ディエゴ・フォルラン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:注意 テンプレート:サッカー選手 ディエゴ・フォルラン・コラソDiego Forlán Corazo, 1979年5月19日 - )は、ウルグアイモンテビデオ出身のサッカー選手同国代表である。ポジションはフォワードセレッソ大阪所属。

ヨーロッパ・ゴールデンシューを2度受賞しているストライカー。サッカーウルグアイ代表の最多出場記録保持者であり、2010 FIFAワールドカップではMVPに選出されている。

来歴

キャリア初期

母方の祖父であるテンプレート:仮リンクは1962年の1962 FIFAワールドカップウルグアイ代表監督で、父親のテンプレート:仮リンクも元サッカー選手で1974 FIFAワールドカップへの出場経験を有する。少年時代はテニスの腕も一流だった[1]。学生時代は学業も疎かにせず、成績も優秀であり、高校はモンテビデオ市内有数の名門校に通っていた。語学は、母国語のスペイン語に加え、フランス語ポルトガル語イタリア語英語で会話することができる[2]

しかし、12歳の時に姉が交通事故により恋人と下半身の自由を失う。姉の治療費は高額で、この事を知ったディエゴ・マラドーナが募金を呼びかけてくれたが、家計には重い負担となっていた。15歳でフォルランは姉のために、1年間のチャンスの約束で父親の所属していたペニャロールと契約し、結果を出した。2000年アルゼンチンCAインデペンディエンテに移籍し、2001年にカップ戦を含めて23ゴールをあげた。

マンチェスター・ユナイテッド

2002年1月、プレミアリーグマンチェスター・ユナイテッドに移籍金690万ユーロで移籍した。1月29日のボルトン戦でデビューしたが、2001-02シーズンは無得点に終わった。9月18日、UEFAチャンピオンズリーグマッカビ・ハイファFC戦でPKを決めて移籍後初ゴールを挙げ、10月26日のアストン・ヴィラ戦でリーグ戦初ゴールを決めた。2002-03シーズンはチェルシー戦でロスタイムに決勝点となるボレーシュートを決め、アンフィールドでのリヴァプール戦で2得点するなど、通算6ゴール(内4ゴールは決勝点)を記録し、クラブのリーグ制覇に貢献した。2002年12月のサウサンプトン戦では試合終了間際にゴールを決め、喜びの余りユニフォームを脱ぐが、そのユニフォームを着ることができないまま試合が再開され、一時的とはいえ上半身裸の状態でプレーを続けた。2003-04シーズンは通算4ゴールと不振に喘いだ。マンチェスター・Uでは2シーズン半で95試合に出場して17得点を決めたが、2004年8月にFWウェイン・ルーニーが加入したことにより、ポジション争いが激しさを増すことが予想された。

ビジャレアルCF

2004年8月21日、フォルランはリーガ・エスパニョーラビジャレアルCFに新天地を求めた。移籍初年度の2004-05シーズンはリーグ戦38試合で25ゴールをあげ、アルゼンチン代表フアン・ロマン・リケルメらと共にクラブをUEFAチャンピオンズリーグ出場権を得る3位に導いた。また、FCバルセロナサミュエル・エトオらを抑えて得点王(ピチーチ賞)のタイトルを獲得し、アーセナルFCのFWティエリ・アンリと並んでヨーロッパ・ゴールデンシューを受賞した[3]。得点の内訳は右足で14得点、左足で10得点、頭で1得点であり、両足を同等に扱えることを証明した。翌2005-06シーズンは調子を落とし、10ゴールに終わったが、3シーズン目の2006-07シーズンは19ゴールを決めてUEFAカップ出場権獲得に貢献した。ビジャレアル在籍時はフォワードの選手ながら守備的な選手が付けることが多い背番号5を付けていた。これは空いていた背番号をもらったとのことであるが、現役を引退した兄と同じ番号でもある[4]

