マリ・エル共和国

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テンプレート:基礎情報 ロシアの連邦構成主体

マリ・エル共和国(マリ・エルきょうわこく、テンプレート:Lang-ruマリ語Марий Эл Республика)は、ロシア連邦連邦構成主体の1つ。フィン・ウゴル語派種族であるフィン・ヴォルガ系マリ人(チェレミス人)による民族自治共和国で、沿ヴォルガ連邦管区に所属する。首都はヨシュカル・オラ

概要

  • 面積 23,200km²
  • 人口 69万6300人(2010年国勢調査の速報値)
    • 2002年の国勢調査では72万7979人。うちマリ人は31万2178人(42.9%)、ロシア人は34万5513人(47.5%)、タタール人は4万3377人(6.0%)、チュヴァシ人は7418人(1.0%)。第二次世界大戦後にロシア人がマリ人を上回り、民族別人口の首位に立った。
    • マリ人のうちマリ・エル共和国に住んでいるのは全体の51%に過ぎない。バシコルトスタン共和国には約10万人のマリ人がいる。
  • 元首 レオニード・マルケロフ大統領

標準時

この地域は、モスクワ時間帯標準時を使用している。時差はUTC+4時間で、夏時間2011年に廃止された。

地理

東に向かって流れてきたヴォルガ川が南に向きを変える屈曲部に集中するフィン・ヴォルガ系民族の自治国のひとつで、南にテュルク系のチュヴァシ共和国、東に同じくテュルク系のタタールスタン共和国と接する。

歴史

同地域には5世紀頃からマリ人が住んでいた事が確認されており、考古学者達によってそれ以前からの居住も推定されている。その後はヴォルガ・ブルガールジョチ・ウルス1440年代にはカザン・ハン国の領土となったが、1552年イヴァン4世治下のロシア・ツァーリ国(モスクワ大公国)により征服され、以後ロシア帝国まで長年ロシアの支配を受けた。

ロシア革命によりロシア・ソビエト連邦社会主義共和国が成立した後、1920年に初のマリ人自治エリアとしてマリ自治州が設置された。1921年にはヴォルガ川沿岸地域の深刻な飢饉(en:Russian famine of 1921)[1]や大規模な森林火災(en:1921 Mari wildfires)[2]に苦しめられた。ヨシフ・スターリン時代の1936年12月5日にマリ自治ソビエト社会主義共和国へ昇格した[3]。ソ連末期の1990年に自治共和国から共和国への昇格を宣言し、自称をマリ・エルに改名。1992年からは対外的なロシア語名もマリ・エル共和国に改めた。

その他

ロシア語で"Республика Марийская"(「マリ共和国」の意味)と呼ぶ場合もあり、日本語でもまれにマリ共和国と呼ばれることがある。アフリカのマリ共和国とカタカナで書くと同じ表記になるが、そちらはMaliであるのに対し、ロシアのマリ人はMariであり、語源も意味も異なった名称である。

脚注

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外部リンク

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  1. 地域全域で約500万人の死者を出したと言われる。
  2. 60の村落を含む2660km2が焼失し、35人の死者を出した。
  3. 同日にソ連憲法(スターリン憲法)が公布され、キルギス・ソビエト社会主義共和国が成立した。