ドゥカティ

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ファイル:Ducati Werk.JPG
ドゥカティ本社

ドゥカティテンプレート:It)とは、イタリアボローニャを拠点とするオートバイメーカー・販売会社である。アウディは2012年4月にドゥカティを買収した。[1]

以前はドカティとも表記された。1952年まで製造していたカメラのメーカーとしては一般的にデュカティと表記される。日本の自動車検査証には以前「ドカテイ」と「ドゥカティ」の2種類の車名コードが存在したが、2013年以降はドゥカティに一本化された[2]

概要

創業からオートバイ製造まで

ファイル:Ducati radio receiver.jpg
ドゥカティ製ラジオ

1926年アントニオ・カヴァリエリ・ドゥカティの息子達であるブルーノ・ドゥカティアドリアノ・ドゥカティマルチェロ・ドゥカティの3人兄弟が テンプレート:It を設立した。当初はラジオ無線の部品製造会社であったが、その後は家庭用ラジオや電気剃刀やといったさまざまな電気あるいは機械製品をも手がけるようになった。当時イタリアはベニート・ムッソリーニの政策により急速に工業化を進めており、ドゥカティも急成長して1939年には従業員7000人の大企業へと成長した。しかし第二次世界大戦により大きな被害を受け、産業復興公社(IRI)の支援を受けることとなる。

ちょうどその頃トリノにあったシアタ社は原動機付き自転車クッチョロテンプレート:It、子犬の意)を発売してベストセラーとなっており、エンジンのOEM生産先を探していた。その事情を産業復興公社が知ってドゥカティを紹介し、1946年ドゥカティでエンジンを生産することになる。ドゥカティは1947年には販売権を獲得し、改良しつつ総計25万台以上を販売した。当時はピアジオベスパイノチェンティランブレッタがライバルで、優秀さをアピールするためレースに出場するようになった。

産業復興公社の元でドゥカティはカメラの製造も手掛けた。ソーニョシンプレックスが知られ、どちらも一般的なカメラと逆で「カメラを構えて左手側」が巻き上げノブである。しかしカメラ事業はあまりうまく行かず、結果今日では珍品としてマニアに人気があり高価に取引されている。

会社が発展したため、1953年創立からの分野である通信機器部門とオートバイ部門の2つに会社が分割された。なお通信機器部門もドゥカティ・エネルジアとして今日も存在するが、現在のオートバイメーカーとしてのドゥカティとの関係はなくなっている。

レース参加とオートバイ製品の歴史

テンプレート:See also ドゥカティは比較的初期の段階からレース活動を積極的に続けており、レース活動で得たデータを活かして公道用市販車の開発に積極的に役立てるのもドゥカティの特徴の一つとなっている。他のメーカーでもレース活動から公道用市販車へのフィードバックは行なわれているが、公道用市販車がレース活動で使われている車両とこれほど密接な関係にあるのは珍しい。

  • 1946年 - クッチョロCucciolo、子犬の意)生産開始。50cc1.25馬力で最高時速50km/h。
  • 1954年 - エンジン設計主任としてファビオ・タリオーニFabio Taglioni )がFBモンディアルから転職、1955年3月にはカムシャフトをベベルギア駆動する100ccOHCエンジンを搭載した100ccグラン・スポルト・レーサー、愛称マリアンナMarianna )を設計。
  • 1956年 - 世界グランプリに参戦、125ccGP用レーサーにドゥカティとしては初めてデスモドロミック機構を採用。
  • 1956年 - マークIIIシリーズに市販車として初めてデスモドロミック機構を採用。
  • 1964年 - 5速ミッション採用。
  • 1964年 - 後ろ側エンジンマウントの幅を拡げ、ミッション、オイルポンプが強化された。これ以降のエンジンはワイドケースと俗称される[3]
  • 1970年 - 現在の主力商品である大排気量Lツインの元祖、750GTをミラノショーで発表。
  • 1972年 - イモラ200マイルレースにてデスモLツイン750ccレーサーがデビュー戦でワンツーフィニッシュ。優勝はポール・スマート(Paul Smart )、2位はブルーノ・スパッジアーリ(Bruno Spaggiari )。
ファイル:Ducati 750 Supersport.jpg
750SSイモラレプリカ

