す。シリーズを4勝2敗で制すると、カンファレンス準決勝ではレギュラーシーズン1位のデトロイト・ピストンズ相手に3勝2敗とリードを奪うが、そこから2連勝されて惜しくも敗退した。

06-07シーズン、チーム戦績は50勝32敗で前シーズンと変わらなかったが、プレーオフでは順調に勝ち上がり、自身初の、またチームとしては1992年以来のカンファレンス決勝に進出。前シーズンに敗れたデトロイト・ピストンズ相手に、ダブルオーバータイムまでもつれたシリーズ第5戦では48得点(オーバータイムではチームの全得点)をあげるなどのスーパースターにふさわしい活躍を見せ、4勝2敗でこのシリーズを制し、自身初の、そしてチーム史上初のNBAファイナルに進出した。夢のチャンピオンリングまであと4勝となったが、ファイナルサンアントニオ・スパーズとの対戦ではディフェンスのスペシャリストであるブルース・ボウエンのマッチアップと、スパーズの強固なチームディフェンスの前に苦しみ、4戦全敗で敗退。ファイナル中のレブロンはフィールドゴール成功率35%と精彩を欠いた。

07-08シーズンのレブロンの活躍は華々しく、得点の分野では年2月27日のボストン・セルティックス戦で通算10000得点を達成。史上最年少の23歳59日での達成はこれまでの最年少記録のコービー・ブライアントの24歳193日を大幅に更新した。またトリプルダブル7回達成はチーム最多記録、2試合連続トリプルダブル2回達成は1988年のマジック・ジョンソン以来の快挙であった。3月5日のニューヨーク・ニックス戦では50得点10アシスト以上を記録したリーグ3人目のプレイヤーとなった。オールスターゲームでは、2回目のオールスターMVPに輝いた。このシーズンの成績は30.0得点7.9リバウンド7.2アシストとMVP級の数字を残し、自身初のリーグ得点王に輝いた。目覚しい活躍を見せたレブロンだが、一方でチームはオフの補強が上手くいかず、シーズン序盤から苦戦を強いられ、45勝37敗とレブロンがキャブス入りして以来初めて勝率を落とした。プレーオフ1回戦ではウィザーズと3シーズン連続で対戦。このシリーズではウィザーズのデショーン・スティーブンソンによるレブロンへの挑発行為が話題を集めたが、チームは4勝2敗でウィザーズを退け、カンファレンス準決勝に進出した。準決勝の対戦相手はこのシーズンリーグ首位の成績を収めたボストン・セルティックス。レブロンはセルティックスの強力ディフェンスの前に苦しみ、得点が伸び悩んだが、チームはセルティックスを追い込み、最終第7戦まで粘った。第7戦でようやく本来の姿を取り戻したレブロンは、45得点を記録してセルティックスを追い詰めたが、惜しくも勝利は逃し、2シーズン連続のファイナル進出はならなかった。

08-09シーズン、レブロンは28.4得点7.6リバウンド7.2アシストを記録し、チームもリーグトップの66勝16敗をマーク。チームをカンファレンス1位に導き初のシーズンMVPを獲得した。プレーオフに入っても絶好調を維持し、1回戦、カンファレンス準決勝を共に4勝0敗で突破するなど優勝候補の最右翼となった。しかし、一転、オーランド・マジックとのカンファレンス決勝では激戦の末、ホームでの第1戦を落とす。第2戦、2点ビハインドで迎えた残り1秒で、スローインからボールを受けたレブロンが劇的な3ポイントのブザービーターを沈め1勝1敗としたが敵地オーランドで計3敗を喫し、結果として2勝4敗でプレーオフを終えた。試合後、相手のマジックの選手の健闘を称えず無言でコートを後にし、試合後の記者会見も放棄して帰った事で批判を浴びてしまった。レブロンはこの件について「チームは負けたかもしれないが、俺は勝者だ。」などと後に語っている。

09-10シーズン、レブロンは29.7得点7.3リバウンド8.6アシストを記録、チームとしても61勝21敗で2シーズン連続でリーグ勝率1位に導き、本人も2シーズン連続でシーズンMVPを獲得した。プレイオフではカンファレンス準決勝でボストン・セルティックスに2勝4敗で敗退した。