アトレティコ・マドリード

2007年6月30日、エースストライカーのフェルナンド・トーレスを手放していたアトレティコ・マドリードへ移籍金2100万ユーロ(約35億円)で移籍した。2007-08シーズンはFWセルヒオ・アグエロと2トップを組み、16ゴールを決める活躍を見せた。

2008-09シーズンはリーグ戦33試合に出場して32ゴールをあげ、またしてもFCバルセロナのエトーを抑えて自身2度目の得点王を獲得し、2度目となるヨーロッパ・ゴールデンシューを受賞した[5]リーガ・エスパニョーラで30ゴール以上をあげたのは1996-97シーズンのロナウド以来の記録である。

2010年4月22日、UEFAヨーロッパリーグ準決勝リヴァプール戦1stレグで試合唯一となる得点を決め、2ndレグでも得点して決勝進出に貢献した[6]フラムと対戦した決勝では2ゴールを挙げて2-1で勝利。アトレティコにUEFAヨーロッパリーグ優勝をもたらした[7]

2010-11シーズンは8得点に終わり、監督のキケ・フローレスの確執が度々報じられる[8]など、キャリア最低のシーズンとなった。夏の移籍市場ではインテルへの移籍の可能性が報じられる[9]。8月29日に本人が退団会見を開き、アトレティコのファンに別れを告げた[10]

インテル

2011年8月31日、インテルナツィオナーレ・ミラノ(インテル)と2年契約を結んだことが発表された[11]。しかし、怪我やディエゴ・ミリートの好調もあり、リーグ戦18試合出場で2ゴールにとどまった。

インテルナシオナル

2012年7月、インテルとの契約を解除し、インテルナシオナルに移籍[12]

セレッソ大阪

2014年1月、セレッソ大阪と2014年12月までの完全移籍で合意[13][14]

2014年3月18日に行われたAFCチャンピオンズリーグブリーラム・ユナイテッドFC戦で移籍後初ゴールを挙げ、3月23日に行われた鹿島アントラーズ戦でJリーグでの初ゴールを決めた。

代表歴

2002年にウルグアイ代表に初招集され、同年に開催された2002 FIFAワールドカップに出場した。グループリーグのセネガル戦でボレーシュートを決めたが、チームはグループリーグで敗退した。

2007年頃に代表レギュラーの座を獲得し、コパ・アメリカ2007準決勝ではブラジル相手に得点したが、PK戦でシュートをミスし、チームは5-4で敗れた。2008年6月17日、2010 FIFAワールドカップ・南米予選ペルー戦ではハットトリックを達成した。

2010 FIFAワールドカップでは第2キャプテンを任され[15]、グループリーグ第2戦の南アフリカ戦ではミドルシュートとPKで2得点を挙げ、大会選定のマンオブザマッチに選出された[16]。他にもグループリーグ初戦のフランス戦、準々決勝のガーナ戦でもマンオブザマッチに選出され、7試合でチーム最多の5得点を挙げて得点王タイとなり、ウルグアイの40年ぶりの4位進出に貢献[17] [18]。この活躍により、大会MVPにあたるFIFAゴールデンボール賞を獲得した[19]

コパ・アメリカ2011では決勝のパラグアイ戦で2得点を挙げ、ウルグアイの6大会ぶり15度目の優勝に貢献。祖父から続く3代続けてのコパ・アメリカ制覇を達成[20]すると共に、エクトル・スカローネと並びウルグアイ代表通算最多得点となった[20]。2010年10月11日、2014 FIFAワールドカップ・南米予選のパラグアイ戦で得点し、ウルグアイ代表単独最多得点となった。

2013年6月20日のFIFAコンフェデレーションズカップ2013ナイジェリア戦で、ウルグアイ代表史上初となる通算100試合出場を達成[21]。また、この試合では決勝点を挙げた[21]

