ホセ・カルロス・パーチェ

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テンプレート:Infobox ホセ・カルロス・パーチェ[1]José Carlos Pace1944年10月6日 - 1977年3月18日)はブラジル・サンパウロ州出身の元F1ドライバー。

プロフィール

エマーソン・フィッティパルディのライバルと目され、1970年代初頭にヨーロッパへと進出した。F2などを経て1972年にフランク・ウィリアムズのチーム(現在のウィリアムズとは異なる)からF1デビューを果たすが、マシンの性能が不足し好成績を収めることはできなかった。

1973年にサーティースに移籍。この年はF1の傍ら、世界メーカー選手権にフェラーリから参戦。1974年途中にチーム離脱後、当時ブラバムのチーム代表であったバーニー・エクレストンに見出され、イギリスGPからワークスドライバーとしてブラバムに加入。1975年、自らの故郷で開催されたブラジルGPで初勝利を挙げた。その後もブラバムに在籍したが、1977年南アフリカGP後に地元で飛行機事故に遭遇し、死去。

生涯唯一のグランプリ勝利を記録したインテルラゴス・サーキットは、彼を記念してアウトドローモ・ホセ・カルロス・パーチェと改名され、現在もブラジルGPの開催地となっている。

エピソード

そのハンサムな風貌から、F1を題材とした映画『ボビー・デアフィールド』でアル・パチーノスタンドインを務めた。

F1での全成績

(key) (太文字ポールポジションイタリック体ファステストラップ)

エントラント シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 WDC Pts.
1972 Team Williams-Motul マーチ 711 コスワース V8 ARG RSA
17
ESP
6
MON
17
BEL
5
FRA
Ret
GBR
Ret
GER
NC
AUT
NC
ITA
Ret
CAN
9
USA
Ret
18位 3
1973 Brooke Bond Oxo Team Surtees サーティース TS14A コスワース V8 ARG
Ret
BRA
Ret
RSA
Ret
ESP
Ret
BEL
8
MON
Ret
SWE
10
FRA
13
GBR
Ret
NED
7
GER
4
AUT
3
ITA
Ret
CAN
Ret
USA
Ret
11th 7
1974 Team Surtees サーティース TS16 コスワース V8 ARG
Ret
BRA
4
12位 11
Bang & Olufsen Team Surtees RSA
11
ESP
13
BEL
Ret
MON
Ret
SWE
Ret
NED
Goldie Hexagon Racing ブラバム BT42 FRA
DNQ
Motor Racing Developments ブラバム BT44 GBR
9
GER
12
AUT
Ret
ITA
5
CAN
8
USA
2
1975 Martini Racing ブラバム BT44B コスワース V8 ARG
Ret
BRA
1
RSA
4
ESP
Ret
MON
3
BEL
8
SWE
Ret
NED
5
FRA
Ret
GBR
2
GER
Ret
AUT
Ret
ITA
Ret
USA
Ret
6位 24
1976 Martini Racing ブラバム BT45 アルファ・ロメオ Flat12 BRA
10
RSA
Ret
USW
9
ESP
6
BEL
Ret
MON
9
SWE
8
FRA
4
GBR
8
GER
4
AUT
Ret
NED
Ret
ITA
Ret
CAN
7
USA
Ret
JPN
Ret
14位 7
1977 Martini Racing ブラバム BT45 アルファ・ロメオ Flat12 ARG
2
BRA
Ret
15位 6
ブラバム BT45B RSA
13
USW ESP MON BEL SWE FRA GBR GER AUT NED ITA USA CAN JPN

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:Sister

テンプレート:ウィリアムズ テンプレート:サーティース テンプレート:ブラバム

テンプレート:Sportspeople-stub
  1. ポルトガル語の発音により近く書けばジョゼ・カルロス・パーセになるが、慣習的にスペイン語読みとイタリア語読みの混ざった奇妙な表記がなされる。