新天地

シーズン終了後、フリーエージェントとなった彼はキャバリアーズ、シカゴ・ブルズとも契約交渉を行っていたがマイアミ・ヒートと契約。ドラフト同期のドウェイン・ウェイドクリス・ボッシュらとチームメートとなった[1]

10-11シーズン、3人のスターが集まったヒートは大きな注目を集めたが、開幕一ヶ月は勝率5割前後と低迷し大きな批判を受けた。その後もチームプレーの完成度は一進一退であったがスリーキングス個々の圧倒的な個人技で勝ち星を重ねディビジョン優勝を果たした。3人のスターが存在する為ボールをシェアすることから個人成績は低下すると予想されたが、レブロンは26.7得点・7.5リバウンド・7.0アシストとキャブス時代と変わらぬハイレベルのスタッツを記録し、新チームでもエースとしての役割を務めオールNBAファーストチームに選出された。

プレーオフでも存分に活躍した。特にボストン・セルティックスとのカンファレンス・セミファイナルではシーズン中は精細を欠いていたウェイドの活躍もあり勝利、キャバリアーズに所属していた時から何度も煮え湯を飲まされてきた強敵へ勝利したことで男泣きする場面を見せた。カンファレンス・ファイナルでのシカゴ・ブルズとの試合でもこのシーズン史上最年少でMVPに輝いたデリック・ローズのマークをするなど、攻守に渡って充実したパフォーマンスを示して、自身4年ぶりとなるNBAファイナルに進出しダラス・マーベリックスと対戦。しかしファイナルを通して低調な内容に終わり、特に勝負所の4Qでの勝負弱さ、消極性にメディアからは批判が集中した。レブロンがファイナルで記録した平均17.8得点は、レギュラーシーズンの平均26.7得点からは実に8.9得点も下がっており、この落差はNBA歴代ワースト記録となってしまった。また、第5戦の試合前、風邪を押して出場していたダーク・ノビツキーをウェイドと共に茶化すような仕草がカメラに捉えられて騒動となった。結局ヒートは2勝4敗で敗退し、またしても優勝には届かなかった。オフシーズン、ヒートに移籍した経緯やファイナルで期待された活躍が出来なかった事からも、自身の評価を大きく下げると共に、NBAファンや関係者、メディアからは激しいバッシングが巻き起こった。

NFL転向?

2011-2012シーズンのNBAは、チームオーナー側と選手会の間での収益配分に関する労使交渉がまとまらず、プレシーズンゲームは全て中止となっただけでなく、当初11月始めに開幕する予定が少なくとも2週間以上遅延することが決定。このためオーナー側はチーム施設に対するロックアウトを行い、レブロンを含む選手はチームとしての練習が行えない状況となった。

この間にレブロンは、トレーニングを兼ねて高校のアメリカンフットボールの練習に参加したため、NFLへの転向が取りざたされた[2]。これを受けて、シアトル・シーホークスピート・キャロルヘッドコーチが「NFL最低年俸でなら獲得しても良い」との意向を表明し、レブロンも「(ロックアウトで一銭も稼げない)今よりは良い」として同意[3]。しかしその後11月末にNBAの労使交渉が妥結しロックアウトが解除されたため、NFL転向話も自然消滅した。

悲願達成

オフシーズン、チームにローポストゲームが出来る選手が必要と感じと自らその役を買って出てアキーム・オラジュワンの下でポストムーブのイロハを学んだ。11-12シーズンはロックアウトの為、レギュラーシーズンが66試合となる短縮シーズンでの開幕となった。捲土重来を目指したレブロンは27.1得点・7.9リバウンド・6.2アシスト・フィールドゴール成功率53.1%と支配力を増し通算3回目のシーズンMVPを獲得した。

