ブリジット・バルドー

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テンプレート:ActorActress ブリジット・バルドーBrigitte Bardot1934年9月28日 - )は、フランスパリ出身の女優ファッションモデル動物保護活動家である。頭文字が B.B.[注釈 1]であることから、同じ発音で「赤ん坊」を意味するフランス語 bébé[注釈 2]とかけて「BB」が愛称となる。猫のような目にぼてっとした唇が愛らしく「フランスのマリリン・モンロー」とも形容され、20世紀のヨーロッパを代表するセックス・シンボルであった。

来歴

パリ16区の航空会社経営者、および母方は保険会社の重役職にあった、きわめて富裕な両親のもとに出生、幼い頃からダンスやバレエ、舞踏を習う。

雑誌のカバーガールをしていたときに、かねてより実家に出入りがあったロジェ・ヴァディムの進言で、女優を志すことになるが、決定的な動機は「映画を通し、己の美しさを世界に知らしめることが出来得るため」であった。ヴァディムとは18歳のときに結婚したが、後年離婚した。

1956年、ヴァディムの監督作品『素直な悪女』で男達を翻弄する小悪魔を演じ、セックス・シンボルとして有名になった。 

歌手としての活動もあり、1967年にはセルジュ・ゲンスブールの提供による「Harley Davidson」(「ハーレイ・ダビッドソン」)、「Je t'aime... moi non plus」(「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」)、「Bonny and Clyde」(「ボニーとクライド」)などを歌った。1968年初頭には、ゲンスブールとの連名のアルバム『ボニーとクライド』も発表している。当時ギュンター・ザックスと結婚していたバルドーは、ゲンスブールと不倫の関係にあったが、「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」はそれを露骨に示す。この歌はバルドーとゲンスブールのデュエットに加え、バルドーによるあえぎ声の演技を含んでいる。そのことからバルドーはこの歌のリリースを拒否、ほどなくゲンスブールとの関係も円滑でなくなり男女関係解消。

1973年の『ドンファン』を最後に新たな演技・歌手などの芸能活動をしておらず、芸能人としては事実上の引退。その後は動物愛護運動家(特に毛皮反対運動・の愛護・保護)に徹し活動している。

2009年動物の倫理的扱いを求める人々の会、通称PETAの会員で、同会の広告塔であるバルドーは、「カナダのアザラシ猟に対する抗議活動」として、カナダ産メイプルシロップのボイコット運動を行っている。

2011年日産MOCOCMソングに、ブリジット・バルドー本人が歌う「a Pourrait Changer」が使われた[1]

エピソード

姓も名も同じアルファベットのイニシャルを持つ(Brigitte Bardot=BB、Marilyn Monroe=MM)という共通点を持ち、同時期に世界的なセックス・シンボルとして人気だったため、昔からマリリン・モンローと一緒に話題になるが、NHK-BS2で放映された番組[2]でのインタビューで、バルドーは『みんな、モンローかバルドーか?って、よってたかって勝手に並べるけど、私はマリリンのファンなの。でも、影響を受けたとか真似したとかは一度もないわ。だって、私は彼女の足元にも及ばない』と語っている。日本でも発売された自伝「イニシャルはBB」でも、エリザベス女王への謁見の時にバッキンガム宮殿の化粧室でモンローと1度だけ会った思い出[注釈 3]やモンロー死去の報を聞いた時の大きなショックのことなどが詳細に綴られている。バルドーの父は航空会社重役、母は保険会社重役、その当時のパリの上流階級の育ちの良い家柄の出身であった。 サントロペの別荘で「紙が上等」という理由で、聖書トイレットペーパーの代わりに使っていた[3]

