マイアミ・ヒート

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テンプレート:バスケットボールチーム マイアミ・ヒートMiami Heat)は、アメリカ合衆国フロリダ州マイアミに本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA) のチーム。イースタン・カンファレンス、サウスイースト・ディビジョン所属。チーム名はマイアミがハワイと同緯度にあり、暑いことから。また、白熱のHeatにも掛けている。

歴史

チーム黎明期

創設1年目はシラキュース大学ロニー・サイカリーをドラフト1巡目で指名、 何故かウェスタン・カンファレンスミッドウェスト・ディビジョンに入れられ過酷なロードゲームを戦い続けたこと、戦力が全然足りなかったこともあり、開幕当初は17連敗、結局15勝67敗で終わる。2年目には全体4番目でミシガン大学のグレン・ライスを指名するも低迷は続いた。

ヒートが変わったのは4年目1991–92シーズン、ロン・ロススタインに変わりケヴィン・ローリーがコーチに就任、ドラフト全体5番目にミシガン州立大学スティーブ・スミスを指名、ボストン・セルティックスから移籍したブライアン・ショウ、成長したサイカリー、ライス、グラント・ロング、控えのビンボ・コールズ達の力もありイースタン・カンファレンス8位で初めてのプレイオフに進出した。しかし、全盛期のシカゴ・ブルズの前にあっけなく0勝3敗で一蹴された。

1993–94シーズンには42勝40敗でレギュラーシーズン初めての勝ち越しを決めプレイオフ進出、シーズン1位のアトランタ・ホークスに2勝1敗とリードしたが、最終的には2勝3敗で敗れた。スティーブ・スミスはこのシーズンの活躍が認められ1994年バスケットボール世界選手権のアメリカ代表(ドリームチームⅡ)に選ばれた。1994–95シーズンはスティーブ・スミスらを放出するという不可解なトレードで大幅なメンバー変更を行ったため、不本意なシーズンに終わった。

1995シーズンの終わり、アリソン家がオーナーとなりゼネラルマネージャーヘッドコーチパット・ライリーが就任、次々に革新的な選手補強を行った。この先、アロンゾ・モーニングティム・ハーダウェイジャマール・マッシュバーンエディー・ジョーンズらの力によりレギュラーシーズンはいつも上位で終わるが、プレイオフではジョーダン率いるブルズ、ライリーがかつてコーチしたニックスなどには勝てずNBAファイナルには進出出来なかった。

ウェイドの時代

モーニングの腎臓病、その後の移籍などで再び低迷するかに見えたヒートであったが、2003年にはドラフト全体5番目でドウェイン・ウェイド、2004年にはトレードでシャキール・オニールを獲得し、再び強豪チームの仲間入りを果たした。2004-2005シーズンは59勝23敗でレギュラーシーズンを終えたが、プレイオフではウェイドの怪我もあり、カンファレンス決勝で惜しくも3勝4敗でデトロイト・ピストンズに敗れた。

そのシーズンオフには、プレイオフに勝つことを主眼に、アントワン・ウォーカージェイソン・ウィリアムスゲーリー・ペイトンジェームス・ポージーらを獲得した。2005-06年は、レギュラーシーズンこそ52勝30敗で2位であったが、ライリーのヘッドコーチ復帰やウェイドの大活躍もあり、プレーオフでブルズ、ネッツ、ピストンズを、NBAファイナルでマーベリックスを破り、創設19年目で初の優勝を果たした。

初優勝後は選手の高齢化や故障者の発生などでチーム成績は低迷している。2007-2008シーズンには勝率がリーグ最下位まで落ち込み、シャキール・オニールなど優勝メンバーの多くがチームを離れた。

その後、2008-2009シーズンのドラフトにおいて、マイケル・ビーズリーを1巡目2位で指名。トレードでショーン・マリオン(ただし2008-09シーズン中に移籍)やジャーメイン・オニールを獲得したことで、ヒートは再びプレーオフの舞台に戻ってきた。

三人の王の誕生 ~スリーキングス~

2009-2010シーズン後、FAとなっていたクリス・ボッシュがチームに加入。ほどなくレブロン・ジェームズもチームに加入することを発表。2003年ドラフトの同期であり、現役の各ポジションの第一人者であるウェイド、ジェームズ、ボッシュというNBA史上に残るスーパースタートリオがヒートに集結した。それと同時に、チームへの忠誠心を忘れて手段を選ばずスーパースターをかき集めたチームの手法は全米から厳しい非難を浴びている。スリーキングス誕生後、初となった2010-2011シーズンはレギュラーシーズンは好不調の波はあったがカンファレンス2位の好成績を獲得。プレーオフでは実力伯仲といわれたセルティックスブルズを撃破し、チーム史上2度目のNBAファイナルへの進出を果たした。しかし、迎えたファイナルではダラス・マーベリックスに2勝4敗と敗れ2度目のNBAチャンピオンには到達しなかった。期待されたスリーキングスは、レブロンを始めとして精彩を欠いた場面も多く、批判を浴びた。 2011-2012シーズンはシーズンMVPのレブロンの活躍もあり、カンファレンス2位の成績でプレーオフに進出。プレーオフはクリス・ボッシュの故障があったもののニックス、ペイサーズを順当に破る。カンファレンス決勝ではセルティックスに先に王手をかけられるが、ボッシュの復活もあり逆転で勝利。続くファイナルは4-1でサンダーを破り6年ぶり二度目の優勝を見事果たした。レブロンはレギュラーシーズンに続きファイナルMVPも獲得した。 2012-2013シーズンは連覇へ向けて、オフに歴代屈指の3ポイントシューターのレイ・アレンを獲得。チームは歴代2位のシーズン連勝新記録となる27連勝を達成、さらにヒートのフランチャイズ記録の66勝16敗でリーグ最高勝率を記録した。レブロンは昨シーズンに続きシーズンMVPを受賞。プレイオフではカンファレンス決勝でペイサーズ、ファイナルではスパーズとの第7戦を制しNBA史上6チーム目となる連覇を達成した。第6戦、第7戦で大活躍をしたレブロンがファイナルMVPを受賞した。スリーピート(三連覇)をかけた2013-14シーズンは、ファイナルまで危なげなく進んだが、昨年の雪辱を期すサンアントニオ・スパーズの徹底したチーム・バスケットボールに対してレブロン一人で対抗するような結果となり、第5戦合計得失点差が-70点というNBAファイナル記録の惨憺たる結果で敗退した。