製造販売する車種の特徴

Lツイン
過去には単気筒エンジン並列2気筒エンジン搭載のモデルもあったが、ほとんどのモデルは90度V型2気筒エンジンを搭載している。他社の殆どのVツインと違い前バンクシリンダーをぎりぎりまで前輪に近付けエンジンの搭載箇所を低くしてある。そのため横から見ると”V”というよりアルファベットの”L”に見えることからドゥカティではこのエンジンをLツインと称している。
デスモドロミック
エンジンにデスモドロミックと呼ばれる強制バルブ開閉システムを採用しており、「デスモ」と略称される。現行機種は全てデスモドロミック機構を搭載している。ドゥカティでは1956年の125ccGP用レーサーに初めて採用され、市販車への採用は1968年マークIIIデスモシリーズが最初である。
ベベルギア駆動
オートバイ用エンジンでは一般にエンジン内部に組み込まれているチェーンによってオーバーヘッドカムシャフトを駆動する例が多いが、以前のドゥカティではベベルギアによって駆動していた。ベベルギアケースはエンジンの外観上の特徴ともなっている。
コグドベルト駆動
ベベルギア駆動に代わって500SLパンタで採用され、以後全てのモデルに採用された。自動車では非常に一般的な方法であるがオートバイ用エンジンでは珍しい。
鋼管トレリスフレーム
フレームは鋼管をトラス形状に組んで製作されている。なお、最新型のスーパーバイク、1199 PANIGALEにはモノコックフレームを採用している。

カメラ製品の一覧

ソーニョ (テンプレート:It)
1946年発売。テンプレート:It とはイタリア語で「夢」の意。ファインダーと別に連動距離計を装備し「イタリアンライカ」「ミニチュアライカ」と呼ばれる。製品番号はOR6401.1。レンズを沈胴させるとその大きさは幅100mm×高さ53mm程しかないがその大きさに比して非常に重い。シャッターはフォーカルプレーン、B、1/20−1/500秒。シャッターがセルフキャッピング機構を持たないので普段は観音開きの遮光ドアが閉じており、撮影の瞬間だけ「強制開閉」される。現在最も一般的に販売されている35mmフィルムを使用しフォーマットは24×18mm(ハーフ)判であるが一般的なパトローネがフィルム室に入らず、フィルムだけを専用小型マガジンに詰め替えなければ撮影できない。1952年まで生産された。レンズは専用バヨネットマウントで交換でき大抵はVitor35mmF3.5(製品番号、以下同様OD6401.1)が装着されている。純正交換レンズはDugon19mmF6.3(OD6409.1)、Argon28mmF4(OD6406.2)、Vitor35mmF2.8(OD6404.1)、Luxtor40mmF1.5(OD6405.1)、Eltor40mmF2(OD6404.1)、Lator60mm(OD6403.1)。Teletor120mmF5.6(OD6408.1またはOD6408.2)がある。システムカメラでありコピースタンド、引伸機、三脚等も存在するがさらに珍品である。
シンプレックス (テンプレート:It)
デザインはソーニョと似ているが距離計を装備せずレンズ交換ができずピント微調整レバーがない普及版カメラ。レンズは沈胴Etar35mmF3.5を固定装着する。シャッタースピードはB、1/25-1/250秒。

オートバイ製品の一覧

テンプレート:Seealso

オートバイ生産草創期

クッチョロ (テンプレート:It)
1946年発売。50cc1.25馬力で最高速度50km/h。
クッチョロT3 (テンプレート:It)
60cc1.5馬力で最高速度65km/h。
60S
1950年3月発売。65cc2.5馬力。
クルーザー175 (テンプレート:It)
1950年発売。175ccのスクーター。セルモーターとオートマティックミッションを装備していた。カロッツェリア・ギアがデザインした。
98S
1952年発売。6.9馬力で最高速度95km/h。
98T
1954年発売。東京隅田にあったナミキモータースが少数輸入した。