チームはカンファレンス2位でプレイオフに入ると、一回戦ではプロ入り前からライバルとされていたカーメロ・アンソニー率いるニューヨーク・ニックスと対戦、一回戦最大の注目カードかと思われたがヒートはメロとアマレの相性の悪さや守備でのモロさを露呈していたニックスを相手に危なげなく撃破した。カンファレンス準決勝インディアナ・ペイサーズとの第1戦でインサイドの要であるクリス・ボッシュが怪我で離脱してしまう。第1戦は勝利するも、第2戦、第3戦を落としてしまう。大差で負けた第3戦ではドウェイン・ウェイドが試合中にヘッドコーチと衝突する場面もみられ、チームは敗退の危機を迎える。しかし第4戦レブロンが奮起、40点18リバウンド9アシストの驚異的な活躍で敵地で貴重な勝ち星を上げ、ホームアドバンテージを取り戻した。この第4戦のレブロンに対し、まるでビデオゲームのようなパフォーマンスと形容され、ウェイドも「こんなに試合を支配できる選手は初めて見た」と脱帽した。この試合をきっかけにウェイドが本来の姿を取り戻し、チームもその勢いのまま4勝2敗でシリーズを突破する。カンファレンス決勝の相手はボストン・セルティックス、ヒートの手薄なインサイドをケビン・ガーネットにやられ、2勝3敗で再びホームアドバンテージを取られ追い詰められてしまう。負けたらプレイオフ敗退の第6戦、レブロンが敵地で45点15リバウンド5アシスト、フィールドゴール成功率73%と完全に試合を支配し再びチームの危機を救った。このシリーズの第5戦から復帰したボッシュの活躍もあり第7戦を制し、2年連続ファイナル出場を決めた。BIG3結成以来、ヒートはレブロンとウェイドどっちのチームかと度々言われ続けてきたが、ファイナルまでの道程で何度もピンチを救いチームを引っ張ったレブロンに対し、この時にウェイドは初めて「レブロンについて行く」とチームを譲るような発言をした。

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2012年のマイアミでの優勝パレード

もう負けることは許されないファイナル3度目の挑戦の相手は得点王ケビン・デュラント率いるオクラホマシティ・サンダー。同ポジションのスーパースターによるマッチアップはレブロンがデュラントにディフェンスすることはあったが、ディフェンスに難のあるデュラントはレブロンにつけなかった。レブロンにディフェンスでつける選手をサンダーは持っておらず、常にミスマッチが発生しポストアップやドライブで果敢にゴールにアタックすると共に味方に良質なパスを供給するレブロンを止められずヒートが4勝1敗でシリーズを制した。特に第四戦では足の痙攣を起こしてベンチに引いたものの、その後足を引きずりながら出場して勝利を呼び込む3Pを決めた。ファイナル通して28.6得点・10.2リバウンド・7.4アシストと攻守に渡って活躍し、最終戦ではトリプル・ダブルも記録したレブロンは満場一致でファイナルMVPに選出された。シーズンMVPとファイナルMVPを同じシーズンに受賞したのは2003年のティム・ダンカン以来、NBA歴代でも10人しかいない。

連覇

12-13シーズン、悲願の優勝を果たし名実共にキングとなったレブロンは、1月16日ゴールデンステイト・ウォリアーズ戦で史上最年少で通算20000得点を達成、さらにNBA歴代2位の連勝新記録となる27連勝、リーグ最高勝率の66勝16敗とマイアミ・ヒートのチーム記録を塗り替える大きな原動力になった。76試合に出場し、26.8点・8.0リバウンド・7.2アシスト・フィールドゴール成功率56.5%・3P成功率40%とさらに安定感を増し、通算4回目のシーズンMVPを獲得した。初の満場一致のMVPになるかとも言われたが、一人だけカーメロ・アンソニーに入れた記者がいたためこれはならなかった。これまでシーズンMVPに4回以上選出されたのは、6回のカリーム・アブドゥル・ジャバーをはじめ、5回のマイケル・ジョーダンビル・ラッセル、4回のウィルト・チェンバレンだけで、レブロンはこの伝説的な選手達に続いて5人目の選手になった。

プレイオフ1回戦はミルウォーキー・バックスを難なくスイープ、2回戦のシカゴ・ブルズ相手にまさかの初戦を落とすもその後4連勝、そしてカンファレンス決勝の相手は昨シーズンも苦しんだインディアナ・ペイサーズだった。ヒートの弱点であるインサイドを付け込めるペイサーズに苦しめられるという下馬評通り、ゲームは交互に星を取り、第7戦までもつれた。レブロンは第1戦で逆転ブザービーターを決めるなどチームを引っ張り、3年連続でNBAファイナル進出を決めた。

