ボン・ジョヴィ
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テンプレート:Infobox Musician ボン・ジョヴィ(Bon Jovi)は、アメリカ・ニュージャージー州出身のロックバンド。ジョン・ボン・ジョヴィ(Jon Bon Jovi)とデヴィッド・ブライアン(David Bryan)を中心に結成された。その後、リッチー・サンボラ(Richie Sambora)とティコ・トーレス(Tico Torres)が加入し現在に至る。
目次
メンバー
名前 | 主要パート | 生年月日 |
---|---|---|
ジョン・ボン・ジョヴィ (Jon Bon Jovi 本名:John Francis Bongiovi) |
ボーカル ギター |
1962年3月2日 |
リッチー・サンボラ (Richie Sambora 本名:Richard Stephen Sambora) |
リードギター バッキング・ボーカル |
1959年7月11日 |
デヴィッド・ブライアン (David Bryan 本名:David Bryan Rashbaum) |
キーボード バッキング・ボーカル |
1962年2月7日 |
ティコ・トーレス (Tico Torres 本名:Hector Samuel Juan Torres) |
ドラムス パーカション |
1953年10月7日 |
サポート・メンバー
名前 | 主要パート | 備考 |
---|---|---|
ヒュー・マクドナルド (Hugh McDonald 本名同じ) |
ベース | 長年サポートを務めており、メンバーからは「第5のメンバー」と称されている。 |
ボビー・バンディエラ (Bobby Bandiera) |
ギター | |
ジェフ・カジー (Jeff Kazee) |
キーボード | |
ロレンザ・ポンス (Lorenza Ponce) |
ヴァイオリン | |
カート・ジョンストン (Kurt Johnston) |
ペダルスティール・ギター | |
フィル X (Phil X) |
ギター |
脱退メンバー
名前 | 主要パート | 備考 |
---|---|---|
アレック・ジョン・サッチ (Alec John Such) |
ベース | 1994年脱退。脱退後は夢だったバイク屋を経営している。 |
デイヴ・セイボ (Dave Sabo) |
ギター | 現・スキッド・ロウギタリスト。ジョンと幼なじみで、リッチー・サンボラ加入前にギターを担当していた。 |
略歴
1984年(デビュー) - 1991年
- 1984年 - アルバム『夜明けのランナウェイ』でデビュー。キーボードを多用したメロディアスな楽曲で、デビュー当初は本国アメリカよりも日本で人気を集める(俗に言うビッグ・イン・ジャパン。これが日本贔屓になった理由らしい)。なお、リード・トラック「夜明けのランナウェイ」は、1985年に麻倉未稀により日本語でカバーされ、TBS系ドラマ『乳姉妹』の主題歌に使用された[1]。
- 1985年 - 2ndアルバム『7800°ファーレンハイト』を発表。タイトルの7800°とは、岩(ロック)をも溶かす温度である。アルバムに収録されている「TOKYO ロード」は、日本のファンへ感謝の意を込めて作られた。アルバム曲の中で離別の寂しさを歌った曲が多いのは、1stアルバムの成功で生活が一変しメンバー全員が別れを経験したためであると言われている。
- 1986年 - 3rdアルバム『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』を発表。ビルボードチャートで8週連続全米1位となり、1987年年間チャート第1位を獲得する。シングル「禁じられた愛」と「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」は、優れたプロモーション・ビデオとMTVによる強力なプッシュもあってビルボードシングルチャート1位を獲得し、アルバムは全世界で2,800万枚をセールスするなど一躍世界的な人気を得る。日本では「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」が富士フイルム「AXIA」のCMソングに起用され、CMにはメンバーも出演した。また、この年に開催された日本公演のうち、青森公演はボン・ジョヴィの来日公演の中で最も人口が少ない都市での公演となっている[2]。