単気筒モデル

草創期のモデルも単気筒だが、いわゆるシングルドゥカティはこれ以降である。

100グラン・スポルト・レーサー (テンプレート:It)
1954年製造。ドゥカティでファビオ・タリオーニが最初に設計したモデル。愛称マリアンナ。100ccOHCベベルギア駆動で9.4馬力、最高速度130km/h。以後のシングルドゥカティの原型となった。
125ccGPレーサー
1956年製造。世界グランプリ用に作られたレーサー。ドゥカティとしては初めてデスモドロミック機構を採用。
175スポルト (テンプレート:It)
1956年12月ミラノショーで発表、1957年発売。125ccGPレーサーのレプリカで、ドゥカティとしては初めて市販されたOHC。14馬力で最高速度135km/h。勝利を収めたレーサーのレプリカを販売する公式はここに始まった。
175T
175スポルトのツーリングタイプ。11馬力。販売促進活動として世界一周60000kmを約1年かけて走破し、ドゥカティを一躍有名にした。
175TS
11馬力で最高速度110km/h。
125スポルト (テンプレート:It)
1957年9月発売。175スポルトの125cc版。10馬力で最高速度112km/h。
100スポルト (テンプレート:It)
1957年9月発売。175スポルトの100cc版。8馬力で最高速度105km/h。
125TS
125スポルトのツーリングタイプ。6.2馬力、最高速度90km/h。
200エリート (テンプレート:It)
1958年11月発表。175ccのボアアップ版。17馬力で最高速度140km/hのレーシーなモデル。
125アメリカーノ (テンプレート:It)
1958年発売。アメリカのドゥカティ販売店の要望により生産された。11馬力。
200アメリカーノ (テンプレート:It)
1958年発売。アメリカのドゥカティ販売店の要望により生産された。16馬力で120km/h。
200スーパースポルト (テンプレート:It)
1959年発売。200エリートに27mmのデロルトSSIレーシングキャブレターを標準装備、ハイカムを組んでレース使用も可能としたモデル。18馬力で最高速度140km/h。
200スクランブラー (テンプレート:It)
1959年発売。19馬力で100km/hオーバーのオン/オフ両用モデル。フロント21in。
200TSアメリカーノ (テンプレート:It)
1960年発売。エリートのエンジンを搭載したモデル。
ダイアナ250 (テンプレート:It)
1960年発売。クリップオンハンドル。ヨーロッパではディトナ銘で販売。
250モンツァ (テンプレート:It)
1961年発売。アメリカのドゥカティ販売店の要望により生産された。22馬力で128km/h。アップハンドル。1967年まで生産された。
ダイアナ250マークIII (テンプレート:It)
1963年発表, 1964年発売。5速ミッション。30馬力、177km/h。
250スクランブラー (テンプレート:It)
1962年発売。200スクランブラーの排気量を拡大しスタイリングも一新した。フロント19in。
ダイアナ250GT (テンプレート:It)
1964年発売。250モンツァと同じエンジンで22馬力。セミアップハンドル。5速ミッション。
ダイアナマッハ1 (テンプレート:It)
1964年発売。250ccのフルチューンモデル。OHC単気筒でホンダCBを上回る28馬力、後には30馬力を発揮し1966年まで生産された。「マッハ1」と俗称される。
250TSアメリカーノ (テンプレート:It)
250モンツァのエンジンを搭載したモデル。
160モンツァジュニア (テンプレート:It)
1964年発売。250モンツァの小型版。1966年まで生産。
セブリング350 (テンプレート:It)
1965年発売。20馬力で最高速度125km/h。
250マークIIIデスモ (テンプレート:It)
1968年発売。市販車で初めてデスモドロミック機構を採用した。
350マークIIIデスモ (テンプレート:It)
1968年発売。
450マークIIIデスモ (テンプレート:It)
1969年発売。当時のドゥカティ最大排気量車。当初はシルバーショットガンと称される銀フレーク塗装であったが1973年からイエロー塗装となる。
450スクランブラー (テンプレート:It)
1969年発売。
450R/Tデスモ (テンプレート:It)
1971年発売。モトクロス仕様。
350デスモ (テンプレート:It)
1971年発売、1972年製造中止。
239マークIIIデスモ (テンプレート:It)
1974年発売。240cc以下は税金が安いフランス向け輸出専用にボアダウンして製造された稀少モデル。軽量ピストンや30mmキャブの採用でパワー不足を補っている。
239マークIII (テンプレート:It)
1974年発売。普通のバルブスプリング仕様。
レゴラリータ
1975年発売。2ストローク125ccのオフロード。12.8馬力。