ファイナルの相手は6年前キャバリアーズ時代の若きレブロンをファイナルでスイープをしたサンアントニオ・スパーズだった。22歳のレブロンのワンマンチームであった頃と、現王者でありリーグ最高の選手となったレブロンでは心技体全てが別のレベルにあるのは間違いはなく、本人もファイナル前の会見でスパーズへのリベンジへ自信を見せた。ところが、カンファレンス決勝までのレブロンとは違い、スパーズの徹底的にドライブを封じるディフェンスの前にレブロン中心のオフェンスが機能しなくなった。チームもスパーズの攻撃的なオフェンスに対処できず、2勝3敗で王手をかけられてしまう。ホームコートに戻り、負けたら敗退の第6戦、スパーズが優勢、4Q開始の時点で二桁のビハインドを負ったが、ここからレブロンがトレードマークのヘッドバンドが取れても気にすることなく、なりふり構わないアグレッシブさを発揮しなんとか試合を僅差まで持ち込む。残り28秒5点ビハンドで大方スパーズの優勝が決まったかに見えたが、ここからレブロンのスリー、そしてレイ・アレンの同点スリーでOTに持ち込み劇的逆転勝利、シリーズを第7戦に持ち込んでみせた。

勝てば優勝、負ければ敗退のNBAファイナル第7戦、やはり試合を決めたのはレブロンだった。スパーズのシリーズを通してレブロンのドライブを封じるという作戦の完全に裏を書くように、フィールドゴールのほとんどをジャンプシュートで決め、スリーを5本を含む37点(NBAファイナル第7戦の歴代最高得点タイ記録)、そして4Q終了までもつれた激戦をレブロンがジャンパーを沈め試合を決めた。最後に本来の働きを見せたレブロンが昨年に続きファイナルMVPを受賞した。またこのファイナルでは2回のトリプル・ダブルを記録しており、これはマジック・ジョンソン以来となるNBA史上二人目、二シーズン連続でシーズンMVPとファイナルMVPを同時受賞した選手はNBA史上マイケル・ジョーダンとレブロンの二人だけである。

スリーピートへ

13-14シーズン、レブロンはシャキール・オニール率いるレイカーズ以来となるスリーピートを目指すこととなった。そんな中11月5日のトロント・ラプターズ戦において、500試合連続二桁得点を達成することとなった。この記録はカリーム・アブドゥルジャバー、マイケル・ジョーダン、カール・マローン、モーゼス・マローンらに続き五人目となる快挙である。 2014年3月3日(現地)のシャーロット・ボブキャッツ戦に自身のキャリアハイ、ヒートのフランチャイズレコードとなる61得点を記録(FG 22/33、3P 8/10、FT 9/12)した。

ファイナルは昨季と同じスパーズが相手となったが、それまで噛み合っていたオフェンスがスパーズの堅い守備によって封じ込まれ、さらにスパーズの流れるようなパス回しにディフェンスが翻弄される。 レブロン1人が奮闘する場面が目立ち、結局ヒートは1勝4敗で敗退し、スリーピート達成とはならなかった。[4]

キャバリアーズ復帰

シーズン後、ヒートからFAとなっていたが、2014年7月11日にキャバリアーズへの復帰を発表した[5]

ナショナルチーム

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北京オリンピック、2008年8月10日の対中国戦にて

NBAでの1年目が終わった2004年の夏にアテネ五輪アメリカ代表として出場したが、ベテラン重視のラリー・ブラウンHCの方針により平均14.6分と満足な出場時間を得られず5.8得点、2.6リバウンドの成績にとどまり代表チームは4大会ぶりに金メダルを逃し、現役NBA選手が参加して初めて金メダルを逃すこととなり銅メダルに終わった。

2006年に日本で開催されたバスケットボール世界選手権ではドウェイン・ウェイドカーメロ・アンソニーと共に3人のチームキャプテンの1人に指名され[6]主力選手の1人としてプレイし、14.8得点4.8リバウンド4.1アシストの成績を残したが、代表チームはまたしても銅メダルに終わった。

