ヨハネス・ヘヴェリウス

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ファイル:Moon by Johannes hevelius 1645.PNG
ヘヴェリウスによる月面図「セレノグラフィア」/1645年発表。科学的観測史上(望遠鏡による観測史上)、最も早くに作られた月面図の代表的一つ。彼が名付けた月の地名のいくつかは現在も使われている。月の輪郭が二重に描かれているのは、地球から見た月の位置的揺らぎの限界を示したものである。

ヨハネス・ヘヴェリウスラテン語Johannes Heveliusポーランド語Jan Heweliuszドイツ語Johannes Hewel1611年1月28日 - 1687年1月28日)は、ポーランド天文学者地形学の創始者とされる。

概要

こぎつね座こじし座たて座とかげ座やまねこ座ろくぶんぎ座りょうけん座ケルベルス座 (Cerberus)、しょうさんかく座 (Triangulum Minor)、マエナルスさん座 (Maenalus Mons) という10個の星座を設定したが、これらのうち、先の7つは現在も使われている(ケルベルス座以下、後の3つは廃された)。

ポーランド・リトアニア共和国グダニスク(ダンツィヒ)にて、ボヘミアから移住して醸造所を営む家庭に生まれた。ギムナジウムで学んだ後、オランダライデン法学を学ぶ。その後、イギリスフランスを旅し、ピエール・ガッサンディマラン・メルセンヌアタナシウス・キルヒャーらと交流を持った。

1673年レンズの直径15センチメートルで鏡筒に当たる部分の長さが45メートルにもなる空気望遠鏡(対物レンズと接眼レンズの距離が大きく離れた構造をしており、そのために鏡筒は設けられず、両方のレンズを1本の棒で固定する望遠鏡)を制作し、公開で天文観測を行った。この望遠鏡「ヘヴェリウスの空気望遠鏡」は彼の代名詞であり、また、空気望遠鏡と言えばヘヴェリウスの名が第一に挙げられる。あまりに巨大であったために風や震動の影響を受けやすく、観測は巧く行かなかったようであるが、1682年に到来したハレー彗星の観測では成果を挙げている。

1679年9月26日、ヘヴェリウスは火災によって自宅の天文観測装置および書物を失った。ろくぶんぎ座は、このとき失われた観測装置を偲んで設定したものである。その後まもなく復旧作業を行い、翌1680年12月のキルヒ彗星の観測には間に合ったがしかし、先の災禍に原因する精神的ショックから健康を損ない、1687年、誕生日である1月28日に満76歳で死去した(生没同日)。

1652年1661年1672年1677年と、ヘヴェリウスは生涯に4つの彗星を発見している。このうち、1661年に発見した彗星 (C/1661 C1) はのちに 153P/池谷・張彗星同定されている。1686年には観測結果をまとめた『コメトグラフィア(原題:Cometgraphia)』を出版している。

著作物

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ヘヴェリウスの名にちなむ命名

ギャラリー

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脚注

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