ボナンノ一家

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ボナンノ一家(ボナンノいっか、Bonanno crime family) はニューヨーク・マフィアの五大ファミリーの一つ。サルヴァトーレ・マランツァーノがニューヨークのマフィアを五大ファミリーに再編成したときの彼自身のファミリーであり、マランツァーノを含めシチリアカステッランマーレ・デル・ゴルフォ出身者を中心としていた。

1931年9月10日、マランツァーノがラッキー・ルチアーノによって暗殺されると、ジョゼフ・ボナンノが跡目を継いだ。ボナンノはその後30年以上一家を支配し、1957年アパラチン会議にも参加したが(もっとも彼は自著では参加を否定している)、ラッキー・ルチアーノの跡目をめぐる争いでのヴィト・ジェノヴェーゼフランク・コステロに対する勝利、アルバート・アナスタシアの暗殺とカルロ・ガンビーノの後継ボス昇格、ジェノヴェーゼの収監という激動の連続の中で五大ファミリーの勢力図に変化が生じた。

ルッケーゼ一家のボストーマス・ルッケーゼとガンビーノの連合に脅威を感じたボナンノは、プロファチ一家をボスのジョゼフ・プロファチの死後継いだジョゼフ・マリオッコと組んで、ルッケーゼ、ガンビーノ、バッファローのマフィア一家のボスで、ボナンノのいとこでもあるステファノ・マガディーノの三者を一気に抹殺しようとしたが、陰謀が洩れて、マリオッコは全面屈服した後まもなく死亡し、ボナンノは50年代以降地盤を築いていたアリゾナに逃亡した。

その後一家はボナンノに忠誠を誓うグループと、ガスパール・ディグレゴリオをトップとする反ボナンノグループに分かれて対立した。反ボナンノグループはルッケーゼ、ガンビーノ、マガディーノに加えてマリオッコの後を継いだジョゼフ・コロンボの支持を受けていた。『バナナ戦争』と呼ばれた一連の抗争は双方に多数の犠牲者を出しながら続いたが、結局ボナンノは引退し、ボスの座はジョー・モラレス、ディグレゴリオ、ポール・シャッカナターレ・エヴォラフィリップ・ラステリへと引き継がれた。

1970年代には、カナダモントリオールヴィト・リッツートが起こしたリッツート一家と繋がりを持ち、麻薬取引を行う。その中心となったのは、シチリア出身のZIPSと呼ばれるメイドマンであった。

その後、麻薬取引の罪で収監されていた、一家の大幹部のカーマイン・ギャランテは出所すると共にボスの座を当時収監中のラステリから1975年に奪った。ギャランテは収監中から、出所したら五大ファミリーを制圧して、当時最有力のボスであるカルロ・ガンビーノをして "Shit in the middle of Times Square!" 「タイムズスクウェアのど真ん中でクソをさせる」と豪語していた。ガンビーノの後を継いだポール・カステラーノ、ジェノヴェーゼ一家のボスのフランク・ティエリらは共謀して1979年にギャランテの暗殺に成功した。

ギャランテの死後、再びフィリップ・ラステリが獄中からボスとなったが、彼は1991年に獄死。その間に、内紛によりアルフォンス・インデリカートら大物幹部が殺害されたり、FBIの潜入捜査官ドニー・ブラスコことジョゼフ・ピストーネの壊滅作戦により多くの幹部が逮捕されるなど、組織は弱体化した。ピストーネの壊滅作戦は、『フェイク』として映画化された。

その後、ラステリの後を継いだジョゼフ・"ビッグ・ジョーイ"・マッシーノは強引な手段により勢力回復に一旦は成功したが、逮捕後の2004年に死刑回避のためにマフィアのボスとしては初めて当局の情報提供者となり(翌2005年に終身刑の判決)、ファミリーの権威は完全に地に墜ちた。

現在のボス代行は2009年から就任したヴィンセント・バダラメンティ(Vincent "Vinny T.V." Badalamenti)であり、彼は2012年1月に逮捕されている。

ボナンノ一家のボス

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