2008年開催の北京オリンピックでは、全試合安定した成績を残し、スペインを破って見事金メダルを獲得した[7]

2012年開催のロンドンオリンピックではチームキャプテンに指名され、ケビン・デュラントと共にチームを引っ張った。決勝でも重要な場面で3Pを決めたり実質的なエースはレブロンであったが、デュラントに点を決めさせるというチームの方針通り司令塔として、またよりオールラウンドな活躍を見せてアメリカ代表としては初のトリプルダブルを記録し、二大会連続でアメリカに金メダルをもたらした。

プレイスタイル

ルーキーシーズンにはポール・サイラスヘッドコーチによってポイントガードとして起用されたように[8]パスセンスに、パワーフォワード並の肉体を備えたNBA現役屈指のオールラウンダー。ナチュラルポジションはスモールフォワードとされているが、実際にはセンターを除く役割を1人でこなし、ポジションの枠に収まらない選手と言える。その能力の高さ故か、NBA選手の中でもボール保持率が非常に多く、良くも悪くもレブロンから始まりレブロンで終わるというプレイスタイルのため、得点、アシストリバウンド全てがチームハイという試合も珍しくない。ヒート移籍後は、決定力の高いチームメイトに恵まれたため平均得点数は若干落ちたが、無理に自分で決める必要がなくなった分、FG%は大幅に向上し、3Pシュートを含む選手だが、センター並みの成功率を残している。ヒートに来てからは2シーズン、チームの得点、リバウンド、アシストのスタッツリーダーになっている。

[オフェンス]
203cmの長身に頑強な筋肉の鎧を纏いながらも、リーグ最高峰の瞬発力をもち、毎試合高得点を叩き出す。その屈強なフィジカルを活かしたドリブルペネトレイトは相手チームの脅威であり、一度トップスピードに乗れば、複数で立ち向かう相手を吹き飛ばしながらも得点をもぎ取り、ファウルも奪っていとも簡単に3Pプレイに結び付けてしまう。

ヒートでは、同期でありチームメイトでもあるドウェイン・ウェイドとの、ファーストブレイクからのスピードを活かしたカウンターも重要な武器となっており、粘り強いチームディフェンスからボールを奪い、二人で一瞬にして相手ゴールまで駆け上がると、ショーのようなパス交換から、最後はウェイドからの優雅な弧を描くアシストパスを受け圧巻のアリウープダンクを叩き込む。

デビュー時には成功率にムラがあったフェイダウェイや3Pシュート等のジャンプシュートもキャリアを積む毎に洗練されて行き、現在では40%付近の3P成功率を誇っており、攻撃のバリエーションをさらに広げ、シューターとしても脅威の存在となった。またインサイドの高さがないヒートにおいては、フィジカルの強さを活かして中央でのポストプレーも積極的にこなし、彼が敵PA内で躍動することで、相手ディフェンダーを引き付け、チームが多く抱えるアウトサイドシューター達に十分なスペースを与え、そこにパスを供給することで多くの3Pシュートが生まれている。

さらに、2012年のプレーオフを勝ち抜き、優勝を経験して円熟期を迎えたレブロンは試合運びにもより巧さ・狡猾さを身に付け、当初からの広いコートビジョンとトリッキーなテクニックと合わせて、ゲームメーカーとしてもチームオフェンスをコントロールし、ウェイドやボッシュといった強力なチームメイトを得てからは良い意味でレブロン1人だけが目立つ試合は減少、チーム全員、どこからでも得点の生まれるチームとなっている。

また、若い頃から定評のあったチームに対するリーダーシップについても、ヒート生え抜きの大黒柱ウェイドと共に、浮足立つ場面でチームを落ち着かせる冷静さや勝負所を見極めての味方への鼓舞等がより印象的・効果的になり、さらにチームがより苦しい場面でレブロン自身がその状況を打破してきたことで、チームリーダーとしてもより存在感を増している。