- 1987年 - 9月、日本武道館5公演を含む日本公演が開催された。
- 1988年 - 4thアルバム『ニュージャージー』を発表し、全米・全英チャートで1位を獲得する。シングル「バッド・メディシン」と「アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー」も全米シングルチャートで1位を記録。日本でも第3回日本ゴールドディスク大賞アーティスト・オブ・ザ・イヤーなどを獲得する[3]。また、「バッド・メディシン」はSANYO CDラジカセ「ZooSCENE」・家庭用ビデオ規格「S-VHS」CMソングに起用され、CMにはメンバーも出演した。大晦日にはボン・ジョヴィをヘッドライナーとして東京ドームでロック・フェスティバルが開催され、ラット、キングダム・カムらと共演した[4]。
- 1990年 - 2年にも及ぶ過酷なロング・ツアーと連日のハードスケジュールでメンバーが消耗しきってしまい、解散の危機が騒がれる様になる。ジョンは1stソロ・アルバム『ブレイズ・オブ・グローリー』を発表し、全米チャート1位を獲得する。大晦日には再びボン・ジョヴィをヘッドライナーとしてシンデレラ、スキッド・ロウらとの東京ドーム公演が開催された[6]。
1992年 - 1999年
- 1992年 - 解散の危機を乗り越えて、5thアルバム『キープ・ザ・フェイス』を発表。アメリカではニルヴァーナをはじめとするオルタナティブ・ロック全盛期の中にあり、ボン・ジョヴィもチャート・アクションは以前より苦戦を強いられたが(全米チャート5位)、カナダやヨーロピアンチャートでは年間1位の売上を記録。日本でもヒットし健在ぶりをアピールした。
- 1993年 - 6月、東京・大阪・広島・名古屋・前橋(群馬県)・横浜で日本公演が開催される。
- 1994年 - デビュー10周年を記念してベスト・アルバム『クロス・ロード』が発売された。アルバムはアメリカ盤・日本盤・インターナショナル盤の3種類で発売され、アメリカ盤には「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」をアコースティック調にリメイクした「プレイヤー '94」が、日本盤には「TOKYO ロード」が、インターナショナル盤には「イン・ジーズ・アームズ」が収録されている。このベスト・アルバムは世界的に大ヒットし、日本では初のオリコンチャート1位を獲得した。アルバムに収録された新曲「オールウェイズ」もリカットされてヒットした(全米チャート4位)。しかし、『クロス・ロード』発表後にベースのアレック・ジョン・サッチが脱退する。脱退の理由は揉め事ではなく、アレックがアメリカ国内でバイク屋を営みたいというのが主な理由であった[8]。後任のベーシストとして、メンバーの旧友であるヒュー・マクドナルドを招く。ヒューは、ティコの強い推薦により参加したようだが、正式メンバーではなくサポート・メンバーである。これは、アレックとメンバーとの友情によるものであり、正式な後任メンバーは迎え入れない方針と言われている。
- 1995年 - 5月、福岡・西宮(兵庫県)・東京で日本公演が開催された。6月、6thアルバム『ジーズ・デイズ』を発表。全体的にダウンビート調な曲が多くR&Bに影響を受けて作られた。日本では2作目のオリコンチャート1位を獲得する。
- 1996年 - 5月、1年ぶりに来日し福岡・西宮・横浜で日本公演が開催された。ワールド・ツアー終了後は、ソロ活動になった。
2000年 - 2011年
- 2000年 - およそ5年ぶりとなる7thアルバム『クラッシュ』を発表。リード・トラックのシングル「イッツ・マイ・ライフ」が世界的にヒットする。7月から開催された久しぶりのツアーは日本から開幕した[9]。アルバムにはJ-FRIENDSに提供されて1999年12月22日に発売されたシングル「Next 100 Years」のセルフカバーや、テレビ朝日系ドラマ『29歳の憂うつ パラダイスサーティー』主題歌に起用された「サンキュー」が収録されている。
- 2001年 - 初のライブ・アルバム『ワン・ワイルド・ナイト』を発表[10]。日本では、ロック・トラックばかりを集めたベスト・アルバム『TOKYO ROAD〜ベスト・オブ・ボン・ジョヴィ-ロック・トラックス』が発売され、3月28日の横浜アリーナ公演では本編のセットリストがアルバム収録曲順に演奏された。
