マルサーラ

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テンプレート:コムーネ マルサーラテンプレート:Lang-it)は、イタリア共和国シチリア州トラーパニ県にある都市で、その周辺地域を含む人口約8万人の基礎自治体コムーネ)。「マルサラ」とも表記される。

シチリア島の西海岸に位置する港湾都市で、県内最大の人口を有する都市・コムーネである。この町の名を有名にしているのが、酒精強化ワインマルサラ・ワイン(it:Marsala (vino))である。

地理

位置・広がり

トラーパニ県中部のコムーネ。

ファイル:Marsala, Italy map.png
マルサーラとトラーパニ県の主要都市

隣接コムーネ

隣接するコムーネは以下の通り。

歴史

ファイル:Marsala9.JPG
大聖堂(ドゥオーモ)

マルサーラは、かつてカルタゴ人がシチリアに築いた第一の要塞リルバイウム(Lilybaeum)のあった場所を占めている。この要塞はギリシャ都市モティア(en:Motya)が打ち捨てられた後の紀元前396年に、カルタゴ人航海者ヒミルコ(en:Himilco)によって建設された。ピュロスローマ人攻城戦でリリバエウムを零落させることができなかったが、ローマ人は第一次ポエニ戦争の終盤である紀元前241年に和平をもって降伏させた。後に続けて起きた戦争では対カルタゴのローマ軍遠征のための出発地となり、ローマ支配下で繁栄を謳歌したとされている。皇帝アウグストゥスより地方自治権を獲得し、ペルティナクス帝、セプティミウス・セウェルス帝の元で植民都市となった。

シチリアがアラブ人の支配を受けた時代に、現在の名前マルサーラが与えられた。これはアラビア語のマルサ・アラー("Marsa Allah"、アラーの港)またはマルサ・アリー("Marsa Ali"、アリーの港。アリーとは大きな、偉大な、という意味と同意語であり、古代のリリバエウム港は巨大であった)から生じている。古代の港は現在の市の北西にあったが、海賊が港を占拠するのを避けようと神聖ローマ皇帝カール5世が命じて破壊された。

1860年5月11日、ジェノヴァを出発したジュゼッペ・ガリバルディ率いる「千人隊」が上陸した。上陸後まもなくパレルモの解放を成功させると、イタリア本土にわたってブルボン家支配を終わらせた。

行政

行政区画

マルサーラには以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。

  • Addolorata, Amabilina, Ciavolotto, Strasatti, Terrenove, Birgi, Paolini-Matarocco, Ranna, Tabaccaro, Bosco, Bufalata.

交通

マルサラ港からはパンテッレリーア島に船で約4時間で行ける。

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:Commons&cat

テンプレート:トラーパニ県