[ディフェンス]
キャリア初期に課題だったディフェンスも2008-09シーズンを皮切りにオールディフェンシブ1stチームの常連になるなど、現在では守備面もトップクラスの選手になった[9]ポイントガードからパワーフォワードまでサイズを選ばず守れる選手であり、守備でもオールラウンダーである。
相手チームのエースや絶好調な選手にはポジションを問わず要所でレブロンが付き、エースストッパーの役割もこなす。俊敏なガード選手による速攻にもスピードで追いつき、バレーのスパイクのように強烈なブロックショットを決める。
近年ではマッチアップする選手、及び選手間の動きを読み、隙を突いて巧みにスティールを奪う場面も多くみられ、とくに安易なパスを出した場合には、レブロンの身体能力でもってボールを奪われ、一瞬のうちにファーストブレイクからのカウンターを許してしまう。
また体格的に大きなPF、ときにCの選手が相手であっても、パワー負けすることはなく、集中したレブロンを前に逆に正面からブロッキングされる場面も多い。

[メンタル]
一方でNBA入り以来、試合終盤などでの場面でシュートをチームメイトに託してしまう場面があることから、「勝負弱い」・「メンタルが弱い」というイメージが付いてしまっていたが(ただし、前述のようにレブロンはフォワードでありながらパスを捌き、ゲームメイクも行うプレイスタイルのため、このイメージはレブロンに対する周囲の期待が生んでしまったものという見方もできる)、NBA制覇までの困難な道のりの中、勝敗のかかる場面でチームがレブロンにボールを託し、レブロンもまた誰より体を張りそのボールを幾度となくリングに沈めることで、十二分にエースとしての役割を果たし、チームを優勝に導いたことで、現在ではその評価は影を潜めている。

このイメージに関しては、移籍騒動を発端とするレブロンバッシングを煽った過大なネガティブ報道による所も大きく、実際にはレブロンは上述のとおりキャリアで多くのブザービーター・クラッチシュートを沈めている。
また、「選手がクラッチタイムに弱い」ことをデータ上示すことは困難であり、そもそもクラッチプレイヤーか否かの評価も重要な局面での記憶に残る決定的シュートが印象付けていくものであり、そういったシュートを沈めてきた一流プレイヤーであっても、キャリアを通して見れば逆にそれらを外しているケースも数多く存在するといえる。
さらにレブロンの場合、プレイオフの負けたら敗退の重要な試合においてNBA歴代最高の平均得点を上げているという、ネガティブイメージとは正反対のデータすら存在する。

[課題]
フリースローを苦手としており、シーズン通して80%を越えたことがない。 他のNBAを代表するスコアラー達が軒並み80%を超えるFT成功率を有する中、75%程度で推移するレブロンのFT成功率は、弱点と言わないまでも唯一平均に比べ低いレベルであるといえる。

普段は成熟したプレイ・リーダーシップを発揮するレブロンであるが、極端にフラストレーションが溜まる場面や、チームが試合放棄に近い状態(ファイナル敗退が決定的となった残りゲームや大量点差での勝ちゲームなど)になってしまうと、時折悪い意味で羽目を外すケースが見られ、他選手に当たったりプレイを茶化す仕草をすることがあり、非難の対象にされている。(2011シーズンファイナルでのダーク・ノヴィツキーに対する嘲笑と思われる仕草など)

近年プレイヤー同士が接触する際、大げさに吹っ飛ぶなどの演技により相手のファウルを誘い出すテクニック(フロッピング)を多用する傾向にあるため、リーグは2012-13シーズンに罰金を科すようになったが、レブロンも2013年のカンファレンス決勝の試合で5千ドルの罰金を課された。

その他

  • 背中にはタトゥーで「Chosen 1(選ばれし者)」と彫られている。
ファイル:LeBron James' pregame ritual.jpg
ゲーム開始前、滑り止めの粉を巻き上げるのが恒例となっている
  • 試合前には解説者席の近くで両手を高々と掲げ宙に滑り止めの粉をばらまくパフォーマンスが恒例となっていたが、2012-13シーズンに止めている。
  • ルーキーシーズンから10年間のキャリアで大怪我は今まで一度もない。
  • 交際中の相手とは結婚しており、2人の子持ち[10]
  • 左利きであるがバスケットボールに関することは右手で行い、食事や文字を書くのは左手で行う。
  • BET2009でベストアスリート男性部門獲得。Jay-ZのD.O.A(Death of Autotune)のPVにも出演。
  • 2011年6月、米経済誌フォーブス誌が「最も稼いでいる30歳未満のセレブ」のランキングを発表し、2010年の5月からの1年間で4,800万ドル(日本円で約38億4,000万円)を稼いで3位にランクインした。[14]
  • 最近はカスタムメイドの自転車で会場入りしている。
  • 2012年、2013年ESPY賞の"Best Male Athlete"に選ばれる。
  • 2013年12月、AP通信選出年間最優秀男性アスリート賞に選ばれる。

