モントリオールオリンピック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:告知 テンプレート:オリンピックインフォメーション モントリオールオリンピックは、1976年7月17日から8月1日まで、カナダモントリオールで行われた夏季オリンピック1974年第75回IOC総会で、オリンピック憲章からアマチュア条項を削除してから[1]、初めての夏季オリンピックであった。

このオリンピックの開催で膨大な赤字を計上したため、モントリオール市ではその後何十年ものあいだ、返済のために税金が使われることとなった。以降、1980年開催の社会主義国であったソ連で行われたモスクワオリンピックをはさみ、1984年開催のロサンゼルスオリンピックで商業化が著しくなってゆく端緒となった大会ともいえる。

大会開催までの経緯

モントリオールオリンピックの開催は1970年5月12日オランダアムステルダムで開かれた第69回国際オリンピック委員会総会で決定された。

1976年夏季オリンピック 開催地投票
都市 1回目 2回目
モントリオール テンプレート:Flagicon カナダ 25 41
モスクワ テンプレート:Flagicon ソビエト連邦 28 28
ロサンゼルス テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国 17 -

ハイライト

大会をボイコットした国

大会マスコット

  • アミック(Amik) - ビーバーをモチーフにしたマスコット

開会宣言

開会宣言はエリザベス2世が行った。カナダでは、本大会の閉幕後2回オリンピックが開催されているが、イギリス女王が開会宣言を行ったのはこの時のみ(他の2回はいずれも総督が開会宣言を行っている)。

メインスタジアムの現状

競技の結果

  • 体操に出場したルーマニアナディア・コマネチは史上初となる10点満点を連発した。
  • 競泳では、アメリカ東ドイツが圧倒的な強さを発揮してメダルを独占した。
  • 開催国カナダは金メダルなしに終わった。開催国が金メダルを1個も獲得できなかったのは今大会が初めてで、これ以降を含めてもサラエボオリンピックカルガリーオリンピックの3回のみである。
  • 大会のメイン競技である陸上競技と競泳でアメリカの不振が目立った。特に陸上競技、競泳の女子個人種目で、金メダルなしの惨敗であった。アメリカに代わり台頭したのが東ドイツであり、中でも女子競泳では個人種目では、11種目中10種目で金メダルを獲得する大躍進だった。
  • この大会で、東ドイツは夏季オリンピック大会としては初めてアメリカを抜いてソ連に次ぐ2番目に多い数の金メダルを獲得した。近代オリンピック初大会から参加しているアメリカが夏季大会の金メダル獲得数で3位に転落するのは初のことであった。
  • 日本は、メダル総合順位では5位だったもののメイン競技である陸上競技と競泳でアントワープオリンピック以来となる入賞者なしに終わった。また、体操においても大会直前のエース笠松茂の病気欠場もあって獲得した金メダル数でソ連に劣り、柔道においても軽量級や重量級で取りこぼしがあるなどした結果、ローマオリンピック以来の一桁金メダルの数となった。


主な競技会場

実施競技と日程表

競技名 / 日付 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 1
開会式 / 閉会式
陸上競技
ボート
バスケットボール
ボクシング
カヌー
自転車競技
フェンシング
サッカー
体操
ウエイトリフティング
ハンドボール
ホッケー
柔道
レスリング
競泳
飛び込み
水球
近代五種
馬術
射撃
アーチェリー
バレーボール
ヨット

各国の獲得メダル

テンプレート:Main

1 テンプレート:FlagIOC 49 41 35 125
2 テンプレート:FlagIOC 40 25 25 90
3 テンプレート:FlagIOC 34 35 25 94
4 テンプレート:FlagIOC 10 12 17 39
5 テンプレート:FlagIOC 9 6 10 25
6 テンプレート:FlagIOC 7 6 13 26
7 テンプレート:FlagIOC 6 9 7 22
8 テンプレート:FlagIOC 6 4 3 13
9 テンプレート:FlagIOC 4 9 14 27
10 テンプレート:FlagIOC 4 5 13 22
27 テンプレート:FlagIOC(開催国) 0 5 6 11

主なメダリスト

関連項目

脚注

  1. オリンピック物語第五部 アマとプロ〈4〉読売新聞-2004年1月24日付

外部リンク

テンプレート:モントリオールオリンピック実施競技 テンプレート:Navbox