シーズンごとの成績

テンプレート:NBA SBS |- |colspan="6" align=center bgcolor="#000000" | テンプレート:Color |- |1988–89 || 15 || 67 || .183 || || |- |1989–90 || 18 || 64 || .220 || || |- |1990–91 || 24 || 58 || .293 || || |- |1991–92 || 38 || 44 || .463 || 1回戦敗退 || ブルズ 3, ヒート 0 |- |1992–93 || 36 || 46 || .439 || || |- |1993–94 || 42 || 40 || .512 || 1回戦敗退 || アトランタ 3, ヒート 2 |- |1994–95 || 32 || 50 || .390 || || |- |1995–96 || 42 || 40 || .512 || 1回戦敗退 || ブルズ 3, ヒート 0 |- |1996–97 || 61 || 21 || .744 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退 || ヒート 3, マジック 2
ヒート 4, ニックス 3
ブルズ 4, ヒート 1 |- |1997–98 || 55 || 27 || .671 || 1回戦敗退 || ニックス 3, ヒート 2 |- |1998–99 || 33 || 17 || .660 || 1回戦敗退 || ニックス 3, ヒート 2 |- |1999–2000 || 52 || 30 || .634 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退 || ヒート 3, ピストンズ 0
ニックス 4, ヒート 3 |- |2000–01 || 50 || 32 || .610 || 1回戦敗退 || ホーネッツ 3, ヒート 0 |- |2001–02 || 36 || 46 || .439 || || |- |2002–03 || 25 || 57 || .305 || || |- |2003–04 || 42 || 40 || .512 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退 || ヒート 4, ホーネッツ 3
ペイサーズ 4, ヒート 2 |- |2004–05 || 59 || 23 || .720 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退 || ヒート 4, ネッツ 0
ヒート 4, ウィザーズ 0
ピストンズ 4, ヒート 3 |- |2005–06 || 52 || 30 || .634 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル優勝 || ヒート 4, ブルズ 2
ヒート 4, ネッツ 1
ヒート 4, ピストンズ 2
ヒート 4, マーベリックス 2 |- |2006-07 || 44 || 38 || .537 || 1回戦敗退 || ブルズ 4, ヒート 0 |- |2007-08 || 15 || 67 || .207 || || |- |2008-09 || 43 || 39 || .524 || 1回戦敗退 || ホークス 4, ヒート 3 |- |2009-10 || 47 || 35 || .573 || 1回戦敗退 || セルティックス 4, ヒート 1 |- |2010–11 || 58 || 24 || .707 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退 || ヒート 4, シクサーズ 1
ヒート 4, セルティックス 1
ヒート 4, ブルズ 1
マーベリックス 4, ヒート 2 |- |2011–12 || 46 || 20 || .697 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル優勝 || ヒート 4, ニックス 1
ヒート 4, ペイサーズ 2
ヒート 4, セルティックス 3
ヒート 4, サンダー 1 |- |2012–13 || 66 || 16 || .805 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル優勝 || ヒート 4, バックス 0
ヒート 4, ブルズ 1
ヒート 4, ペイサーズ 3
ヒート 4, スパーズ 3 |- |2013–14 || 54 || 28 || .659 || 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退 || ヒート 4, シャーロット・ボブキャッツ 0
ヒート 4, ブルックリン・ネッツ 1
ヒート 4, ペイサーズ 2
スパーズ 4, ヒート 1 |- !通算勝敗 || 1085 || 999 || .521 || || |- !プレイオフ || 116 || 89 || .566 || 優勝3回 ||

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主な選手

現役選手

テンプレート:マイアミ・ヒートのロースター

年代別主要選手

太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人 テンプレート:Col-start テンプレート:Col-2 1980年代

1990年代

2000年代

テンプレート:Col-2 2010年代

テンプレート:Col-end

栄誉

テンプレート:Col-start テンプレート:Col-2

殿堂入り

  • なし

テンプレート:Col-2

永久欠番

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コーチ、その他

歴代ヘッドコーチ

チーム記録

テンプレート:Sister マイアミ・ヒートのチーム記録

脚註

テンプレート:脚注ヘルプテンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:マイアミ・ヒート 2005-06NBA優勝 テンプレート:マイアミ・ヒート 2011-12NBA優勝 テンプレート:マイアミ・ヒート 2012-13NBA優勝 テンプレート:サウスイースト・ディビジョン (NBA)

  1. 球団が保有する背番号23は、ジョーダンが同チームでプレーしていないにもかかわらず、NBAに貢献したということで永久欠番にすると2003年にパット・ライリーが決定した。(一説には「マイケル・ジョーダンに苦しめられたパット・ライリーが、自チームで23番を見たくないからだ」とも言われている。)