個人成績

テンプレート:バスケットボール選手個人成績表の略称説明

NBAレギュラーシーズン

テンプレート:バスケットボール選手個人成績表 |- | align="left" | 2003–04 | align="left" | CLE | 79 || 79 || 39.5 || .417 || .290 || .754 || 5.5 || 5.9 || 1.6 || 0.7 || 3.5 || 20.9 |- | align="left" | 2004–05 | align="left" | CLE | 80 || 80 || テンプレート:Color || .472 || .351 || .750 || 7.4 || 7.2 || 2.2 || 0.7 || 3.3 || 27.2 |- | align="left" | 2005–06 | align="left" | CLE | 79 || 79 || 42.5 || .480 || .335 || .738 || 7.0 || 6.6 || 1.6 || 0.8 || 3.3 || 31.4 |- | align="left" | 2006–07 | align="left" | CLE | 78 || 78 || 40.9 || .476 || .319 || .698 || 6.7 || 6.0 || 1.6 || 0.7 || 3.2 || 27.3 |- | align="left" | 2007–08 | align="left" | CLE | 75 || 74 || 40.4 || .484 || .315 || .712 || 7.9 || 7.2 || 1.8 || 1.1 || 3.4 || テンプレート:Color |- | align="left" | 2008–09 | align="left" | CLE | 81 || 81 || 37.7 || .489 || .344 || .780 || 7.6 || 7.2 || 1.7 || 1.1 || 3.0 || 28.4 |- | align="left" | 2009–10 | align="left" | CLE | 76 || 76 || 39.0 || .503 || .333 || .767 || 7.3 || 8.6 || 1.6 || 1.0 || 3.4 || 29.7 |- | align="left" | 2010–11 | align="left" | MIA | 79 || 79 || 38.8 || .510 || .330 || .759 || 7.5 || 7.0 || 1.6 || 0.6 || 3.6 || 26.7 |- | align="left" | 2011–12 | align="left" | MIA | 62 || 62 || 37.5 || .531 || .362 || .771 || 7.9 || 6.2 || 1.8 || 0.8 || 3.4 || 27.1 |- | align="left" | 2012–13 | align="left" | MIA | 76 || 76 || 37.9 || .565 || .406 || .753 || 8.1 || 7.3 || 1.7 || 0.8 || 2.9 || 26.8 |- | align="left" | Career | align="left" | | 765 || 764 || 39.7 || .490 || .337 || .747 || 7.3 || 6.9 || 1.7 || 0.8 || 3.3 || 27.6

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NBAプレーオフ

テンプレート:バスケットボール選手個人成績表 |- | align="left" | 2005–06 | align="left" | CLE | 13 || 13 || 46.5 || .476 || .333 || .737 || 8.1 || 5.8 || 1.4 || 0.7 || 5.0 || 30.8 |- | align="left" | 2006–07 | align="left" | CLE | 20 || 20 || 44.6 || .416 || .280 || .755 || 8.0 || 8.0 || 1.7 || 0.5 || 3.3 || 25.0 |- | align="left" | 2007–08 | align="left" | CLE | 13 || 13 || 42.5 || .411 || .257 || .731 || 7.8 || 7.6 || 1.8 || 1.3 || 4.2 || 28.2 |- | align="left" | 2008–09 | align="left" | CLE | 14 || 14 || 41.4 || .510 || .333 || .749 || 9.1 || 7.3 || 1.6 || 0.9 || 2.7 || 35.3 |- | align="left" | 2009–10 | align="left" | CLE | 11 || 11 || 41.8 || .502 || .400 || .733 || 9.3 || 7.6 || 1.7 || 1.8 || 3.8 || 29.1 |- | align="left" | 2010–11 | align="left" | MIA | 21 || 21 || 43.9 || .466 || .353 || .763 || 8.4 || 5.9 || 1.7 || 1.2 || 3.1 || 23.7 |- | align="left" | 2011–12 | align="left" | MIA | 23 || 23 || 42.7 || .500 || .259 || .739 || 9.7 || 5.6 || 1.9 || 0.7 || 3.5 || 30.3 |- | align="left" | 2012–13 | align="left" | MIA | 23 || 23 || 41.7 || .491 || .375 || .777 || 8.4 || 6.6 || 1.8 || 0.8 || 3.0 || 25.9 |- | align="left" | Career | align="left" | | 138 || 138 || 43.1 || .472 || .322 || .749 || 8.6 || 6.7 || 1.7 || 0.9 || 3.5 || 28.1

