マリク・シャー

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マリク・シャーペルシア語アラビア語 ملک‌شاه Malik Shāhペルシア語 جلال الدولة معّز الدين أبو الفتح ملكشاه بن الپ ارسلان Jalāl al-Dawla Mu'izz al-Dīn Abū al-Fatḥ Malik Shāh b. Alp Arslān、1055年1092年)あるいはマリク・シャー1世(-いっせい)は、セルジューク朝の第3代スルタン。第2代スルタンのアルプ・アルスラーン(Alp Arslan)の子(在位:1072年-1092年)。マリクアラビア語で、シャーペルシア語で、それぞれ「」を意味する。アッバース朝カリフから授けられた尊号は سلطان جلال الدولة معّز الدين أبو الفتح ملكشاه يمين امير المؤمنين Sulṭān Jalāl al-Dawla Mu'izz al-Dīn Abū al-Fatḥ Malik Shāh Yamīn Amīr al-Mu'minīn。

経歴・業績

即位とイスファハーン遷都

1072年に父アルプ・アルスラーンがマーワラーアンナフル遠征中に急死したことにより、長男のマリク・シャーは17歳という若年でスルタンに即位した。しかしこれは彼の アタベクで名宰相(ワズィール)と称されたニザームルムルクの画策するところが大きく、伯父で父アルプ・アルスラーンの長兄であった ケルマーン・セルジューク朝の始祖カーヴルド・ベクがスルターン位を求めて反乱を起こした。翌1073年にカーヴルドは捕縛され処刑されるたが、カーヴルドの息子たちは已然としてケルマーンで強勢を保っていたため討伐は実現し難く、マリク号を剥奪するかわりにアミール位を与えてカーヴルド家によるケルマーンの支配を事実上黙認した。また、さらに1074年にはイラン東部ホラーサーン地方の主都ニーシャープールを領有していた弟のテキシュが反乱を起こすなど、治世の初頭は親族間との紛争に悩まされた。

これにともなって王都(ダール・アル=ムルク)をイスファハーンに定めた。この位置は東南部の強力なカーヴルド王家と西南部のアッバース朝に対しにらみを利かせることが狙いであるが、北方のレイマーザンダラーンなどカスピ海南岸地域、東方のホラーサーンマーワラーアンナフル、西方のルームシリア方面への接続にも利便性が高かったため、治世中に展開した領土拡張にも大いに地の利を得る形となった。

セルジューク朝の勢力拡大

1070年代半ばに父アルプ・アルスラーンによるマラズギルトの戦い以降、アナトリア入植したダーニシュマンドらをはじめとするセルジューク朝系アミールたちが領土紛争を始めていたことに憂慮し、トゥグリル・ベクらの伯父アルスラーン・イスラーイールの家系に属すクタルムシュの長男スライマーンをアナトリアに派遣し、これの調停にあたらせた。これが後のルーム・セルジューク朝の基礎となった。

また、シリア方面にはシリア・セルジューク朝の始祖で弟のトゥトゥシュを、ホラーサーン方面には息子のひとりアフマド・サンジャルをそれぞれに領有させている。

統治と宗教政策

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マリク・シャー没年(1092年)ころのセルジューク朝支配地域

マリク・シャーはニザームルムルクの補佐もあって、無難に統治を行なった。ニザームの補佐のもと、中央集権化による官僚制を確立し、対外的には勢力拡大に奔走し、東はアフガニスタンから西は東ローマ帝国に及ぶ一大支配圏を築き上げた。また、1074年バグダードに天文台を建設し、さらにウマル・ハイヤームに新暦を編纂させるなど、文化的にも大いに優れていた。宗教政策ではスンナ派を重用してイスマーイール派を弾圧したが失敗。彼の時代に王朝は全盛期を迎えたが、この宗教政策の失敗が王朝衰退の一因ともなった。

ヒジュラ暦485年ラマダーン月10日土曜日(1092年10月20日)、名宰相であったニザームルムルクがマリクの妃テンプレート:仮リンク暗殺された。マリク・シャーはその死を知って悲しんだが、同年に無理を押して出陣を強行し、バグダードに滞在中の翌シャウワール月(10月21日-11月9日)に、陣中で病に倒れてニザームの後を追うように37歳の若さで急死した。ニザームルムルク殺害から一ヶ月も経たぬうちにマリク・シャーも病没したと伝えられている。治世は20年であった。

マリク・シャーは、ニザームを重用し、セルジューク朝の全盛期を築き上げた名君として高く評価されている。

関連項目

先代:
アルプ・アルスラーン
大セルジューク朝君主
1072年-1092年
次代:
マフムード1世