- 2002年 - 8thアルバム『バウンス』を発表。2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件の影響を受けて制作された曲が多いアルバムとなった[11]。日本ではアルバム収録曲の「バウンス」がフジテレビ系ドラマ『ダブルスコア』挿入歌に、「ディスタンス」がアサヒ「スーパードライ」CMソングに起用された。
- 2003年 - 1月、アルバム『バウンス』を引っ提げて洋楽アーティスト初となる5大ドームツアーが開催された。ワールド・ツアー終了後は、これまでのヒット曲をアコースティック調にアレンジしたアルバム『ディス・レフト・フィールズ・ライト 〜バック・アット・ザ・クロス・ロード』を発表した。日本盤にはインターナショナル盤+2曲のボーナス・トラックが収録された。
- 2004年 - デビュー20周年とトータルセールス1億枚突破を記念して、未発表音源を多数収録した4枚組ボックス・セット『ザ・プレミア・コレクション 〜100,000,000 ボン・ジョヴィ・ファンズ・キャント・ビー・ロング』を発表する。未発表曲に加えて、リッチーのソロナンバーやデヴィッド、ティコがメインボーカルとなっているレアな曲まで収録されている。
- 2005年 - 9月に3年ぶりとなる9thアルバム『ハヴ・ア・ナイス・デイ』を発表し、1995年に発売された『ジーズ・デイズ』以来10年ぶりとなるオリコンアルバムチャート1位を獲得する。リード・トラック「ハヴ・ア・ナイス・デイ」もオリコンシングルチャート10位となり、洋楽バンドのシングルがオリコンシングルチャートTOP10入りしたのが23年ぶりとなる快挙となった[12]。また、「ハヴ・ア・ナイス・デイ」はTOYOTA「RAV4」CMソングに起用された。
- 2006年 - 4月、東京・名古屋・大阪・札幌のドーム球場で日本公演が開催された。本国アメリカでは「フー・セズ・ユー・キャント・ゴー・ホーム」をカントリー・ミュージック調にアレンジしてジェニファー・ネトルズとデュエットした曲がヒットした。
- 2007年 - 第49回グラミー賞において、「Who Says You Can't Go Home」(Bon Jovi & Jennifer Nettles)がBest Country Collaboration With Vocals部門を受賞した[13]。6月には10thアルバム『ロスト・ハイウェイ』を発表し、通算4作目となるオリコンアルバムチャート1位を獲得する。これによりビートルズ、ベイ・シティ・ローラーズの記録を抜いて、洋楽バンドとしてオリコンアルバムチャート首位獲得数歴代単独1位になった[14]。また、ビルボードチャートでも『ニュージャージー』以来19年ぶりとなる1位を獲得し、初めて日米同時にチャート1位となった[15]。
- 2008年 - 1月、名古屋・東京・大阪のドーム球場で日本公演が開催された[16]。この『Lost Highway Tour』は、2008年に開催されたすべてのアーティストの中で最高の興行収益となった[17]。
- 2009年 - 11thアルバム『ザ・サークル』を発表する。リード・トラックの「ウィー・ワーント・ボーン・トゥ・フォロー」はWii専用ゲームソフト「ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル クリスタルベアラー」に起用された[18]。アルバムは3作連続となるオリコンアルバムチャート1位を獲得した(3作連続のオリコンアルバムチャート1位は、洋楽アーティスト史上初である)。また、通算5作目のアルバム首位獲得はサイモン&ガーファンクル、マライア・キャリーと並び洋楽アーティスト歴代1位タイとなった[19][20]。さらに、ビルボードチャートでも1位を獲得した(全英アルバムチャートは2位であった)。
- 2010年 - 6月に日本独自企画としてボックス・セット『アクセス・オール・エリア〜スペシャル・エディション・コレクターズ・ボックス』が発売される。11月には『クロス・ロード』からおよそ16年ぶりとなるベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ』を発表。「禁じられた愛」が日清食品「カップヌードル」CMソングに起用された。11月30日・12月1日には東京ドーム公演が行われた。