所属クラブ

ユース
シニア

個人成績

クラブでの出場成績

2014年1月23日時点
クラブ シーズン リーグ カップ 国際大会 合計
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
CAインデペンディエンテ 1998/99 2 0 - - - - 2 0
1999/00 24 7 - - - - 24 7
2000/01 36 18 - - 6 2 42 20
2001/02 18 12 - - 5 1 23 13
通算 80 37 - - 11 3 91 40
マンチェスター・ユナイテッドFC 2001/02 13 0 - - 5 0 18 0
2002/03 25 6 2 0 13 1 45 9
2003/04 24 4 2 1 4 2 32 8
2004/05 1 0 0 0 1 0 2 0
通算 63 10 1 4 23 3 98 17
ビジャレアルCF 2004/05 38 25 0 0 0 0 38 25
2005/06 32 10 2 0 13 3 47 13
2006/07 36 19 2 1 2 1 40 21
通算 106 54 4 1 15 4 125 59
アトレティコ・マドリード 2007/08 36 16 6 1 11 6 53 23
2008/09 33 32 3 1 9 2 45 35
2009/10 33 18 6 3 17 7 56 28
2010/11 32 8 3 1 7 1 42 10
通算 134 74 18 6 44 16 196 96
インテル・ミラノ 2011/12 18 2 0 0 2 0 20 2
通算 18 2 0 0 2 0 20 2
インテルナシオナル 2012 19 5 - - - - 19 5
2013 15 5 - - - - 15 5
通算 34 10 - - - - 34 10
セレッソ大阪 2014 - - - -
通算
通算 435 187 37 11 95 26 531 214

代表での年別得点

テンプレート:サッカー代表個人成績 |- |2002||5||2 |- |2003||7||5 |- |2004||11||2 |- |2005||9||2 |- |2006||3||0 |- |2007||9||5 |- |2008||7||3 |- |2009||9||3 |- |2010||10||7 |- |2011||14||3 |- |2012||9||1 |- |2013||10||3 |- !通算 |103||36 |}

代表での得点

# 開催日 開催地 対戦国 スコア 結果 大会
1 2002年3月27日 テンプレート:Flagicon サウジアラビアダンマーム テンプレート:KSAf 0–1 3–2 親善試合
2 2002年6月11日 テンプレート:Flagicon 韓国水原市 テンプレート:SENf 3–2 3–3 2002 FIFAワールドカップ
3 2003年3月28日 テンプレート:Flagicon 日本東京都 テンプレート:JPNf 0–1 2–2 親善試合
4 2003年8月20日 テンプレート:Flagicon イタリアフィレンツェ テンプレート:ARGf 1–0 2–3 親善試合
5 2003年9月7日 テンプレート:URUモンテビデオ テンプレート:BOLf 1–0 5–0 2006 FIFAワールドカップ・南米予選
6 2003年11月19日 テンプレート:Flagicon ブラジルクリティーバ テンプレート:BRAf 2–1 3–3
7 2–2
8 2004年6月1日 テンプレート:URU、モンテビデオ テンプレート:PERf 1–3 1–3
9 2004年7月10日 テンプレート:Flagicon ペルーチクラーヨ テンプレート:ECUf 1–0 2–1 コパ・アメリカ2004
10 2005年3月30日 テンプレート:URU、モンテビデオ テンプレート:BRAf 1–0 1–1 2006 FIFAワールドカップ・南米予選
11 2005年6月4日 テンプレート:Flagicon ベネズエラマラカイボ テンプレート:VENf 0–1 1–1
12 2007年6月2日 テンプレート:Flagicon オーストラリアシドニー テンプレート:AUSf 1–1 1–2 親善試合
13 2007年7月7日 テンプレート:Flagicon ベネズエラサン・クリストバル テンプレート:VENf 0–1 1–4 コパ・アメリカ2007
14 1–4
15 2007年7月10日 テンプレート:Flagicon ベネズエラ、マラカイボ テンプレート:BRAf 1–1 2–2
16 2007年10月13日 テンプレート:URU、モンテビデオ テンプレート:BOLf 2–0 5–0 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
17 2008年6月17日 テンプレート:PERf 1–0 6–0
18 2–0
19 3–0
20 2009年3月28日 テンプレート:PARf 1–0 2–0
21 2009年6月10日 テンプレート:Flagicon ベネズエラテンプレート:仮リンク テンプレート:VENf 1–2 2–2
22 2009年10月10日 テンプレート:Flagicon エクアドルキト テンプレート:ECUf 1–2 1–2
23 2010年3月3日 テンプレート:SUIザンクト・ガレン テンプレート:SUIf 1–1 1–3 親善試合
24 2010年5月26日 テンプレート:URU、モンテビデオ テンプレート:ISRf 1–0 3–1 親善試合
25 2010年6月16日 テンプレート:RSAプレトリア テンプレート:RSAf 0–1 0–3 2010 FIFAワールドカップ
26 0–2
27 2010年7月2日 テンプレート:RSAヨハネスブルグ テンプレート:GHAf 1–1 1–1 2010 FIFAワールドカップ準々決勝
28 2010年7月6日 テンプレート:RSAケープタウン テンプレート:NEDf 1–1 2–3 2010 FIFAワールドカップ準決勝
29 2010年7月10日 テンプレート:RSAポート・エリザベス テンプレート:GERf 2–1 2–3 2010 FIFAワールドカップ3位決定戦
30 2011年7月24日 テンプレート:Flagicon アルゼンチンブエノスアイレス テンプレート:PARf 2–0 3–0 コパ・アメリカ2011決勝
31 3–0
32 2011年10月11日 テンプレート:PARアスンシオン テンプレート:PARf 0–1 1–1 2014 FIFAワールドカップ・南米予選
33 2012年6月2日 テンプレート:URU、モンテビデオ テンプレート:VENf 1–0 1–1
34 2013年6月20日 テンプレート:Flagicon ブラジルサルヴァドール テンプレート:NGAf 1–2 1–2 FIFAコンフェデレーションズカップ2013
35 2013年8月14日 テンプレート:Flagicon 日本宮城県 テンプレート:JPNf 0–1 2–4 キリンチャレンジカップ2013
36 0–2