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1試合自己最多記録

受賞・タイトル

  • NBAチャンピオン:2012, 2013
  • NBAファイナルMVP:2012, 2013
  • シーズンMVP:2009, 2010, 2012, 2013
  • オールスター出場:2005, 2006, 2007, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013
  • オールスターMVP:2006, 2008
  • 新人王:2004
  • 得点王:2008
  • オールNBAチーム
    • 1stチーム:2006, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2013
    • 2ndチーム:2005, 2007
  • オールディフェンシブ1stチーム:2009, 2010, 2011, 2012, 2013
  • オールルーキー1stチーム:2004

最年少記録

  • ドラフト1位(18歳178日)
  • 1試合30得点(18歳334日)
  • 1試合40得点(19歳88日)
  • 新人王獲得(19歳)
  • オールルーキー1stチーム(19歳)
  • オールNBA2ndチーム(20歳)
  • オールNBA1stチーム(21歳)
  • トリプルダブル達成(20歳20日)
  • シーズン通算2000得点達成(20歳102日)
  • オールスターMVP獲得(21歳51日)
  • シーズン平均30得点以上達成(21歳)
  • 2004年2月9日-通算1000得点達成(19歳41日)
  • 2004年11月27日-通算2000得点達成(19歳333日)
  • 2005年3月2日-通算3000得点達成(20歳62日)
  • 2005年11月13日-通算4000得点達成(20歳318日)
  • 2006年1月21日-通算5000得点達成(21歳22日)
  • 2006年3月29日-通算6000得点達成(21歳89日)
  • 2006年12月23日-通算7000得点達成(21歳358日)
  • 2007年3月14日-通算8000得点達成(22歳74日)
  • 2007年12月17日-通算9000得点達成(22歳352日)
  • 2008年2月27日-通算10000得点達成(23歳59日)
  • 2008年11月18日-通算11000得点達成(23歳324日)
  • 2009年2月3日-通算12000得点達成(24歳35日)
  • 2009年10月27日-通算13000得点達成(24歳301日)
  • 2010年1月2日-通算14000得点達成(25歳3日)
  • 2010年3月19日-通算15000得点達成(25歳79日)
  • 2010年12月23日-通算16000得点達成(25歳358日)
  • 2011年3月18日-通算17000得点達成(26歳78日)
  • 2012年2月3日-通算18000得点達成(27歳35日)
  • 2012年4月19日-通算19000得点達成(27歳111日)
  • 2013年1月16日-通算20000得点達成(28歳17日)
  • 2012年6月3日-プレーオフ通算3000得点達成(27歳156日)

NBA新記録

  • 2013年2月12日-シーズン6試合連続FG60%30得点以上

脚注

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外部リンク

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  1. テンプレート:Cite web
  2. レブロンがNFL転向? 高校生とフル装備で練習 - NFL JAPAN・2011年10月6日
  3. シーホークスHCは本気? レブロンのユニフォーム用意 - NFL JAPAN・2011年10月13日
  4. テンプレート:Cite web
  5. テンプレート:Cite web
  6. テンプレート:Cite web
  7. テンプレート:Cite web
  8. スーパースター列伝第13回
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  14. http://www.cinematoday.jp/page/N0033058
  15. The World's Highest-Paid Athletes Forbes.com 2014年6月発表。