- 2011年 - 東日本大震災の復興支援を目的としたチャリティー・アルバム『ソングス・フォー・ジャパン』に参加する[21]。ワールド・ツアー最終地のポルトガル公演を最後に、2年間の活動休止が発表された[22]。
2012年 -
- 2013年 - 3月に12thアルバム『ホワット・アバウト・ナウ』を発表。『Because We Can Tour』は2月から開催されていたが途中でリッチーが不参加となり、2011年にも代役を務めたフィルXが再び参加した[23]。12月3日・4日には京セラドーム大阪・東京ドームで日本公演が行われ、日本公演が延べ100回になった[24]。このツアーは2013年に開催されたすべてのアーティストの中で最高の興行収益となった[25]。
- 2014年 - デビュー30周年。7月にボン・ジョヴィ初となる“デラックス・エディション”シリーズとして、4thアルバム『ニュージャージー』のデラックス・エディションが発売される。アルバム制作当時バンド側は『サンズ・オブ・ビーチズ』というタイトルでの2枚組アルバムを構想していたが、レコード会社の指示で1枚のみになったという[26]。今回のデラックス・エディションには、当時制作されたデモ音源や未発表曲が収録されている。
ディスコグラフィ
オリジナル・アルバム
※日付はすべて日本盤発売日
- 1st テンプレート:Larger - Bon Jovi (1984年5月21日)
- オリコン最高38位、全米最高43位、2xプラチナム獲得(US)、全世界セールス350万枚
- 2nd テンプレート:Larger - 7800° Fahrenheit (1985年4月15日)
- オリコン最高5位、全米最高37位、プラチナム獲得(US)、全世界セールス300万枚
- 3rd テンプレート:Larger - Slippery When Wet (1986年8月25日)
- オリコン最高10位、全米最高1位、13xプラチナム獲得(US)、全世界セールス2,800万枚
- 4th テンプレート:Larger - New Jersey (1988年9月19日)
- オリコン最高2位、全米最高1位、8xプラチナム獲得(US)、全世界セールス1,800万枚
- 5th テンプレート:Larger - Keep The Faith (1992年10月30日)
- オリコン最高3位、2xプラチナ獲得(JPN)、全米最高5位、3xプラチナム獲得(US)、全世界セールス1,200万枚
- 6th テンプレート:Larger - These Days (1995年6月12日)
- オリコン最高1位、3xプラチナ獲得(JPN)、全米最高9位、2xプラチナム獲得(US)、全世界セールス1,000万枚
- 7th テンプレート:Larger - Crush (2000年5月17日)
- オリコン最高2位、3xプラチナ獲得(JPN)、全米最高9位、3xプラチナム獲得(US)、全世界セールス1,100万枚
- 8th テンプレート:Larger - Bounce (2002年9月11日)
- オリコン最高3位、プラチナ獲得(JPN)、全米最高2位、プラチナム獲得(US)、全世界セールス500万枚
- 9th テンプレート:Larger - Have A Nice Day (2005年9月14日)
- オリコン最高1位、プラチナ獲得(JPN)、全米最高2位、2xプラチナム獲得(US)、全世界セールス600万枚
- 10th テンプレート:Larger - Lost Highway (2007年6月13日)
- オリコン最高1位、ゴールド獲得(JPN)、全米最高1位、2xプラチナム獲得(US)、全世界セールス400万枚
- 11th テンプレート:Larger - The Circle (2009年11月4日)
- オリコン最高1位、ゴールド獲得(JPN)、全米最高1位、プラチナム獲得(US)、全世界セールス300万枚
- 12th テンプレート:Larger - What About Now (2013年3月13日)
- オリコン最高2位、全米最高1位、プラチナム獲得(US)、全世界セールス150万枚
日本公演
1984年 - 1999年
公演数 | 年 | 開催日 | 会場 |
---|---|---|---|
Super Rock '84 | |||
01 | 1984年 | 8月4日 | ナゴヤ球場 |
