ライー

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テンプレート:サッカー選手 ライーこと、ライー・ソウザ・ヴィエイラ・ジ・オリヴェイラRaí Souza Vieira de Oliveira, 1965年5月15日 - )は、ブラジル出身の元サッカー選手

実兄のソクラテスは、スペインW杯の「黄金のカルテット」の一人で「ドトール(医者、博士)」の愛称で呼ばれた1980年代を代表するサッカー選手である。

略歴

サンパウロFC1992年トヨタカップを制した時のキャプテン。そのときのゴールは伝説の股間ゴールと称されている。

ボタフォゴFCでキャリアをスタートすると頭角を現し1988年にブラジル代表へ選出、同年にはサンパウロFCに移籍するが適応する事が出来ず、長い低迷期に入り代表からも外れる。数年の雌伏を経てライーは復調を果たしサンパウロFCの不動のエースに成長。ブラジル代表には1991年カルロス・アルベルト・パレイラが監督に就任すると復帰し、不動の10番として活躍した。1992年にはサンパウロFCにインターコンティネンタルカップをもたらした。

この活躍を受けて、1993年にライーはフランスパリ・サンジェルマンに移籍。しかし、ライーはここでも短期間でフィットすることができず、絶不調に陥る。ちょうどアメリカ大会予選の真っ最中だったが、パレイラはあくまでライーを10番(プレーメーカー)として起用し続けた。絶不調に対し「10番論争」がブラジル世論を席巻したが、「ライーが復調すれば10番問題は片付く」とパレイラは擁護し続けた。

しかし、ライーは1994年に入っても不振を極め、当時、日本で最晩年を迎えたジーコ待望論が起きるほどだった。迎えたアメリカワールドカップの開幕戦、注目のブラジル代表の10番、主将、プレーメーカーはライーだった。ライーはPKで得点するが、全般的に低調で、決勝トーナメントに入るとライーの指定席はベンチとなり、これ以降、ブラジル代表主将は「闘将ドゥンガ」のものとなった。

皮肉なことにライーは、1994年アメリカ大会以降、パリ・サンジェルマンで復調。しかし、ブラジル代表の10番は、レオナルドリバウドに任されることとなった。結局、レオナルド、リバウドに押され、ザガロが監督になって以降、セレソンに招集されることはほとんどなくなっていき、フランスリーグでプレイしながら、1998年フランス大会には、招集されなかった。

ライーは選手としての晩年をサンパウロFCで過ごし、2000年に現役を引退した。

所属クラブ

記録

サンパウロFC時代 - 393試合 (クラブ歴代最多出場21位)、124ゴール (クラブ最多得点ランキング8位)- 2005年7月現在

外部リンク

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