タイトル

クラブ

マンチェスター・ユナイテッドFC
アトレティコ・マドリード

ウルグアイ代表

個人

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:セレッソ大阪のメンバー テンプレート:Navboxes テンプレート:Navboxesテンプレート:Link GA

テンプレート:Link GA
  1. フォルラン2発!ウルグアイ20年ぶり勝利サンスポ、2010年6月18日
  2. テンプレート:Cite web
  3. A・マドリードのフォルラン、欧州の得点王にロイター、2009年6月1日
  4. footballista
  5. フォルラン 通算2度目のゴールデン・シュー獲得AFP BB News、2009年10月2日
  6. Liverpool 2 - 1 Atletico Madrid (agg 2 - 2)BBC Sport、2010年4月29日
  7. Atletico Madrid 2 - 1 FulhamBBC Sport、2010年5月12日
  8. キケ、確執が取りざたされるフォルランを招集外に
  9. エトー退団のインテル、フォルラン獲得で合意?
  10. フォルラン:「アトレティコファンとして退団する」
  11. メルカート:フォルラン、インテルへようこそ!
  12. フォルラン、インテルナシオナウ加入が決定
  13. 本人Twitter投稿
  14. ウルグアイ代表FWフォルラン、C大阪との契約を明らかに…10年W杯MVP SoccerKING 2014年1月22日
  15. 「待ち望んでいた瞬間」ワールドサッカーダイジェスト、日本スポーツ企画出版社、2010年8月19日号、24-26頁
  16. 2010 FIFAワールドカップ 南アフリカ対ウルグアイFIFA.com
  17. 2010 FIFAワールドカップ フランス対ウルグアイFIFA.com
  18. 2010 FIFAワールドカップ ウルグアイ対ガーナFIFA.com
  19. 2010 FIFAワールドカップ 4位から史上初“MVP”にフォルラン スナイダー、ビジャも受賞スポニチ、2010年7月12日
  20. 20.0 20.1 フォルラン、親子3代続けての南米制覇を誇るGoal.com 2011年7月25日
  21. 21.0 21.1 100キャップ記念試合での決勝点を喜ぶフォルランGoal.com 2013年6月21日