02 | 8月6日 | 福岡スポーツセンター | |
03 | 8月8日 | 大阪南港 | |
04 | 8月9日 | ||
05 | 8月11日 | 西武球場 | |
06 | 8月12日 | ||
7800° Fahrenheit Tour | |||
07 | 1985年 | 4月20日 | 中野サンプラザ |
08 | 4月21日 | ||
09 | 4月24日 | 名古屋市公会堂 | |
10 | 4月25日 | 大阪厚生年金会館 | |
11 | 4月28日 | 渋谷公会堂 | |
12 | 4月29日 | ||
13 | 4月30日 | ||
14 | 5月2日 | 北海道厚生年金会館 | |
Slippery When Wet Tour | |||
15 | 1986年 | 8月11日 | 愛知厚生年金会館 |
16 | 8月12日 | 福岡サンパレス | |
17 | 8月13日 | フェスティバルホール | |
18 | 8月14日 | ||
19 | 8月16日 | 神戸国際会館 | |
20 | 8月18日 | 日本武道館 | |
21 | 8月20日 | 横浜文化体育館 | |
22 | 8月21日 | 宮城県民会館 | |
23 | 8月23日 | 青森市文化会館 | |
24 | 8月25日 | 北海道厚生年金会館 | |
25 | 1987年 | 9月24日 | 日本武道館 |
26 | 9月25日 | ||
27 | 9月28日 | ||
28 | 9月29日 | ||
29 | 9月30日 | ||
30 | 10月1日 | 横浜文化体育館 | |
31 | 10月3日 | 愛知県体育館 | |
32 | 10月5日 | 大阪城ホール | |
33 | 10月6日 | ||
34 | 10月7日 | 静岡産業館 | |
SANYO HEAT BEAT LIVE '89 IN BIG EGG 【FINAL COUNT DOWN】 | |||
35 | 1988年 | 12月31日 | 東京ドーム |
SANYO HEAT BEAT LIVE '89 IN BIG EGG 【BLAST OFF TOKYO】 | |||
36 | 1989年 | 1月1日 | 東京ドーム |
SANYO HEAT BEAT LIVE '89 | |||
37 | 1989年 | 1月5日 | 大阪城ホール |
38 | 1月6日 | ||
39 | 1月9日 | ||
40 | 1月10日 | 名古屋レインボーホール | |
41 | 1月11日 |
公演数 | 年 | 開催日 | 会場 |
---|---|---|---|
テンプレート:Smaller THE BIG JOINT TOUR | |||
42 | テンプレート:Nowrap | テンプレート:Nowrap | 東京ドーム |
テンプレート:Smaller BON JOVI | |||
43 | 1991年 | 1月3日 | 横浜アリーナ |
44 | 1月5日 | 名古屋レインボーホール | |
45 | 1月8日 | 大阪城ホール | |
46 | 1月9日 | ||
Keep The Faith Tour | |||
47 | 1993年 | 6月3日 | 日本武道館 |
48 | 6月4日 | ||
49 | 6月6日 (昼公演) |
国立代々木競技場第一体育館 | |
50 | 6月6日 (夜公演) | ||
51 | 6月7日 | ||
52 | 6月9日 | 大阪城ホール | |
53 | 6月10日 | ||
54 | 6月12日 | 広島サンプラザ | |
55 | 6月13日 | 名古屋国際会議場 センチュリーホール | |
56 | 6月16日 | グリーンドーム前橋 | |
57 | 6月17日 | 横浜文化体育館 | |
Cross Road Tour | |||
58 | 1995年 | 5月13日 | 福岡ドーム |
59 | 5月16日 | 阪急西宮スタジアム | |
60 | 5月19日 | 東京ドーム | |
テンプレート:Smaller Japan Tour 1996 | |||
61 | 1996年 | 5月14日 | 福岡ドーム |
62 | 5月16日 | 阪急西宮スタジアム | |
63 | 5月18日 | 横浜スタジアム | |
64 | 5月19日 | ||
65 | 5月20日 |
2000年 -
