ナバラ州

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ナバラ自治州
Comunidad Foral de Navarra
Nafarroako Foru Komunitatea
120px 60px
州旗 紋章
280px
州都 パンプローナ(イルーニャ)
公用語 カスティーリャ語、北部では
カスティーリャ語とバスク語
面積
 – 総面積
 – 割合
第11位
  10,391km²
  2.2%
人口
 – 総人口(2008)
 – 割合
 – 人口密度
第15位
  619,114人
  1.37%
  60.22/km²
住人の呼称
 – カスティーリャ語
 – バスク語

  navarro/-a
  nafar, napartar
自治州法 1982年8月16日
ISO 3166-2:ES NA
議席割当
 – 下院
 – 上院
  5
  5
州首相 ジョランダ・バルシーナ(UPN
州政府のサイト

テンプレート:基礎情報 バスクの地域

ナバラ州スペイン語Navarraバスク語Nafarroa)は、スペイン自治州ナバラ県(かつてのパンプローナ県)1つからなる一県一州の自治州である。州都はパンプローナ(バスク語:イルーニャ)。アクセントは第二音節にあるため、ナバーラ州とも表記される。

西はバスク州、南はラ・リオハ州、東はアラゴン州に接し、北はフランスアキテーヌ地域圏)と接している。

正式名称Comunidad Foral de Navarraforal(名詞形fuero)は、封建時代に遡る用語で、特定の階級や地域に認められた法律のことである。

歴史

テンプレート:See also かつてナバラ王国がピレネー山脈を挟んでこの一帯を統治していた。ナバラ王国はもともとパンプローナ王国と呼ばれ、824年頃にイニゴ・アリスタがフランク王国に反乱を起こして建国した。1512年アラゴンフェルナンド2世によって山脈から南側はスペインに統合された。

フランス側に分かれた地方はバス=ナヴァールと呼ばれ、現在はフランスのピレネー=アトランティック県の一部であるフランス領バスクになっている。ナバラ王エンリケ3世が1589年にフランス王アンリ4世として即位した後、歴代のフランス王はナバラ王を兼ね、フランス側のナバラは1791年まで別の王国として存続した。

自治体

272の基礎自治体があり、そのうち7割近くが人口千人未満である。州の人口約60万人のうち3分の1が州都パンプローナ(約19万6千人)に住んでいる。2番目に人口が多いのはトゥデラ(約3万人)、3番目はバラニャイン(es、約2万人)。

言語

ナバラは歴史的なバスク地方の一部と見なされている。しかし、この地のバスク語は何世紀もの間に後退し、現在はピレネー山脈沿いの地域で話されている。

1986年の法律では、ナバラは3つの言語圏に分けられた。バスク語圏、混合圏、非バスク語圏(カスティーリャ語、つまりスペイン語地域)である。バスク語圏と混合圏では、カスティーリャ語と並んでバスク語が公用語とされている。

ファイル:Navarra - Zonificacion linguistica.svg
ナバーラ州の言語圏。薄いピンクがバスク語圏、濃いピンクが混合圏、水色が非バスク語圏

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関連項目

外部リンク

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