パラレルツインモデル

タリオーニも1960年代後半にDOHC700cc80馬力のエンジンを試作したが、これは産業復興公社が資金を出さず製品化には至らなかった。 製品化されたのはトゥミディが設計したもので、1968年のプロトタイプではOHV500ccで38馬力。1975年11月のミラノショーで発表された。Lツインの影に隠れてしまい1981年製造中止となっている。

500GTL
1975年発売。ツーリングモデル。40馬力。1976年まで販売された。
350GTL
1975年発売。500GTLの中型免許版。35馬力。1976年まで販売された。
500スポルトデスモ (テンプレート:It)
1977年発売。44馬力。1978年まで販売された。
350スポルトデスモ (テンプレート:It)
1977年発売。500スポルトデスモの中型免許版。37馬力。1978年まで販売された。
500GTV
1977年発売。40馬力。1981年まで販売された。エンジンはGTL、外装はダブルシートになった他スポルトデスモを受け継いでいる。
350GTV
1977年発売。500GTVの中型免許版。35馬力。1981年まで販売された。

Lツインモデル

GTシリーズ

ネーミングはグランツーリスモだが、他メーカーの製品と比較すると極めてスポーツ指向が高い。空冷エンジン。

750GT
1970年11月ミラノショーにて発表、1971年春発売。最初のツインエンジンということでトラブル発生時の対処が簡単なように主にイタリア国内に出荷され, 日本への輸入は1973年に開始された。当初はキックのみであったが1973年辺りからセルモーター併用となる。圧縮比は8.5で60馬力。
860GT
1975年発売。デザインにジョルジェット・ジウジアーロが参加、エンジンが角ケースとなった。このエンジンデザインはその後SS、S2、MHR各シリーズ等販売される全車種のエンジンに波及した。
860GTS
1976年発売。
900GTS
1976年発売。数字は変わっているが排気量は860GTSと同じ864ccである。コンロッドやクランクピン等にマイナーチェンジが施されている。

Sシリーズ

ファイル:Ducati750Sport.jpg
750スポルト(二代目)

SSシリーズの先行型で、1970年代からの初代と1980年代後半の二代目がある。どちらも空冷エンジン。

750スポルト
1971年夏に試作。1972年発売) - 750GTをベースにスポーツ仕様とした。圧縮比が9になり64馬力。1973年からフレームをスリム化したモデルにマイナーチェンジした。750Sと略称する。1975年式にはオプションとしてダブルシートもある。
900SDダーマ (テンプレート:It)
1977年発売。Sはスポルト、Dはデスモ、ダーマは虎の意。カンパニョーロ製のマグネシウムホイールを装着。
750スポルト
1988年発売。二代目。フラッグシップだった750F1の発展型だが851の下で普及機種となった。

SSシリーズ

テンプレート:Main

Sシリーズの発展型。

初代は1974-1982年販売され、二代目は1989-1997年、三代目は二代目の後継で1998-2006年に販売された。初代はイモラレプリカの750SSに始まり後に大排気量化された900SSが追加され900S2にバトンタッチした。二代目は900SS、750SS、600SS、400SSが併行販売された。三代目はSS900、SS750が併売された。

マイク・ヘイルウッド・レプリカ

1978年マン島TTF-1レースでマイク・ヘイルウッドの乗るNCR改造の900SSが当時の強敵ホンダRCBを破ったことにより販売されたレーサーレプリカ。MHRと略称される。