公演数 | 年 | 開催日 | 会場 |
---|---|---|---|
Japan Tour 2000 Crush | |||
66 | 2000年 | 7月12日 | 東京ドーム |
67 | 7月13日 | ||
68 | 7月15日 | ナゴヤドーム | |
69 | 7月18日 | 福岡ドーム | |
70 | 7月20日 | 大阪ドーム | |
ONE WILD NIGHT TOUR | |||
71 | 2001年 | 3月28日 | 横浜アリーナ |
72 | 3月29日 | ||
73 | 3月31日 | 大阪ドーム | |
74 | 4月3日 | ナゴヤドーム | |
75 | 4月5日 | 東京ドーム | |
MTV NATIONWIDE LIVE | |||
76 | 2002年 | 9月11日 | Zepp Tokyo |
BOUNCE WORLD TOUR 2003 | |||
77 | 2003年 | 1月8日 | 札幌ドーム |
78 | 1月11日 | 大阪ドーム | |
79 | 1月12日 | ||
80 | 1月14日 | 福岡ドーム | |
81 | 1月16日 | 東京ドーム | |
82 | 1月17日 | ||
83 | 1月19日 | 横浜アリーナ | |
84 | 1月21日 | ナゴヤドーム | |
HAVE A NICE DAY TOUR テンプレート:Smaller | |||
85 | 2006年 | 4月8日 | 東京ドーム |
86 | 4月9日 | ||
87 | 4月12日 | ナゴヤドーム | |
88 | 4月14日 | 大阪ドーム | |
89 | 4月15日 | ||
90 | 4月18日 | 札幌ドーム | |
ASAHI SUPER DRY THE LIVE | |||
91 | 2007年 | 6月28日 | 神戸ワールド記念ホール |
92 | 6月30日 | 日本武道館 | |
テンプレート:Smaller Lost Highway Tour テンプレート:Smaller | |||
93 | 2008年 | 1月11日 | ナゴヤドーム |
94 | 1月13日 | 東京ドーム | |
95 | 1月14日 | ||
96 | 1月16日 | 京セラドーム大阪 |
公演数 | 年 | 開催日 | 会場 |
---|---|---|---|
The Circle Tour | |||
97 | 2010年 | 11月30日 | 東京ドーム |
98 | 12月1日 | ||
Because We Can : The Tour | |||
99 | 2013年 | 12月3日 | 京セラドーム大阪 |
100 | 12月4日 | 東京ドーム |
脚注・出典
- ↑ ドラマで主演した伊藤かずえもカバーしている。
- ↑ これは当時のプロモーターの意向と、青森県に米軍三沢基地があることに起因するらしいが、当時世界的ヒットになった『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』が日本ではまだ発売前であり、地元テレビ局の懸命なパブリシティも虚しく会場は1階席を埋めただけであった。
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ アレックは、脱退後もボーカルのジョンやギターのリッチーとセッションを行っている
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 日本盤は同時期に『TOKYO ROAD〜ベスト・オブ・ボン・ジョヴィ-ロック・トラックス』の発売があったため、2001年末に発売された。
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 日本に向けてのメッセージも寄せた。テンプレート:YouTube
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite web
関連項目
- プロデューサー
- ブルース・フェアバーン
- デズモンド・チャイルド
- ボブ・ロック
- ピーター・コリンズ
- ルーク・エヴィン
- ジョン・シャンクス
- デュエット・コラボレーションしたアーティスト
- ボブ・ゲルドフ
- ジェニファー・ネトルズ
- リアン・ライムス
- ビッグ&リッチ
- 日本関連
- その他