ダンケルク

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テンプレート:Communefra ダンケルクテンプレート:Lang-en, テンプレート:Lang-fr, テンプレート:Lang-nl, テンプレート:Lang-de, テンプレート:Lang-vls)は、フランス共和国ノール=パ・ド・カレー地域圏ノール県(首府、リール)の市。

概要

フランス本土最北端、ベルギー国境から10キロの地点に位置し、ル・アーブルマルセイユに次ぐフランス第3の港湾都市である。面積37,34平方キロ、市の人口は71,300人(2004年推定)であるが、ダンケルク都市圏の人口は265,974人(1999年国勢調査)に達する。ダンケルクという名は、現地の方言(ダンケルク語=西フラマン語)で「砂丘の教会」(Dun+kerke{que}, Dunは英語のDune、kerqueは英語のchurchにあたる)を意味する。

歴史

ファイル:Dunkerque Belfort.JPG
ダンケルクの鐘楼ジャン=バティスト・ジョゼフ・ドランブルが行った子午線弧長測量の北限。

ダンケルクは中世にはフランドル伯領であったが、1520年スペイン王兼神聖ローマ皇帝カール5世がフランドル伯を継承したため、その後スペインの統治下に置かれた。テンプレート:仮リンクテンプレート:仮リンク中の1658年フランスイングランド軍に奪われ(テンプレート:仮リンク)、一時イングランド共和国領となった。1662年ステュアート朝チャールズ2世がフランスに売却したためフランスに帰属している。

18世紀後半にかけて、フランス科学アカデミーによりダンケルク-バルセロナ間の子午線弧長の測量が実施され、測量成果が長さの単位であるメートルの定義のために使われた。

1848年鉄道アラスまで開通し、第一次世界大戦ではベルギーを占領したドイツ軍から砲撃を受けた。第二次世界大戦初期、1940年にベルギー・フランス国境を突破したドイツ軍に押され、34万人の英仏軍がドイツ空軍の爆撃の中英国に脱出したダンケルクの戦いで名高い。大戦中、ダンケルクの町は空襲によって大部分破壊されている。

2002年ノルウェー船籍の自動車輸送船がバハマ船籍船と衝突して沈没し、このため英仏海峡の航行に困難が生じた。 翌日ドイツ船が沈没船の残骸に衝突して救助される事件があり、2003年にもトルコ船籍船が海中の残骸に衝突した。

経済

フランス北部の工業都市であり、鉄鋼食品加工、製油造船化学工業などが盛んである。特に臨海部には、輸入鉄鉱石を利用した大規模な製鉄地帯が発達しており、鉄鋼や重化学工業に関してはフランスの一翼を担うほどである。

交通

英国のラムズゲートドーバーを結ぶフェリーがある。

イベント

サイクリングの重要なイベントであるダンケルクの4日間が開催される。

スポーツ

姉妹都市

出身人物

外部リンク

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