レイジング・ブル
テンプレート:Infobox Film 『レイジング・ブル』(Raging Bull)は、1980年公開のアメリカ映画。制作会社はユナイテッド・アーティスツで、監督はマーティン・スコセッシ。
実在のプロボクサー、ジェイク・ラモッタの自伝を元にポール・シュレイダーとマーディク・マーディンが脚本を担当した。主演はロバート・デ・ニーロ。第6回ロサンゼルス映画批評家協会賞作品賞獲得作品。また、1990年に米国連邦議会図書館がアメリカ国立フィルム登録簿に新規登録した作品の中の1本である。
主演のデ・ニーロは、ミドル級チャンピオンまで上り詰めた鍛え上げられた肉体と、引退後の肥満体型を表現するために体重を27kg増量。徹底した拘りから生まれた造語、「デ・ニーロ・アプローチ」の完成形とも言える役作りを敢行し、第53回アカデミー主演男優賞を初めアメリカ国内の映画賞を多数獲得した。
ストーリー
1941年、デビュー以来無敗を誇っていたミドル級ボクサーのジェイク・ラモッタは初めての屈辱を味わうこととなる。7回のダウンを奪ったにもかかわらず、相手に有利な判定で敗れたのだ。怒りの収まらない彼は妻や弟でマネージャーのジョーイに当たり散らす一方、ブロンドの少女・ビッキーと出会い、二人は再婚した。1943年にジェイクは当時無敵とされていたシュガー・レイ・ロビンソンを破るまでにまで戦績を挙げたが、直ぐに行われたリターン・マッチではまたしても不利な判定に屈する。そこに取り入ってきたのが八百長試合を仕組む組織の大物・トミーであった。長らく彼の誘いを拒み続けていたジェイクであったが、タイトルマッチの誘惑に負け、承諾してしまう。格下の相手に負けねばならない屈辱を味わったが、その見返りで彼は念願のチャンピオンへの挑戦が認められる。1949年、このタイトルマッチにおいて、ジェイクは見事にマルセル・セルダンをTKOし、チャンピオンベルトを手にした。しかしその裏で、ジェイクの病癖-ビッキーへの強い猜疑心が彼を破滅へ導いていたのであった…… テンプレート:節stub
スタッフ
- 監督:マーティン・スコセッシ
- 製作:アーウィン・ウィンクラー/ロバート・チャートフ
- 原作:ジェイク・ラモッタ
- 脚本:ポール・シュレイダー/マーディク・マーティン
- 撮影:マイケル・チャップマン
- 編集:セルマ・スクーンメイカー/マーク・ワーナー(編集補佐)
- 音楽:レス・ラゾロビッツ
- プロダクション・アシスタント:レイチェル・ティコティン
- プロダクション代理人:マイケル・E・ウスラン
テーマ曲
キャスト
- ジェイク・ラモッタ(Jake La Motta):ロバート・デ・ニーロ
- ビッキー・セイラー(Vickie Thailer):キャシー・モリアーティ
- ジョーイ・ラモッタ(Joey La Motta):ジョー・ペシ
受賞/ノミネート
- 第53回アカデミー賞
- 受賞・・・主演男優賞/編集賞
- ノミネート・・・作品賞/監督賞/助演男優賞/助演女優賞/撮影賞/音響賞
- 第15回全米映画批評家協会賞
- 監督賞/助演男優賞/撮影賞
- 第46回ニューヨーク映画批評家協会賞
- 男優賞/助演男優賞
- 第6回ロサンゼルス映画批評家協会賞
- 作品賞/男優賞
- 第35回英国アカデミー賞
- 受賞・・・編集賞/新人賞
- ノミネート・・・主演男優賞
- 第38回ゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ドラマ部門)
エピソード
- マーティン・スコセッシとボクシング映画との間にはジンクスが存在する。カンヌ国際映画祭で作品賞に相当するパルム・ドールを受賞した『タクシードライバー』は、第49回アカデミー賞の作品賞最有力候補であった。しかし、1976年の年末に公開された『ロッキー』に賞を譲ってしまった。4年後の本作品では2部門で受賞を果たすも作品賞は受賞できなかった。さらに約四半世紀後の2004年には、同年度のゴールデングローブ賞で作品賞を受賞した『アビエイター』で初のオスカーを狙ったが、またしても『ミリオンダラー・ベイビー』に作品賞と監督賞のダブル受賞を許してしまった。
- 血ノリには、画面に映えるという理由でハーシーのチョコレート・シロップが使われた。