マイク・ヘイルウッド・レプリカ (テンプレート:It)
900SSのエンジンを使用した。前期型はキックのみ、後期型はセルが付いた。900MHRと略称される。
マイク・ヘイルウッド・レプリカ・ミッレ (テンプレート:It)
973ccエンジンに変更された。1000MHRと略称される。
MH900e
2000年発売。発表は1998年のインターモットミュンヘン。往年製品の復刻ではなく最近の技術により作られた。チーフデザイナーはピエール・テルブランチ。末尾のeはエボルツィオーネ、つまり革命の意。製造は当時ボローニャ工場の生産能力に余裕がなかったため当初ビモータに委託され開発にも関わらせたがその途上で倒産したため自社生産に切り替えられた。

SLパンタシリーズ

コグドベルト駆動を採用したシリーズで、後の750F1シリーズに繋がる。空冷エンジン。

500SLパンタ (テンプレート:It)
1978年発売。初めてコグドベルト駆動を採用。
600SLパンタ (テンプレート:It)
1981年発売。500SLパンタをボアアップした。
650SLパンタ (テンプレート:It)
1983年発売。600SLパンタをボアアップした。
350XLパンタ (テンプレート:It)
1982年発売。イタリア中型免許に対応するモデル。クラッチはワイヤー式で重い。

F1/F3シリーズ

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1985年から1988年まで販売された、TT-F1レプリカシリーズ。空冷エンジン。

パゾシリーズ

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1986年から1992年まで販売された、レプリカとツアラーの中間的シリーズ。空冷エンジン。

スーパーバイクシリーズ

スーパーバイク選手権に参戦していたワークスレーサーのレプリカシリーズ。水冷エンジン。

851、888
916、996、998、748
996が映画『マトリックス』(1999年)に登場した。
999、749
1098、1198、848
848が映画『トランスフォーマー・リベンジ』(2009年)に登場した。
1199

モンスターシリーズ

ファイル:Ducati Monster 800 S2R Dark.jpg
モンスター800S2Rダーク

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1993年から販売されているネイキッドのシリーズ。ベストセラーとなり各排気量が発売された。基本的に空冷エンジンだが水冷のハイパワーモデルもある。

ムルティストラーダシリーズ

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2003年から販売されているデュアルパーパスシリーズ。

スポーツクラシックシリーズ

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2005年から販売されているクラシックな外観のシリーズ。スポーツ1000、スポーツ1000ビポスト、スポーツ1000S、GT1000、ポールスマート1000LEがある。

ハイパーモタードシリーズ

2007年から販売されているモタードスタイルのモデル。オンロード用の車体設計により、オフロードベースのモタードに比べてオンロードでの走行に適している。1100、1100sがあるが日本に導入されているのはsのみ。 テンプレート:Main

スポーツツーリングシリーズ

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ツアラーのシリーズ。

  • ST2
  • ST4
  • ST4s
  • ST3

ストリートファイターシリーズ

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2009年から販売されているスーパーバイクベースのエンジンにアップハンドルなどを搭載したモデル。

ディアベルシリーズ

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2011年から販売されているスポーツ、ツーリング、アーバンの3種類のライディングが選択できるようになっているモデル。

その他

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デスモセディチ (テンプレート:It)
MotoGPクラス参戦を目的としたワークスレーサー。L型4気筒。当初は990ccだったがレギュレーション変更に伴い2007年からは800ccに変更された。
スーパーモノ (テンプレート:It)
1992年発表。当時世界的に盛り上がっていたシングルレース用に851の片シリンダーを使用したワークスレーサー。前期型550cc、後期型570cc。
アポロ (テンプレート:It)
1964年試作。L型4気筒OHV1260cc100馬力のモンスターバイク。当時のタイヤがこのエンジンパワーに対応できず1台のみの試作に終わった。現在湯布院の岩下コレクションにある。

外部リンク

脚注

テンプレート:Reflist
  1. 1.0 1.1 VW's Audi buys Ducati to expand brand portfolio reuters.com. Retrieved 2012-06-27.
  2. ドゥカティ-ドゥカティ車名コード統一のご案内 2013年3月28日 2013年7月30日閲覧。
  3. エンジン自体の幅が広くなったわけではない。
  4. これ以前のモデルを「ラウンドケース」、これ以降のモデルを「スクウェアケース」と俗称する。
  5. アウディ、ドゥカティ買収を正式発表 レスポンス 2012年4月19日閲覧。