プラチュワップキーリーカン県

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プラチュワップキーリーカン県(プラチュワップキーリーカンけん、タイ語: จังหวัดประจวบคีรีขันธ์ )はタイ王国中部の県(チャンワット)の一つ。ペッチャブリー県チュムポーン県と接し、ミャンマーとの国境を有する。略してプラチュワップと呼ばれる(以下そのように表記)。

地理

プラチュワップはマレー半島の北部にあり、タイの県の中でも格別に狭くなっている。特に県庁所在地の南部においてはタイランド湾からミャンマー国境までは、13kmしかなく、面積は群馬県とほぼ同じ。

タイランド湾側の海岸は砂浜が広がっている。そこで、ラーマ7世はここにクライカンウォン宮殿という離宮を建造した。その後、特に隣のペッチャブリー県の一部地域を含めたチャアムフワヒンを中心に海岸が開発されレジャーが発達した。一方で海岸から険しい山までの距離が短く、1,494メートルもあるルワン山がある。

県内には1966年に設置されたカオ・サームローイヨート海洋国立公園があり、タイで最大の淡水湿原を有する。また、公園内にはマングローブ林や泥地帯もある。

歴史

1767年アユタヤ王朝が滅んだ後、プラチュワプは置き去りにされてきたが、1845年に再建設が始まった。

ラーマ2世により現在のムアンプラチュワップキーリーカン郡にムアンバーンナーンロム (เมืองบางนางรม) という町が建設された。しかし、土地があまり豊かでなかったため、ムアンクイ(เมืองกุย, 現・クイブリー郡)に移転した。その後ラーマ4世(モンクット)はタイランド湾の反対側に位置するムアンパーチャンタキーリーケート(現・カンボジア領ココン)を意識して、ムアンバーンナーンロムをムアンプラチュワップキーリーカン(プラチュワップキーリーカン県)と改称した。

ラーマ4世(モンクット王)は独学で学んだ天文学によって日食の場所・時刻を発見し、1868年9月18日にここを訪れ、予測通り観測できたといわれる。しかし、観測場所に選んだサームローイヨート付近はマラリアのはびこる地帯であったため、ラーマ4世もこれに伝染し、2週間後崩御したという。

1894年、ラーマ5世(チュラーロンコーン)はプラチュワップキーリーカン県をペッチャブリー県の管轄下に置いた。その後1898年ラーマ5世はクイブリー県の県庁をプラチュワップ湾に移転し、その後の1906年プラーンブリー県、カムヌートノッパクン県、プラチュワップキーリーカン県を統合し、プラーン県とし、モントン・ラーチャブリーの管轄下に置いた。1915年8月16日ラーマ6世(ワチラーウット)は地名の混乱を避けるため再び、プラチュワップにプラチュワップキーリーカン県という名前を付けた[1]

また、旧日本軍1941年12月8日太平洋戦争時に上陸したのもプラチュワップである。

県章

ラーマ5世がサームローイヨート副郡のカオ・サームローイヨート海洋国立公園、プラヤーナコーン洞窟に建てたクーハーカルハット宮殿(休息所)がデザインされている。

県木・県花は テンプレート:Snamei である。

行政区

プラチュワプキーリーカーン県は8の郡(アムプー)に分かれ、その下位に48の町(タムボン)と、388の村(ムーバーン)がある。

ファイル:Amphoe Prachuap Khiri Khan.png
プラチュワップ県の郡
  1. ムアンプラチュワップキーリーカン郡
  2. クイブリー郡
  3. タップサケー郡
  4. バーンサパーン郡
  5. バーンサパーンノーイ郡
  6. プラーンブリー郡
  7. フワヒン郡
  8. サームローイヨート郡

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脚注

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外部リンク

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  1. テンプレート:Cite journal