バズ・オルドリン

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月面でのエドウィン・オルドリン

バズ・オルドリン (Buzz Aldrin 1930年1月20日 -)(Buzz Eugene Aldrin バズ・ユージン・オルドリン、改名前:エドウィン・ユージン・オルドリン・ジュニア (Edwin Eugene Aldrin, Jr.)は、アメリカ航空宇宙局(NASA)の宇宙飛行士、空軍軍人。

アメリカ合衆国ニュージャージー州モントクレア出身。父はロバート・ゴダードの教え子だった、エドウィン・ユージン・オルドリン・シニアである。

月面歩行

ジェミニ計画及びアポロ計画に飛行士として搭乗。アポロ11号の人類初の月面着陸において月面歩行をおこなった。

月面への第一歩をニール・アームストロングとオルドリン、どちらが踏み出すかについてオルドリン自身に相当な葛藤があった。オルドリンは歴史に名が残る一歩を自らが踏みしめることを望むが、最終的にはアームストロングの経歴がオルドリンより上であり、尚且つ船長とパイロットの身分を考慮される。さらに月着陸船の構造上パイロットが先に下りることが難しいため、アームストロングが月面の第一歩を踏み出すことになった。オルドリンは「月面に降り立った二人目の人類」という名誉を「自身の敗北」と感じる。アームストロングとの間でも、感情的なしこりが残った。

地球帰還後は一種の目標喪失状態に陥り、また生来非社交的な人物であるにもかかわらず、月面着陸を達成した宇宙飛行士として種々の催しに引っ張りだこの生活に耐え切れず、うつ病を患った。地球帰還後のことは、立花隆『宇宙からの帰還』(1983年中央公論社)に詳しく記されている。

また、あまり知られてはいないが、オルドリンはフリーメイソンのメンバー[1]で、月面で聖餐式を行っている。これはフリーメイソンの歴史が古代エジプトまで遡るといわれ、古代エジプトのオシリスイシス供物を捧げる儀式を行った。

経歴

モントクレア高校およびウェストポイント陸軍士官学校を卒業。空軍少尉に転官し朝鮮戦争に出征、F-86セイバー戦闘機のパイロットとして2機のMiG-15を撃墜している。

朝鮮戦争より帰還後、ネリス空軍基地(ネバダ州)およびアメリカ空軍士官学校に勤務。

軍を一時離れ、マサチューセッツ工科大学(MIT)に入学。1963年、宇宙航法学で博士号を取得。

空軍に戻り、空軍基地射撃教官や空軍士官学校の教官を歴任。西ドイツ駐留の第22戦闘飛行隊の隊長としてF-100スーパーセイバー戦闘機に搭乗。

その後、ジェミニ計画実施部に配属され、1966年11月にジェミニ12号の操縦を担当。

アポロ11号の月面着陸ミッションにおいては、月着陸船のパイロットを務めた。

空軍大佐で退役した。

シブレル事件

2002年9月、「アポロ11号の月面着陸は捏造だ」と主張する映像監督バート・シブレルBart Sibrel)が、オルドリンをビバリーヒルズのホテルで待ち伏せし、突撃インタビューを試みた際に暴行を受けたとする事件である。これについては、アポロ計画陰謀論も参照。

オルドリンの弁護士によると、シブレルはオルドリンを壁に押し付け、「聖書に手を置いて『月に行ったことは事実だ』と誓ってみろ」と強制したうえで、「行ってもいないこと(月面着陸)についてのインタビューや著作で報酬を得るのは、詐欺・窃盗行為だ」と詰め寄ったとされる。

オルドリンはやむをえず、シブレルのを一発殴って逃げ、警察を呼んだという。

一方、シブレル側も、オルドリンを待ち伏せして聖書を押し付けたことは認めている。

出演作品

その他

  • ファースト・ネームの「バズ」については、彼が子供の頃、次姉が「ブラザー(弟)」を誤って「ブザー[buzzer]」と発音したことに起因する。これは短縮されて「バズ」となった。「バズ」は最初は綽名であったが、アルドリンは1988年これを自分の法的な正式名にしている[2]
  • トイ・ストーリー』 - 登場人物のバズ・ライトイヤーは彼の愛称の「バズ」からきている。

脚注

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外部リンク

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  1. Famous Masons
  2. Aldrin, Buzz (2009). Magnificent Desolation: The Long Journey Home from the Moon. Harmony.