動物愛護運動家としてのバルドーとその逸話

  • 1984年に『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』のリリースを認めたときも、「売り上げは動物愛護団体に寄付する」という条件をつけた。
  • とくに毛皮(使用・製造・販売者や肯定派の者)に対しては何人たりと容赦がないことで有名。
    • 1999年にはフランスの雑誌に、中国の江沢民に宛てた手紙を書いた。内容は、中国で媚薬のために熊や虎、サイが捕られており、それに抗議するというものであった[4]
  • 過激な抗議活動で知られる反捕鯨団体「シーシェパード」を支援している[5]。また、自身の名を冠した船を所有することにも同意している[6]
  • 2010年6月に仏ランセルとのコラボレーションにより、自身の名前を冠した動物由来の素材を一切使っていないバッグを発売した。
  • 康芳夫の企画していたトラvs格闘家をジミー・カーターに働きかけ、中止に追い込んだ。

主な出演作品

公開年 邦題
原題
役名 備考
1952 素晴らしき遺産
Le trou normand
ビキニの裸女
Manina, la fille sans voile
マニナ
1953 想い出
Un acte d'amour
ミミ
1955 ブリジット・バルドー/恋するレオタード
Futures vedettes
ソフィー
わたしのお医者さま
Doctor at Sea
Hélène Colbert
夜の騎士道
Les Grandes manoeuvres
Lucie
わたしは夜を憎む
La lumière d'en face
オリヴィア
1956 トロイのヘレン
Helen of Troy
アンドラステ
この神聖なお転婆娘
Cette sacrée gamine
ブリジット
わが息子暴君ネロ
Mio figlio Nerone
Poppsex
裸で御免なさい
En effeuillant la marguerite
アニエス
素直な悪女
Et Dieu... créa la femme
ジュリエット・アルディ
1957 殿方ご免遊ばせ
Une parisienne
ブリジット
1958 月夜の宝石
Les Bijoutiers du clair de lune
ウルスラ
可愛い悪魔
En cas de malheur
イヴェット
1959 私の体に悪魔がいる
La Femme et le pantin
エヴァ
バベット戦争へ行く
Babette s'en va-t-en guerre
バベット
気分を出してもう一度
Voulez-vous danser avec moi?
Virginie Dandieu
1960 真実
La vérité
ドミニク
1961 何がなんでも首ったけ
La Bride sur le Cou
ソフィー
素晴らしき恋人たち
Amours célèbres
アグネス
1962 私生活
Vie privée
ジル
戦士の休息
Le repos du guerrier
ジュヌヴィエーヴ
1963 軽蔑
Le Mépris
女優カミーユ・ジャヴァル
1965 ビバ!マリア
Viva María!
マリア
ボクいかれたヨ!
Dear Brigitte
本人役 カメオ出演
1967 セシルの歓び
À coeur joie
セシル
1968 世にも怪奇な物語
Histoires extraordinaires
ジュセピーナ
シャラコ
Shalako
イリーナ
1969 女性たち
Les femmes
クララ
1970 気まぐれに愛して
L'ours et la poupée
フェリシア
パリは気まぐれ
Les novices
アグネス
1971 ラムの大通り
Boulevard du rhum
リンダ・ラルー
華麗なる対決
Les Pétroleuses
ルイーズ
1973 ドンファン
Don Juan ou Si Don Juan était une femme...
ジャンヌ

日本のテレビ番組出演

著書(訳書)

  • 『ブリジット・バルドー自伝 イニシャルはBB』 (渡辺隆司訳、早川書房、1997年)
  • 『ブリジット・バルドー怒りと絶望 他人はこれを「暴言・妄言」と呼ぶ』 (香川由利子・桑原透訳、阪急コミュニケーションズ、2004年)

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. フランス語では「ベ・ベ」と読む。
  2. 英語のbabyに相当する。
  3. 写真はない

出典

  1. youtube>いいなCM 日産 MOCO 一井沙織 「DECA MOCO」篇
  2. 題名「BB・オン・シャンソン」。番組内では彼女が昔に出した歌のMVなども紹介された。
  3. クイズダービー」第593回(1987年6月6日放送分)の8問目より。
  4. BBC News Bardot savages Chirac and China
  5. テンプレート:Cite news
  6. テンプレート:Cite web

外部リンク

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